第4話

丁度その時、表から腰を抜かしそうな様子で店の小僧が駆け込んできた。


「大旦那さま。お嬢さんの迎えの方がいらしたのですが……それがその……」

「なんだい騒々しい。そんなようすでお客様に失礼じゃないか」


『少し落ち着きなさい』と言いおいて、霰を伴い店の表に顔を出す。

店先に立つ御仁を見て、翁はなるほどと納得した。小僧が慌てるのも無理はない。


「こちらで城の者を保護されていると聞きまして、連れに参りました」


端正なかんばせに静かな笑みをたたえ、赤い狩り衣姿の御仁が、白銀の鎧に虎皮を腰に巻いた若い武者を連れて待っていたのだ。

たった二人にもかかわらず、そこにいるだけで華やぐような出で立ちだ。

そして、この地へ住まう者なら、彼が何者であるか知らぬ者はいない。

南の護り、朱雀の彩華だ。


子供のころ、軸に描かれた姿を見たことがある。どのようなお人か噂で聞いたこともある。しかし、直接見るのも喋るのも初めての雲居くもいの人に、商人として人馴れした翁も一瞬声が震えそうになった。


「これはご足労願いまして、申し訳ございませんでした。手前どもがお送りすればよかったのですが、何処いづこの姫とも知らず、失礼をいたしました」


「道に不慣れなところを助けられたと聞いています。こちらこそお礼を申し上げます」


深々とお辞儀をした店の主に彩華も頭を下げた。しかし、顔をあげたときに霰に注がれた視線は、少し怒っているようだった。隣にいる力輝も渋い顔を見せる。

霰は黙って出てきたことを、今さらながら後悔した。


「取り急ぎ城へ帰らねばなりませんので、お礼は後日させて頂くと言うことで、今日はご容赦願います」

「いえ、そのような。大した事はしておりませんのに」


一通りの挨拶を交わし、顔をあげた翁は彩華や霰の雰囲気を察してとりなしを入れる。


「姫さまも心細うしておりました。ご兄弟への贈り物を探していらしたようです。彩華さまがいらして、やっとご安心なさったでしょう」


城を抜け出せばどうなるのか身をもって知ったはず。あまりお叱りになりませんようにという諌めを、ほんのりとにおわす言葉に彩華は了承したように頷いた。

困りきって眉を下げ上目遣いにようすを窺っている霰に、翁は振り返り、安心させるような穏やかな笑みを浮かべた。


「なるほど。お姫さまがお持ちの羽根は、鸞鳥らんてうの羽根でございましたか。初めて見るのも頷けます。良いものを見せてもらいました」


「お爺さん、色々とありがとうございました。それから、私は姫ではありません。雨女の里から来た只の子供です」


「ほぉ、黄海から。これは珍しいお方に縁があったようですな。また、城下町へおいでの時はお待ちしておりますよ。今度は内緒ではなく」


親切な翁に見送られ、店の外へ出る。

店じまいの終わった通りはひっそりとして、出たばかりの白い月に照らされ藍色の影に沈んでいた。


力輝が霰を背負うと、銀糸のような雲をまとって白虎へ戻り、鉄紺の空へと舞い上がる。その後ろから、同じく彩雲を棚引かせた彩華が、鳳の姿をして飛び立った。その一服の絵のような姿を、店の者は小さくなるまで主共々見送っていた。


人々の姿が小さくなり、甍の波の上、白い虎の背にしがみ付きながら無言の時が過ぎる。やがて、力輝がぽつりと口を開いた。


「みんな探し回って、心配したんだよ」


力輝は叱られることはあっても、叱ったことなどなかったから、何と言っていいものか分からなかった。だから、それ以上は何も言わなかったが、霰にはその一言で足りたようだった。


