第2話 ②

 マヤ婆が登ってきた山道とは洞窟の入口を境にして反対側に暫く細かい礫が砂漠のように広がり、その起伏のある場所を歩くと、やがて地面がなくなり、真横がそのまま空になり、真っ逆さまの下に青い海が出現する。しかし少し雲が出てくるとあっという間に雲海に覆われて大海原は見えなくなる。晴れ渡っている日は水平線が地球の曲面を描いているのが分かる。その水平線から目を自分の方にずっと引き寄せてくるとほとんど円形の島が一つ、まるで海底から生えてきたようにある。この山の頂上から望遠鏡を通して見ると、九割方緑におおわれているが、こちら側の海に沿って緑が削げ落とされ、白色の岩肌が露出している。白い岩肌が水に濡れたよううに灰色に見えるのが島の民の住居で、動きを止め岩にもなれず、その存在を主張することも出来ない汚れた染みのように見える。その海沿いをみると小さな入り江があり、漁労船が並んでいる。その入り江を囲んで島の唯一の港町がある。集会場のある建物と雑貨屋が二軒、食堂が二軒あるだけだ。ただし地理では島は無人島になっていて、平地の領有権の中に入っている。しかしそれを認める島の民は一人もいない。


 島は独立していて、集会場のある建物では、島の重要な事柄を決める会議が不定期に開催されている。その会議に参加する長老は選挙で選ばれる訳ではなく、じぶんはそこに居るべきだと確信した者が、その役を務めている。その役を務めても益するものは何もない。それどころか、率先して命を掛けなければならないこともある。現に、命を落とした長老は一人や二人ではない。

島の平地側とは反対側に島唯一の土のある平場がある。以前はそこが島の中心地であったが、言い伝えでは、おおよそ二百年前に毒ガスが発生し、半数の民が命を落としたため、今の港町に移住したのだという。しかし何も記録が残されていないため毒ガスがどこで発生したのか詳しい場所は分かっていない。その平場が島で唯一の畑になった。しかし気象条件が激しく、作物が採れないときもある。さらに海が時化て漁に出られないときは、魚の塩漬けや島に生息する爬虫類で飢えを凌いでいく。平地までは船で三時間の距離にある島は、湿度が高く、岩場に囲まれていて砂地の海岸がない。入り江も狭く、波が荒いと船は入港出来ない。

 島は、その大多数が木々で覆われていて、少し内部にはいるとすぐに密林になる。密林の奥の上空は大気が不安定で、常に乱気流が発生している。従って航空機は島の上空を飛ぶことは出来ない。

 密林の中には、猛毒を持つ毒蛇が生息していたり、強烈な毒を孕んでいる虫の巣が至る所にある。もちろん島にはそれらに噛まれたときのための血清などはない。 

 島の子供達は六歳になると、父親や年の離れた兄に連れられて密林に入る。島の大人達は、密林の歩き方を熟知している。それが島を守り、島で生き抜いていく最大の方策であり、また武器になる。他国の人間が島に攻め入っても、島の民は密林に逃げ込む。それを追って密林に入れば、すぐに島の民を見失い、毒蛇や毒虫の餌食になる。


 島の民の歴史はまさに平地の民からの略奪の歴史だと言い切れる。

 島に飢饉が襲うと、それに乗じて平地の民が入り込み、働けそうな島の民を、うまい話に乗せて連行して行く。作業が終わると、僅かな金を持たせ島に送り返される。平地の民は、正当な取引だと言い張っているが、これまでにも何人もの島の民は過酷な労働を負わされて帰らぬ人となった。そんな時でも、平地の民は運悪く事故に遭ったとか、病気になり手厚い看病をしたが亡くなってしまったと言って、勝手に荼毘に伏し僅かのお骨と見舞金と称して僅かな金を島に持ってくるだけだった。

