第3話
それから数日後、今度は宇津田姫が黒帝に呼ばれた。
「夏宮の赤帝とお前の縁談が決まった。数日のちに夏宮へ向けて使節が出立する。用意せよ」
もう、対岸の火事ではなくなった。
火の粉は宇津田姫にまで及んできたのだ。
「なぜ私なのです!?」
「夏宮の要望だ。大切な一人娘を寄越すのだ。こちらも大切な娘を預けろと言われても文句は言えぬな」
嘘つきめ。大切なものか。
内心は厄介払いができたと喜んでいるに違いない。
他の宮へ嫁ぐ姫は《宇津田姫》の名を返上しなくてはならないのだから。
謁見の間にて、諸侯のい並ぶなか、怒りの声をあげるわけにもいかず、宇津田姫は手のひらに爪が食い込むほど握り締めた。
この国から私をそんなに追い出したいのか。
「お前には苦労かけるが、これも宮同士の結び付きを強く保つためだ。頼んだぞ」
例え今ここで拒否したとしても、総意である宮廷の決定事項が覆るはずもない。ことごとく黒帝の思惑通りに踊らされるしかない身を恨めしく思った。
「承知いたしました」
震えそうになるのを押さえ、何の感情も見せない声が
承諾を告げた。
静かに燃える憎しみの炎を瞳の中でくすぶらせ、踵を返して謁見の間を後にする。視界に映る臣の群れは誰もうつむき、彼女と目を合わせる者はいなかった。
……くそ。くそ。 くそ!
どうにもならない怒りを抱え、宇津田姫は雪の積もった城の中庭を突っ切る。
爪先にかかる雪を蹴りあげた。
どうして自分はいつもこうなのだ!
家族をなくし、家を逐われ、ようやく自分の手でつかんだ居場所から引き離されたうえに、今度は冬宮まで逐われようと言うのか!
人生をまっすぐ歩きたいだけなのに、いつも誰かの邪魔が入る。
私はどこまで不運に見舞われれば良いと言うのだろう!
佩刀を抜き払い、枝ぶりの良い松に切りつけた。
一刀両断のもと片側の枝が削ぎ落とされる。
「黒姫」
冬将軍の声がした。
振り向けば、深い積雪の上に残された宇津田姫の足跡を追ってきたようだ。いま彼女は怒りと悲しみでひどい表情をしていた。誰も近寄るなとでもいうような刺々しさを隠しもしなかった。
「まだ、こちらにいらしたのですか」
「あぁ、謁見の間にもいた」
「ならお聞きになったでしょう! 帝は私をこの国から追い出すおつもりだ! 私が思い通りに傀儡でいないから目障りなんだ!」
「落ち着け、そう怒鳴るならしくもない」
「落ち着け? これが落ち着いていられますか!」
溜まりにたまった怒りが今、臨界点を迎えたのだろう。
宇津田姫は、はらわたの煮えくり返るような思いを兄へぶちまけた。
「兄上ならばもうお耳に入っている事でしょう。
父上は過去の過ちをもう一度繰り返そうとしています。それも近日中に! 気が遠くなるような歳月をかけ修復してきたこの地をまた戦火にくべようというのです。
でも、この宮の臣にそれをいさめる者がいない! 私は止めたくて、何度も何度も父上を諌めようとしてきたのに……」
熱く悔し涙が頬を伝った。傷を負った獣の咆哮のように吐き出される思いを、静かに受け止めていた兄は、いたわるように妹の手を取った。
「止めてください兄上。何とかしてください。私がここを去ってしまったら、あなた以外誰がこの国の良心足りうるのです」
「分かった。大丈夫だ」
嗚咽をかみ殺して言葉をつなぐ宇津田姫の背を、黒髪を、将軍は落ち着かせるように優しく撫でた。彼がこのように人に接することはまれだ。そこに部下と上司の姿はなく、妹をぎこちなく労わる兄の姿があった。
「そう泣くな」
この地を良くしようといかに知恵を絞っても、まったく手ごたえのない日々に身をすり減らしていた姫は、いつの間にか泣くほどに追い詰められていたのだ。
「砦を出て、宇津田姫になってから、この腐った宮廷でよくぞ持ちこたえてきたと思う」
たった一言の将軍のねぎらいが、宇津田姫を落ち着かせていった。
「だが、今のお前には少し休息が必要だと思う。夏宮のようすを見ながら少し休むといい」
「兄上まで私に夏宮へ行けとおっしゃるのですか!?」
手を振り払い、涙で赤くなった瞳で兄を睨みあげる。
そんな妹に冬将軍はゆっくり言い聞かせるように提案する。
「お前が夏宮へ行った後も俺はここに残る」
「兄上が宮廷に」
「あぁ、奴の良いようにはさせないと誓おう。だからお前も夏宮へ行き、赤帝が挑発に乗るような男かどうか見てきてくれ。できれば冬宮の印象が良くなるように働きかけ、不穏なうわさがうわさに過ぎないと払拭してきてほしい」
これ程、力強い味方がいるだろうか。
宇津田姫は再び泣き出しそうになるのを懸命にこらえた。
「好むと好まざると、俺はいずれ黒帝になるだろう。
そうなる前に、本腰を入れてここをどうにかしなくてはならん。お前ひとりが憂いているなどと勝手に背負うな」
「はい。兄上」
「分かったら夏宮へ行け。それと戦の件はしばらく伏せろ。泳がせるつもりで見逃しておけ」
宇津田姫は袖で乱暴に涙をぬぐうと頷いた。
聞き耳を立てられてはいないかと辺りを伺っていた冬将軍は、これで話は終わりだと告げるように姫と目を合わせた。と、不意に破顔した。
「なんて顔してんだお前は、まるで小娘だな」
ぐしゃぐしゃと妹の頭をなでる。
「止めてください。兄上だって孤軍粉塵、宮廷でもがけば私の気持ちが分かりますよ!」
怒って兄の手を振りほどく。
そのようすを見て彼はまた笑った。
「もう、大丈夫だな?」
「大丈夫です。兄上に頼まれたこと、ちゃんと果たしてきます」
「頼んだぞ」
冬将軍は来た道をゆっくり戻っていった。
その背を見送りながら、宇津田姫は久しぶりに穏やかな気持ちに満たされていた。
空を重く塗りつぶす雲から、灰雪がちらつき落ちてきた。おろしの風が庭木の持ち雪を舞い上げても、少しも寒いとは思わなかった。
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