一手の矢

第1話

何をあげたいかはすぐに決まった。

けれど、それが何処にあるのかが分からない。筒姫に聞こうにも明日のことで忙しく、とても話を聞いてもらえそうにない。


--炎帝さまは……怖いし……。


結局いつも頼りにしてしまう、朱上皇の書院へと足を向けた。

もう少しで着くと言うところで、書院の方から叫び声が聞こえてきた。渡り廊下につながる扉から、誰かが二人ほどバタバタと逃げ出してくる。


こちらへ走って来るその人をよく見れば、彩華と力輝ではないか。渡り廊下の半ばまで走ると速度を落とし、城内へ続く扉へと向かって歩いてきた。何かぶつぶつと言い争いをしながらお互いの脇腹を肘でつつき合いっている。


「君が袖を引っ張ったからお茶が倒れたんだろ!」

「その後お前が押さなかったら、硯をひっくり返すことにはならなかったんだ!」


言い争いが子供じみたつかみ合いへ変わり、羽根やひげのむしりあいになっていく。霰は慌てて止めに入った。


「おぉ、霰ちゃ~ん」

「お久し振り!」


うんと年下の少女に大人げない争いを見られてばつが悪いのか。

ささっと離れて取り繕うように挨拶をよこす。そんなことをしたところで、証拠が床に散らばっていると言うのに。


「どうしたの? その格好……」


廊下に散らかった羽根やひげを拾いつつ、霰は二人の荒れた姿をまじまじと見つめる。

どうしてそうなったのやら。衣には水に濡れた跡やら、墨が跳ねて出来た水玉模様をつけている。彼らは気まずそうに目を逸らしたり、頭を掻いたり、落ち着かないようすだ。


「え~っと、その。色々あって……」

「まぁ、良いじゃない。それより霰ちゃんはどこに行くの?」

「上皇様のところだけれど?」


行き先を聞いた彩華は伺うように力輝の顔を見た。力輝もなんとも言えないようすでしかめっ面をする。


「今は上皇さまの所には行かない方がいいかな~っと」


霰は何となく察しがついて、ため息が出た。


「片付けを手伝わなくて良いんですか?」

「うん。『あっちに行ってなさい』って」


力輝が両手の人差し指を立て、頭の上にかざす。

相当怒られてしまったらしい。


それもそうだ、人の世は今夏真っ盛り。

その上、もうすぐ冬宮から宇津田姫が来るのである。猫の手も借りたいほど忙しいに違いない。それを手伝うどころか、暇人が、四六時中遊びに来たと言っては邪魔しに来るのだ。いくら温厚な上皇でも、堪忍袋の緒が切れておかしくはない。


「もう。私、相談があったのに」


これでは顔を出せないではないか。

霰は二人を交互に睨み付け、頬を膨らませた。


「すまないね~。私で良かったら相談に乗るよ~」


宮廷の娘なら、うっとりと溜め息をつきそうな笑みを浮かべて彩華が言う。その隣で力輝も『任せろ』と頷いて見せる。多少の--いやかなり--不安は拭えないが、矢を売っている所くらい聞いても平気だろうと尋ねてみた。


「矢を探しているのだけれど、何処に売っています?」

「矢なら城の武器庫にいくらでもあるよ?」


『わざわざ買わなくても』と、言う力輝の肩に、彩華が理由わけ知り顔でもたれかかった。


「分からないかな~。力輝君は。特別なお返しに決まっているじゃないか」


そう言って、霰の胸元を指差した。

そこには、青く美しい首飾りがぶら下がっている。


「贈り物に対するお礼なんだよね~? だから、倉庫にあるような出来合いの矢じゃ駄目なんだろう?」


『男女の仲ならよく知っているよ』と、言わんばかりに彩華が顔を綻ばせる。

若いって良いね~。初々しい恋って良いよね~。と妄想を膨らませているようだ。


「えっ!? そうなの! 霰ちゃん恋人出来たの!」


力輝まで前のめりで聞いてくる。

霰は赤い顔をしかめてそれを否定した。


「兄さまですっ! 冬宮へ行ってしまう兄さまに贈り物をするんですっ!」


『勘違いしないでください!』と肩を怒らせる霰に、二人は『な~んだ~』と、あからさまにガッカリした。


「兄さまがお守りにってくれたの。だから、私も無事に帰るよう願いを込めてお返しをしたいんだけれど」


センが使いそうなものと考えたら、弓矢くらいしか思い付かなかったそうな。


「そっか。じゃあ、城下町の店に行ってみようよ」

「おい!」


力輝が霰を誘うのを、彩華が慌てて止めに入る。彼女に背を向け、力輝を小声で𠮟っているようだが、漏れ聞こえてくる台詞から何を言っているかなんとなく分かってしまう。


--霰ちゃんを城の外へ連れて行かないように、朱上皇に注意を受けたばかりだろうが!


「あぁ~。じゃあ、武器商人を呼ぶよ!」

炎飆えんびょう辺りなら良いところ知っていると思うから」


霰は別に外に出たいわけじゃない。

けれど、ここ数日の自分に対する子ども扱いに腹を立てていたこともあり、二人の提案に、素直に首を縦に振ることができなかった。カーッと体が熱くなるような苛立ちを感じ、思わず袂に隠した例の耳飾りを握りしめる。


「いいわ。自分で何とかするもの」


踵を返して城の方へと廊下を戻りだした。

力輝と彩華は急いでその後を追うが、曲がり角で霰を見失う。


「あれ?」

「え? もういない?」


霰はちゃんとそこにいた。ただ、見えない空気のようになって。

音を立てないように、そっと二人のそばから離れていく。そうしている間に、力輝と彩華は霰の姿を求めて城内へ散って行った。


--霊獣にさえ分からなかった!


霰は耳飾りを着けると、城下へ出ることに決めた。

姿さえ見えなければ、危ない目に合うはずないのだから。霊獣にさえ見えなかったという事実が霰の気持ちを大きくしていた。


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