 またある時は平地の民の政治家が現れ、

「平地の作物が上手く成育しないときでさえ、島の民が食料で困っているときには自分たちの食料をおまえ達にあたえたではないか」と、ありもしない話をでっち上げ貧しい島の作物を根刮ぎ持ち去ってしまった。平地の民は充分すぎるほどの食を得て、幼い子から大人に至るまで食べ物を食い散らかして、一山残飯として捨てた。島では餓死者が出ているというのに。

ナジの年の離れた長男も平地に働きに行って、小さな骨になって帰ってきた。「平地で三ヶ月働いてくる。そうすれば一年食べるのには困らない」それが長男の最後の言葉になった。

 ナジはまだ七歳だった。

 ナジの両親は骨になって帰って来た兄を見る前に釣りに出た漁船が暴風に見舞われ、後少しで湾の中に入れた所で波に持ち上げられ、船体が傾き、しばらくそのままの体勢で波に揺られていたが、為す術もなくゆっくりと両親を乗せたまま海底に沈んでいった。漁獲があったと無線で漁労組合に告げていた。それが届けば二歳の妹は飢えて死ななくてすんだ。後で判ったことだが、その船のそばに平地の高度な機能を備えた巡視鑑が航行していた。船の両親は救援の旗を降りさらに、漁業組合から緊急無線をその船に送っていた。しかし平地の巡視鑑は両親の船に近づき、まるで船が沈んでいくのを見物するかのようになにも手出しをせず、船が海上から完全に姿を消すと、生きた子鹿を丸ごと食べ終わった野獣がゆっくりとねぐらに引き上げるように、平地に舵を向けた。

 

 ナジは自分の気に入っていた服を妹に着せるとしっかりと抱き上げて、密林に入って行った。密林の歩き方を、平地に出掛けた長男が戻ってきたら教えてくれるはずだった。それを教わらずに入ることは死を意味していた。

 妹が腐って溶けて、手の中から消えてしまう前に、まだ息のある妹と死ぬことを決めた。ナジのポケットには、白い布にくるまれた兄のお骨が入っていた。

 異常気象の密林の中の生き物も餌の確保に窮していた。やっと人が餌として入ってくる。

 ナジは初めて入る密林がとても懐かしかった。兄さんが母さんや父さんのいるところに連れて行ってくれる。今やそれは夢や妄想ではなく、生を乗り越えた確信だった。島の民として間違った生き方さえしていなければ苦境にあってもそれを突き抜けて、嵐が去った後の夕映えを見るように穏やか幸福を得られるのだと、父さんはいつも言っていた。

 妹がいつのまにかつぶらな黒い瞳で、ナジの顔を微笑みながら見つめている。それは先ほどまでのように皮が黒ずみ干からびて、骨がその皮を突き破って露出してきそうな姿ではない。木目の細かい頬の白い柔肌がナジに抱きしめられ、上気して桃色に染まり、そこに汗で濡れた前髪が張り付いている。ナジはその前髪を指で優しくかき上げる。妹はありたけの力でナジの首に抱きつきその形のいい唇をナジの頬に押しつけた。妹の甘酸っぱい息が優しく顔を包み、妹の小さな心臓の鼓動がナジの胸に気持ちよく伝わってきた。

 密林は黄金に輝いていた。その熱い光に毒蛇と毒虫も近づくことはできない。やがて大きな丸太小屋が現れる。自分を襲ったありとあらゆる悲劇は、きっとこの丸太小屋の中に秘められているとても素敵な出来事を、豪華絢爛に装飾するために用意されたものだ。間違えようのない確信が自分にしっかりと訪れてきた。

 お膳立てはすべて整った。あとはこの扉を、落ち着いてなにも取り逃さないようにゆっくりと開けるだけだ。兄さんに会える。ご馳走を用意して母さんと父さんが僕と妹を迎え入れてくれる。 ナジは目を瞑り、妹を抱きしめたまま肩で扉を押した。

 家の中に灯りはなく、どこからか冷たい風が吹いてくる。それは汗をかいているナジに心地よい風ではなく、身体の芯から一気に凍らせるような茫漠として沈み込むような風だった。すすけたような黴の匂いが鼻を突く。顔に蜘蛛の巣がまとわりつく。

