唹加美神
第1話
夏宮からの使者が、唹加美神の社を訪ねてきた日。
センは時雨と共に巫鳥に呼ばれた。
予想はしていたが、張り詰めた空気のなかの会見となった。中途半端が嫌いな巫鳥にとって、夏宮側の言い分は受け入れ難いものだったに違いない。『護衛として筒姫に同行する』と言う形はあっても、巫鳥からすればお手付きと何ら代わりはない。
だからそう受けとるつもりだったのに、お手付きではなく単なる見学などと言い出す始末。
里で養育する子が良いように使われているとしか思えなかった。蔑ろにされていると感じ、巫鳥が目くじら立てたとしても無理はない。
それでもセンや霰の気持ちを尊重して承諾してくれたのだ。ありがたいと思う。
「センや、私は少し残るよ。涼飆さまの案内をしなくてはいけないから」
先に帰れるかしら?
そう問いかけられてセンは頷く。
「なら、先に行っていてね」
時雨と別れて社の門へと向かう途中、廊下の真ん中に白い蛙が佇んでいるのを見かけた。手の平ほどの大きな蛙で、センと目が合うと回れ右して跳ねていく。
追いかけてこないと分かると止まり、振り替えってゲコゲコと鳴いた。
その素振りが、まるで『ついてこい』と言っているようだ。
センは蛙に誘われるがまま後をついていく。
蛙は時々振り返ってセンがついてくるのを確認し、ピョコピョコと道案内をする。
センは、いつの間にか本殿の外拝殿、その手前の廊下まで来ていることに気が付いた。彼が雨女の里へ初めて来たときに、一度だけ足を踏み入れた場所だ。
女神の御前に勝手に入って叱られるのではないかと心配になったが、例の蛙は構わずに部屋の中へ入っていく。外拝殿を通り、内拝殿の更に奥。
唹加美神がおわす御簾の前へと跳び跳ねていった。
普段はその御簾の奥につながる、巫鳥だけしか立ち入りを許されない社に女神はいるらしい。何か特別なことがない限りはこちらへは現れない。
だから、てっきり今も御簾の向こうには誰もいないと思っていた。
「おい、蛙くん。そんなところにいると叱られるよ」
声をかけて分かるとは思えないが、そうせずにはいられない。蛙はそれを理解したのかどうか。
御簾を向いていた頭をこちらへ向け居直る。
目を瞬かせ、再びゲコゲコと鳴いた。
『お前がこっちに来い』そう言っているようにも思える。
「駄目だよ。内拝殿にはいれるのは巫鳥さまと唹加美神さまに許された人だけだから」
外拝殿と内拝殿を区切る段差まで近づいて、御簾の前に居座る蛙へ小声で話しかけた。でも、所詮蛙である。センは内心で謝ると、蛙を捕まえるために内拝殿へと足を踏み入れた。
さっさと捕まえて戻るつもりだったのに、蛙の前まで来たところで逃げられてしまう。よりにもよって、蛙は御簾の内側へと潜り込んで行ったのだ。
どうしたものかと狼狽えていると、御簾の向こうから鈴を転がすような笑い声が聞こえた。御簾の内側へ淡い光が点る。
御簾の奥に白い衣を着た人影が見えた。
桜貝のような臼桃色の爪。白魚のように細い指が、膝によじ登ってきた白い蛙を労るように撫でる。蛙は心地良さそうに目を瞑ってうずくまった。
「お使いご苦労さま」
センは固まったきり視線を手元に落とした。
咄嗟に、女神の顔を見てはいけない気がしたのだ。本当なら、こんなに近くに来てはいけないのだから。
「よく参りましたね。セン」
「あの、すみません。すぐに下がりますから」
「お待ちなさい。私が呼んだのです」
慌てて去ろうとするセンを女神の声が引き留めた。
センはあげた腰を再び落ち着かせ、居住まいを正すと頭を下げた。
「頼みがあって来てもらいました。そなたの従姉妹の事です」
『なんだろう?』センがそう思っていると、御簾のうちより白木の箱が差し出され、目の前におかれた。
箱の中には青い勾玉の首飾りが一つ置かれている。
「これを霰に着けるようにお願いします」
ただし、この頸玉が女神から賜ったことは伏せること。周りのものにも同じく話してはならないこと等を約束させられた。
「この首飾りは何でしょうか?」
悪いものではないのは分かる。
何せ女神から賜ったものである。でも、月の社の薬の件もある。念のためと尋ねてみた。
「霰の身を守る為のものです」
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