第4話

宇津田姫が、黒帝から夏宮行きを言い渡されてから幾日か経った。

あの日以来呼び出しはなく、表面上穏やかな日々が続いていた。しかし、そんな間にも夏宮訪問の準備は着々と整っており、武人然とした殺風景な姫の部屋には女人らしい衣装や装飾品が届けられるようになっていた。


姫として生を受けて以来、このように高価な衣や宝飾品を身に着けたことなど一度もない。宮を追われるにあたって、ようやく姫らしい姿を求められるとはなんと皮肉な事だろう。

子供のころであれば心躍らせたであろうこれらの品々も、黒帝の思惑を知った後では冷めた目でしか見られなかった。興味もなく侍女が整頓するに任せていた。


あの日、兄が誓った言葉は本当に実行されていた。

砦には戻らず、宮に留まっているようだ。あれ以来訪ねてくることはなかったが、廊下や庭から垣間見える話し合いの場でよく目にするようになった。

同じ城の中に味方がいる。そう分かるだけで、とても安堵できた。


夏宮へ行くことが決まって以来、宇津田姫はいないように扱われていたため、話し合いの場に呼ばれることはなくなっていた。悔しいが冬将軍との事がある。彼を信じて黙ることにした。しかし、他愛も無い雑用しか任せられていなかったにしても仕事がないと他にやることもなく、城のあちこちを散策して歩くしかなかった。


ふらふら出歩いているところを、他のものに見られたところで、近々追い出される城を名残惜しんでいるのだろうとしか思われない。

普段から腫れ物に触るように扱われてきた事もあり、それを気にすることもないのだが、不愉快でないといえば嘘になる。


「思惑通りに事は運んでいるようね」


そのように出歩いている時のことだった。

物陰で不穏な話し合いをしている場面に行き会ってしまったのである。


庭木の樹氷が立ち並ぶ向こう。

凍りついた滝が流れ込む池の畔にて黒い人影がみえた。風音に途切れつつも聞こえる声から一人が女人であると知れた。その人目を避けるような雰囲気に、宇津田姫は積雪の影に身を潜めた。氷柱が無数に下がる大樹の向こう、その女は立っている。

長く編み上げた青い髪をまとめ、輪郭だけの色のない瞳の少女は亀甲柄の衣をまとい、肩に漆黒の鱗をもった大蛇を巻いていた。


北の護り、玄武げんぶである。


「………開戦も間近ね…………見逃してあげてるの」


長い付け爪のついた指を肩の大蛇の胴に滑らせながら、玄武が伏せめがちに微笑む。見た目は幼さを残す少女にしか見えないが、南の守護である彩華に次ぐよわいと言われていた。

長い睫毛に縁取られた大きな目を瞬かせながら相手を上目使いに見上げた。己が愛らしいと分っており、それを利用する手管を知るものの素振りだ。


「まったく、…………黒帝が動いているというのに………止めも諌めもできないなんて。この宮には馬鹿と臆病者しかいないのね……」


玄武はしばらく沈黙し、何かに反応して鈴を転がすような笑い声をあげる。

どうやら宇津田姫から見えない木陰に相手がいるらしい。ここからでは相手の声は聞こえない。


それにしても驚いた。

北を見張るために天から遣わされた玄武が、黒帝の動きを見逃していたとは。

どうするつもりだろう。開戦ぎりぎりまで野放しにしておいて、ことを起こした途端天界へ報告するつもりだろうか?

そんなことをされたら、冬宮はどうなるのだろう?


ーー大変だ。何とかしなくては……


そう思った途端、兄の顔が浮かんだ。

彼ならなんと言うだろう。

黒帝を止めると言っていた彼は、このことを知っているのだろうか?

兄がいるであろう城の方を仰ぎ見た。


ふと、兄の声が聞こえたような気がした。

いや、実際に聞こえてくる!?