 ナジはあせりながら扉を開けて外に出ようと思う。しかし暗闇は方向を覆い尽くしていた。扉は闇のなかで消えた。目が闇に馴染んでいく。深閑とした闇の中に浮遊する重い埃がわずかずつ下に落ちていき、ナジの目に、まず自分の足下を見つめさせる。穴があき親指が飛び出した泥だらけの靴が見える。靴にシミが広がっている。親指の先端がズキズキと痛む。指の間がヌルヌルとしていく。ゆっくりと顔を上げる。天井の板が削げ落ちてぶる下がっている。棚が倒れ、古びた本が水に濡れボロボロになって床に散乱している。二本の柱が倒れ込み、上の先端が壁に突き刺さっていて、支柱の一部を失った建物全体がちょっとした振動で揺らめく。天井からたれたいくつかの蜘蛛の巣が、足場を失ったように揺れていて、蜘蛛の糸に、いくつもの虫の死骸が干からびて絡んでいる。ナジの目は移ろいでいた。自分の足場がわからない。どこに立っているのかがわからない。この地は何処なのかがわからない。密林の奥にある島の宮殿なのであればこの朽ち果て方はいったい・・・・・・。

 滅んでいる宮殿に自分は辿り着けるはずはない。その前に毒蛇と毒虫に確実に殺されているはずだ。殺されている。殺されてはいるけれど死んではいない。悪夢の世界にいる。

 蝋燭の火のようなわずかな灯りが、部屋の隅々までも仄かに照らし出している。

 朽ち果てている。

 すぐに毒蛇と毒虫のいる密林にもどり、自分の死に場所をみつけださなければならない。

 不安で心が千切れそうになりながら妹を呼ぶ。もう一度呼ぶ。全身全霊を耳にかたむける。もう一度呼ぶ。微かに聞こえる。それは空気を振るわせて聞こえてきた音なのか、心に直接伝わってきた声なのかがわからない。もう一度呼ぶ。静まりかえった頭の中でちいさな蝉が鳴いている。

 本当はわかっていた。腕に妹の重みがなくなっている。先ほどから。僕は腕の存在を忘れようとしていた。妹を抱いていた腕を考えないようにして足を見た。僕の腕は何処かで妹を強く抱きしめているはずだ。しかし腕だけはあるべき所にあった。妹のぬくもりも、妹の亡骸も僕の腕から消えている。両の掌を前に突き出し合わせ、先ほどまで愛おしい生を抱きしめていた腕の先から肩までゆっくりと目を這わせる。妹をくるんでいたナジの麻のポロシャツや麻の濃紺のブルゾンはどこで落としたのかあたりにはみあたらない。

右肩の少し手前に干からび黒ずんで丸く、周りがギザギザになった皮膚が張り付いている。左手でゆっくりと剥がす。妹の皮膚だ。この皮膚が僕に語り続けていた。

 その薄い皮膚を口に入れると、唾で軟らかくし、口いっぱいに広げてからゆっくりと噛んだ。そして飲み込んだ。僕は妹と一緒に密林に帰る。先ほどの美しい世界に間もなく戻れる。

 丸太小屋の扉を開け密林に出る。風の吹いてくる方に歩き始める。枯れ木を裂くような、乾いた、しかし腹に響く音が背中から覆い被さってくる。振り返ると丸太小屋は廃材の山になり、腐りの出た木片になり、あっという間に、あり地獄のような汚れた土の盛り上がりになった。ナジはその土盛りに戻り端に座った。

 ここで妹が消え、僕の身体の中に入った。ここで待つことにしよう。

 ナジは眠くなった。いつから起きているのかも定かではない。ずっと寝ていないのかもしれない。草をかき分ける音がナジの回りを囲み、その囲みは狭まってくる。橙の蛇皮に赤い斑点が一面に広がったコブラのような薄い鎌を持ち上げた毒蛇が、まるでニョキニョキと伸び始めた雨後のキノコのように、あちらの草むらからもこちらの草むらから表れる。その細く真っ赤な舌はまるで笑っているかのような蛇音を出し、ナジに近づいてくる。