「ごめんなさい」


首に回された手に、ぎゅっと力が伝わる。


「今度はさ。一緒に行ってあげるからさ。ね?」

「うん」


何処に行きついたものか、途切れた会話がさ迷う沈黙を終わらせるように彩華も口を開く。


「はいはい。ちゃんと反省したならさっさと帰ろう。みんな落ち着かなくて明日の用意どころじゃなかったよ~。帰ったら霰もお手伝いだね」


もうお終いとばかりに話を切り上げた。

空から見下ろした城は、いつもより明かりが多く灯されているように見える。霰を探し回っていたのかもしれない。そう思うと、申し訳なさで心がしぼんだ。


近くなっていく城の中庭に、センの姿があった。

彼には珍しく怒っているようで、眉を吊り上げ口を引き結び、霰が降りてくるのを見て近寄ってくる。


「いったい何処に行っていたの!」


めったに出さないきつい声に、霰は怖くなって身をすくめる。

傍らにいた力輝の袖をしわになるほど握りしめた。

センは、そんな従姉妹の姿を見ても問答無用と険しい顔を緩めることはなかった。


「勝手に抜け出して、皆をどれほど心配させたのか。霰が戻って来なかったら、里のかか様たちがどれほど嘆くか考えなかったの?」

「ごめんなさい」


蚊の鳴くような声で謝る霰を、まだ反省が足りぬとでもいうのか、センは見下ろしたままだ。


「そりゃあ、女の子が一人、知らない街に出るなんて悪いと思うよ。でもさぁ、無事に戻ってきたんだし。霰も反省しているし。ご飯もまだ見たいだし……」


睨みあいのような間に耐えかねたのか、力輝がとりなしに入る。

霰に袖をつかまれ、怒った顔のままのセンに睨まれながら、力輝はおろおろと二人の間に挟まれていた。

常日頃より無茶をしては叱られている力輝である。身に積まされるものが有るのだろう。初めて見たセンの怒った姿に狼狽えつつ、霰を小脇にかばって苦心する。

そのようすを他人事のように--しかも力輝が珍しく怒られている人物をかばっている姿を面白がって--見ている彩華に気が付き、力輝は何とかしろと眉間にしわを寄せながら目で訴えた。


彩華としては、この珍しくも面白い状況を、もう少し楽しんでみていたかったのだが、それではあんまり霰が気の毒だ。説得力にいまいち欠ける力輝の代わりに助け舟を出す。


「センの気持ちもわかるよ。居なくなったと分かって、とても心配したからね。でも、忙しさにかまけて、子供一人、目を放しておいてしまった大人に非がないと言えるのかい?」


その一言に、センの眼から険が落ちた。

確かに忙しかった。特に今日は朝から一度も霰の姿を見ていない。それほどに目を放して置きながら、霰だけ叱るのはどうなのだろう。兄として面倒を見ていたと言えるのだろうか。詰めていた息をゆるゆると吐きだした。


「放っておいて、ごめんね」


ぎこちなく謝った。

センは緊張して力輝の袖をつかんでいる霰の頭をなでる。


「でも、何も言わずに居なくならないで欲しいんだ」


とても心配したのだ。四宮ではどうかは知らない。でも、センが元いた世界、人の世で子供がいなくなるのは大変な事なのだ。不慮の事故や人さらいなど、思いつくことは山ほどあり、帰ってこない者も多い。


「ごめんなさい。ごめんなさい」


霰が涙にぬれた顔をあげたのを見て、どうやらお互いに答えが出たらしいと力輝はほっと胸をなでおろした。叱られるより、叱られるのを見る方が辛いという経験を初めてした。何気なく、懐に忍ばせたお守りを握りしめる。

その通りだと言いたげに、小さく鈴が鳴った。


[さぁさぁ、もう中に入って筒姫に見つかったって言いに行こう。大騒ぎしているはずだから。振り回されている上皇もこれでやっと落ち着けるよ~」


なんだか状況が目に浮かぶようだった。

炎帝が巻き込まれる前に報告しにいかないと、本当に大変な事になりそうだ。そうなる前に早く知らせないと。


と、思った矢先。

大門手前の広場へ炎帝直属の近衛が騎馬に乗り、移動していると知らせが入る。


「遅かったか~」


その夜の食事は誰の思い出にも残るものとなった。

良い意味ではない。悪い意味でだ。


近衛が大門を出る直前で事なきを得たのだが、そのあとが酷かった。

なんと心配をこじらせた筒姫が、兄に内緒で近衛に霰の捜索を頼んでしまったのが炎帝の耳に入ってしまったのだ。


毎年忙しくなるこの夏の時期に、ただでさえ色々なことが舞い込んで炎帝は苛立っていたというのに、火に油とはこの事。


筒姫の暴走を知っていながら、息子に知らせなかった朱上皇も同罪とされ。また、そもそも里を出る前の雨女を連れ出した彩華ちょうほんにんはどうしたという話にまで波及した。姫の旅立ち前に和やかに囲むはずであった内輪の宴の席で、全員が炎帝の吐く気炎に火達磨にされるのではないかというほど叱られた。


『明日は冬宮へ出立すると言うのに、兄上の怒声に送られて行かなければならないのでしょうか?』


と、筒姫がよよと泣き、彼女に大甘な炎帝が怒りを治め無かったらどうなっていたことやら。

肝の冷えることである。

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