玄武のそばへ更に近寄った宇津田姫の耳に、彼女と話しているらしい者の声が聞こえてくる。


「使者が夏宮へ出立し次第始めるからな」


その声を聴き。宇津田姫は凍り付いた。


「罪な男よの。信頼厚き者まで謀のうちか」


悩まし気な表情で冬将軍の元へ近づくと、黒い鎧へ背をあずけて寄りかかる。男は妖艶ささえ漂わす少女の仕草に顔色一つ変えず、返って迷惑そうに眉間のシワを深くした。


「詰まらぬ。わらわの愛らしき姿に頬を染めるくらいの反応をしたらどうじゃ?」

「妙齢の娘を相手にするほど暇じゃない」


うんと年上であるはずの守護獣に対し、ともすれば挑発とも取られかねない台詞をはいたが、当人は『若い』と言われたようで悪い気はしなかったようだ。『娘?』と、言って玄武は楽し気に笑った。


「それはそうと、夏宮の姫はどうするのじゃ?」

「何も知らぬ姫独り、丁重にもてなしてお帰りいただくさ」


冬宮の雪景色でもご堪能してもらい、何も知らないままお帰り頂く。なに、平和な宮でで育った姫だ。大人しくこちらの言葉に従ってくれるだろう。


「そなたに惚れて残りたいといったらどうする?」


少し意地悪く笑みを浮かべて玄武が問う。

その問いを将軍は鼻で笑った。


「この面だ。深窓の姫なら逃げ帰るだろう」

「そうか? わらわは良い男振りと思うがな。まぁ、天帝さまには負けるが……」


そう言いながら、玄武は主の姿を思い浮かべたのだろう。両手の指を組み合わせて頬に当てる。恍惚とした表情で空を見上げた。そのさまを見て、冬将軍は付き合ってられぬと軽く首を振る。


「どちらにせよ、戦が始まってしまえばここには居られぬのだからな」

「まぁ、それもそうじゃ。じゃが、不憫よのぉ」


玄武は思わせぶりに言葉を区切る。


「何にも知らずに居るのはそなたの妹も同じであろう? 兄の願い通り夏宮へ行くのじゃな。帰ったころには……のう? そなたが主犯とも知らずに」


「何事にも犠牲はつきものだ。あれも姫ならわかってくれる」


宇津田姫は、積雪の影で青ざめた。

兄上は戦になることを知っていた? 知っているどころか、荷担している!?


そして何より驚いたのは、それを玄武が知っていながら黙認していると言う事実。


北の護りは天帝から冬宮の見張りとして送られてきたのではないのか?

ならば何故止めないのだ!?

この宮で戦を避けたいと思っているのは私だけなのか!?


眩暈めまいがしてよろよろと、されど気付かれないように庭園を後にした。

今は何も考えられなかった。

戦を止めたいと思っている者は、この宮廷に一人もいないと知り、足下がガラガラと崩れていくような衝撃を覚えた。


たった独りで何ができる。

悔し涙が頬を伝った。


なら、諦めるのか?

答えは決まっている。『否』だ。


考えろ。何かあるはずだ。

兄上に話を聞いたことを打ち明けて説得するか?

いや、駄目だ。彼が一度決めたことを覆すのは難しい。


他に無いか……。


そして、はたと気が付く。

もう一つの戦を避けられる可能性。


誰もいない廊下に俯いたまま立ち止まる。

やけに静かだ。窓から入り込む冷風が指先から体温を奪っていった。


でも、それは。

冬宮全てを敵にまわす裏切り行為となるだろう。


この地を戦禍から守るために、裏切り者の汚名を着るのか?


もし、それをしたとして、共に地獄に落ちる家族はいない。

独りである私だから出来ること。


ならば。


夏宮へ出向き、南の守護獣、鸞鳥の彩華に助力を乞う。


方角の護りをも組み込んだ企みなら、もうその国の中で企みを止めることは不可能だ。こちらはたった独り。声をあげたところで蟻が捻り潰されるように、いとも簡単に消されるだろう。ならば外から働きかけるしかない。

丁度良いことに宇津田姫は、近々夏宮へ赴くことになっている。


冬宮で過ごした日々の大半は辛いものでしかなかった。

それでも自分の国だ。守りたいと思う。


この身を引き換えにしても?


そう、この身を引き換えにしても。


私は『宇津田姫』なのだから。

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