 ナジは目を瞑る。また妹のことを思う。兄のことも。兄も妹を可愛がっていた。それは自分以上だと思う。兄が平地に稼ぎに行ったのも、妹に腹一杯食べさせたかったからだ。兄は死ぬまで働かされた。死ぬように働かされた。平地は兄を殺し、さらに妹を死に追いやった。死して敵が討てるのなら、この恨みを満身に染み込ませ、黄泉に下る。

シュッ、シュッという音がナジの耳元に近づいてくる。草をかき分ける音が太くなる。草のざわめきの中から、草の千切れる音が聞こえる。キュという音が聞こえる。なにかが風を切る音の後に、またキュという音が続く。草を擦るようになにかが倒れる。ナジの右腕に水が掛かる。

 左手の掌でその水を拭う。ドロッとした生暖かい感触がする。左手の掌を薄目で見る。

真っ赤な血がベットリと掌に付いている。

 その掌の下に、目が飛び出した毒蛇の頭だけが転がっている。ここにも、そこにも毒蛇の頭が転がっている。中には、頭が草の上に乗っかってゆらゆら揺れているものもある。

「君って危ないな。こんな所に座って寝てちゃ駄目じゃないの。プンプンだよ」

金銀赤青のスパンコールの入った、紺のレオタードの上から白の燕尾服の上着を羽織って、その右手に血のたっぷり付いた柳葉刀が握られている。

多分男の人が立っている。

「僕って美花李里って言うんだけど、きっと君ってナジだよね。一人で何処へ行くんだろうってずっとつけていたのさ」

美花李里(ミカリリ)は両手、両足を波打つように動かし、腰をくねらせながら話す。

美花李里は全部知っているのだろうか。妹が消えて、黒ずんで干からびた皮だけが残ったことを。

 それから、その前のことも・・・・・・。

「僕って密林警備隊の隊長だし。それに密林の歩き方学の教官長でもある訳なんだけれど、君って密林の歩き方学を全く学んでいないね」

僕は美花李里のことは確かに知っていた。兄が大陸から戻ってきたら、密林の歩き方を伝授してくれて、「ミカリリ」の認定書を貰ってきてやると言っていた。そのとき「ミカリリ」が人だなんて思いも寄らなかった。「ミカリリ」はソシキなんだと思った。兄が密林のあり方を学んだのは父からで、その時は父が「ミカリリ」の認定書を貰ってきて、それが家に飾ってあった。確か父も「ミカリリ」の認定書を持っていると言っていたと思う。父も多分子供のときに認定書を取ったはずだ。

 美花李里の年は?

 でも隣の家のお爺さんは、そのお爺さんと同じ名前で名前の下に二世を付けていたから、僕たちはそのお爺さんのことを二世爺さんと言っていた。

代々美花李里の家は全部美花李里なのかもしれない。

「僕は美花李里さんの認定書はありません。そんなの必要なくて、密林に来たから」

美花李里は、ガラガラの野太い声で笑い出した。木々の葉がその声の波長に共鳴してザワザワと揺らぎ始めている。ナジには美花李里がどうして笑っているのかわからない。笑いは、途切れることなく続いていく。

 やがて笑いと感じられなくなってきた。豪雨が屋根を叩く音のように、渓流の勢いよく、留めなく岩にあたり飛翔していく音のように、空気のなかに融け込んでいく。

 美花李里は相変わらず、腕と足を波打たせ、腰をくねらせながら、反っくり返り、腹を抱え、頬紅を塗った顔をさらに赤くして笑い続けている。しかしその大声は、夜空を貫いていく流星のように静かだ。

 ナジは、またその土盛りにもどり、端に座った。

 すぐ目の前に、痩せて枝のような美花李里が立っている。その顔は悲しんでいるようで、笑っているようだ。年はナジには全くわからない。自分と同じくらいにも思えるし、とてつもなく年を取っているようにも思える。

