第2話

とても大切なものだから、肌身離さぬように。

そう、念を押された。

何から身を守るものなのか? それも聞きたかったが、余り女神にあれこれと聞くのも気が咎めて、それ以上何も言えなかった。


「頼みましたよ」


そう告げると同時に目の前の気配が消える。

センは思いきって顔を上げたが、御簾の内側は暗く何も見えなかった。下の隙間より、先程の白い蛙が這い出てきてセンを見上げる。センが立ち上がると、再びピョンピョンと飛び跳ねて内拝殿の外へと降りていった。

呆然とそれを目で追っていると、蛙は振り返りゲコゲコ鳴いている。

急かしているらしい。


センが追い付くと『世話の焼ける奴め』と言わんばかりに睨みあげられた。


白い蛙はそのままセンを門まで送り届けた。社の外へ出ると、用は済んだと言わんばかりにセンを振り返りもせず、社を囲む湖に飛び込んで消えた。対岸まで架かった氷の端の下を、大きな魚影が悠然と横切る。それは水音一つ立てず、深みへにじむように消えていった。


ただの蛙ではなかったようだ。

もっと違うものが化けていたのかもしれない。


的場の傍に生える青楓の横這いの枝に寝そべり、茂る葉の隙間に見える青い空を見上げていた。時おり白い雲が過っていく。


センは夏宮の牧にて、唹加美神の社で起きた出来事を思い出していた。

すべてはっきり思い出せるのに、女神の声だけが思い出せない。どんな声色だったのか。誰に似た声だったのか。思い出そうとすればするほど遠退いていくような気さえする。ただ、印象に残ったのは、人を安心させるような優しい声だったと言うことだけ。


センは懐から小さな革袋を出して、その重さを確かめるように少し振った。

じゃらじゃらと玉の擦れあう心地好い音が聞こえる。


「兄さま!」


視界にぴょこっとあられの顔が覗いた。

思わす驚いて飛び起きてしまう。そんなセンを見て、年下の従姉妹いとこは嬉しそうに笑った。


「うふふ。驚いた!」

「こら!」


センも笑い、霰を軽く叩くそぶりを見せる。それを見て霰が逃げるように距離をとった。


「当たりませんよ~だ」


センはおどける霰を呼び寄せて、傍らに座らせる。


「はい、これをあげる」


霰は革の小袋を受け取ると、センに促されて開けた。中から出てきた美しい首飾りに、驚きと喜びの声をあげる。


「わぁ! すごい! これどうしたの!?」

「お守りだよ。明日から冬宮へ行かなきゃならないから」


やはり女の子だ。美しい宝飾品に目を輝かせる。

慣れない手つきで、留め金を首の後ろで止めようと苦心している彼女に、センは手を貸してあげた。霰はその間じっとしていたが、初めて付ける首飾りにそわそわと落ち着かない。青い勾玉を摘まんだり撫でたりしている。


センは霰を正面から見て、よく似合ってると誉めた。

その言葉に、少女は輝かんばかりの笑顔を浮かべる。


「おれがいない間、夏宮で大人しくしているんだよ。心配だからこれを身に付けていてね」


そんな優しい気遣いをする従兄弟いとこに、筒姫を心配していた朱上皇の姿が重なった。誰もがみんな家族の身を案じている。


「ありがとう」


霰も何かセンへ贈り物がしたいと思った。

けれど、今手元にあげられるような物はなにもない。


「兄さま。少し用を思い出したの。また後で兄さまのところに行くから」


そう言い残すと、霰は足早に的場を去っていった。


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