 美花李里はその細い両腕をナジの方に差し出すとナジの脇の下に入れ、あっと言う間にナジを肩車する。ナジは美花李里の力に圧倒される。美花李里は腰をくねらしながら、ナジの家族の誰もいなくなった家にむかって密林を歩き始める。ナジは、らくだに乗り、敵に滅ぼされた城に帰るため、荒涼な砂漠を行く王子のように目を細め無言で前を見つめていた。


ナジは家族のいない家に住み、一人で生活をしていた。釣りをし、木の実を取り、美花李里がなにも言わず家の中に放り込んでいく野菜や肉を食べ生き抜いていた。放り込まれるのは食べ物だけではなく、手あかで黒くなった本もあった。それは島の歴史書のようなものであったり、幾何学の本だったりしたが、所々の難しい箇所には多分美花李里が書いたものと思われる説明のメモが挟み込まれていた。ナジは夜ごと星明かりの下で読み進めていた。密林からの帰還から二年の歳月が過ぎ、気が付くとナジは以前に比べて豊かな生活を送っていた。釣り上げた魚を魚籠に放り込んで家に帰ろうとすると、それを覗き込んで高値で買っていく人が必ずいる。

 自分で釣ることは島では当たり前のことなので、なぜ金を出して買うのかナジにはわからなかった。だが、そんなことが毎日起きるようなったので、今までは自分が食べる分しか釣ることをしなかったが、多めに釣るようになった。木の実も同様で籠に入れて持ち帰る途中で、籠を覗き込み、その木の実を自分の袋に移し替え金を出す人がいた。今食べ物がふんだんに採れ、苦労もしないで金も入ってくる。ナジは豊かになればなるほど、家族を襲った不幸を呪った。今はこんなに容易く手に入る食べ物が、何一つ手に入らなかった。漁の達人だった父親でさえ漁獲を得ることは出来なかった。今のように、魚や木の実を買ってくれる人がいれば、働き者の兄は平地などにいく必要なんかなかった。妹は苦しんで死ななくて済んだ。

 島の民が豊かになって来たことを、ナジは肌で実感した。しかしその理由まではわからなかった。


 島の長老、大室治作という年寄りが、クロチョウガイに島の奥深くに生息するヒカリゴケの胞子を練り込んだ特殊な核を埋め込んだところ、黄金に輝く真珠が出来た。その深みのある金色は純金よりも気品があり、奥深くもあり見るものを魅了した。

 核を埋め込んだクロチョウガイを沖合三海里のところにある海棚に置く。回りに囲いになるものがないのに潮流は穏やかに一定で干潮の時には棚の上部が浮上するが、満潮でも大きく沈み込むこともない。クロチョウガイの育成にはもっとも適した窪みがその海棚に無数にある。さらに潮がいつも一定の速さで流れているために病気が発生することも、もちろん蔓延することもない。クロチョウガイは逞しく成長し、豪華で気品のある真珠を育て上げた。

島の漁民は平地の民が住んでいる大陸とは逆の海にそっと乗り出して、遠くの国までその真珠を売りに行き、遠くの国の産物を船が沈みそうになるくらい積み込んで島に戻ってきた。島はみるみる豊かになっていった。

平地の民が島の民の異変に気づき始めるのは時間の問題だった。 好天で海も凪いでいるのに島から漁船が出てこない。島の食料は何時でも逼迫しているはずだ。怠ければ直に飢えて餓死者がでる。しかし望遠鏡から見る島民の男共の顔に緊迫感がない。

 島の民の不可解な行動がやがてどんよりと曇った冬の日の夜明けに、平地の民の望遠鏡に入り込んできた。沖に出てくる漁船以外の決まった漁船が、島からおおよそ三海里のところで停泊させていた。


 黄金の真珠で、遠い国から、物と金銭が大量に島に流れ込んできていた。

 しかし過度の出来事は揺れる。揺れれば、そのブランコはやはりもとに戻ってくる。勢いが強ければ、それだけ強く戻ってくる。

 黄金の真珠の養殖は平地の知るところとなった。平地の領海で属国である島に作らせてやっているのだという理由で、質の高い真珠から八割を奪い取っていった。 良質な真珠を隠して見つかりでもすれば、その場で問答無用に銃殺されることは間違いがない。。

 平地の島を管轄する部署の役人から、大室治作に次のような手紙が送られてきた。

『島の民の毒虫ども、よく聞くがいい。島の近海で捕れるものは俺たちのものだ。島の近海は俺たちが守っているからだ。それは根性の腐った頭の悪いおまえたちでも分かることだ。そこまで分かれば、頭の悪いおまえ達でも、黄金色の真珠は俺たち平地の民のものだということを知っていることになる。黄金の真珠は天が平地の民の為に創りあげられた奇跡の汗だといってもいい。島の民の毒蛇どもよ。おまえ達が卑しき厚顔無礼な態度でその黄金の真珠をせしめても、世界を支配している正義は激しく島を揺るがしおまえ達の足下から溶岩を噴出させ、おまえ達の頭上に豪雨のように降らせるであろう。追い剥ぎ、盗人、海賊、山賊である島の民よ、天はおまえ達が主張するおまえ達の持ち物全てを燃やし尽くすまで炎を小さくすることはないであろう。しかし平地の民は心広く、心穏やかで、人間であれば誰でもが考える島の民への復讐を考えることもなく、慈悲をもって次のようにこのことを許してやる。すなわち、島の近海の上で捕れる本来の平地の民の財産である黄金の真珠のうち、一割をおまえ達への労働の対価としてそしてもう一割を恵みとして分け与えよう。質のよい真珠のほうから個数と重量の両方とも八割を超えるように厳密厳格に選定し平地の民に献上するように命じる。抜き打ち検査において不正が発覚した場合はただでは済まぬ』

この一方的な平地の民の契約を島の民は受け入れた。たとえ取り分が二割でも、黄金の真珠が出来る前との生活を比べれば豊かな生活が得られると判断した。

 島の民が、森の奥から核を埋め込んだクロチョウガイを運び出し、船に積み込むところから平地の民は見張りをし始める。


揺れは、嘗てないほどの状況の上に乗った。

雨期に雨が降らない。わずかな広さの島の畑の作物が枯れ始める。その年は真珠の核につかう、ヒカリゴケの一種の成育も良くなかった。約束の八割を守らず、黄金の真珠のあらかたを平地の民が持って行ってしまう。島の食料があっという間に底をついてくる。森の勢いがなくなると魚を呼び込む海の力もなくなってくる。悪循環が、滅びにむかって突き進んでいく。島では生きられないところまで来た。

 豊かさを失った長老の男達は、輝きをなくした星くずの影が暗黒に揺らめいている海を見つめていた。


 島の長老が集まり話し合いがもたれた。しかし、そこには暗黙の裡に決定づけられた掟があり、誰かがそれを切り出すか、それとも自分が覚悟をきめて言い出すかの戦いが、集会の空気の中に、一人一人の長老の胸の内でおこなわれていた。

 言えば決まる。しかしそれによって島の子供が死ぬ。死ぬ子は決まっている。自分が殺すことになる。

 森の中心に存在する巨大な岩に刻まれた島の戒律がある。その岩は、島が海から隆起する以前よりあった。句読点もなく、文字らしき傷がだらだらと彫られている。それは多分傷なのだろうけれど、読める。確かに読めるのは、それを見た島の民の誰もが、その内容を同じように理解できるからだ。岩の欠けたところから深海に生息する生物の化石が露出している。刻まれた文字の上にも人類の発生する以前に死に絶えた貝の化石が散見できる。

 四番目の島の戒律。

『島の終わる前に生け贄で島を救え。生け贄はその時を知る子供。年を取った男が叫べ』

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