第2話
宮の象徴であり、一柱として政にも加わる権利さえ持つ《宇津田姫》。
たとえ疎まれていたとしても勤めは果たそう。自分にできることを一心に続けていれば、いつか父も認めてくれるはずだ。
そう思い、朝廷に挑んだのだが。その思いはすぐに砕かれることとなる。
裏から手をまわされ、宇津田姫の意見はことごとく潰された。采配を振るうことを黒帝が許さなかったのである。彼の不興を恐れ、姫を後押しする者は一人としていなかった。
《雛壇のお飾り》それが宇津田姫に唯一許された役目だった。
重圧に折れそうになっていた時、声を掛けてきたのはかつての上官 《
「か弱くなったものだな黒姫。砦にいたときの威勢はどうした?」
銀狼の襟がついた
短い黒髪を後に流し、冷え冷えとした一重の目は少しからかうように見開かれていた。狼のように引き締まった勇ましい顔がわずかに笑う。
「先月の《
「兄上」
冬宮の現東宮。彼は次期黒帝となる。
文武共に優れた冬宮の皇子は、自ら進んで軍に身を置き、宮から離れた魔風穴の見張り砦に常駐していた。
かつて彼の上には腹違いの二人の皇子がいた。
それゆえ、自分は跡継ぎになることはないと考え、軍に入ったと聞いている。
しかし、何の星の巡り合わせか。
数年前の《
「置物の代わりが飽きたら戻ってこい」
切り捨てられぬ
そう言って口の端に笑みを浮かべる。
右目の下に残った傷跡や、ともすれば睨んでいるようにみえる鋭い目など、初めて会う者からの評判はよくない。黙って立っているだけで相手を萎縮させるような雰囲気を持っていた。宇津田姫でさえ、最初に会った頃は緊張したものだ。
「苦労しているようだな。己を腐らせる前に、うまく距離をとることを覚えた方がいいぞ」
日頃口数少ない将軍が、今日はどういう
彼なりの気遣いなのかもしれない。
「それでも、留まって内部を変えていかなくては。悪くなる一方ではないですか」
南へ戦を仕掛けようと言う動きがあること、冬将軍なら知っているのではないですか!
その声が喉まで出かかった時、将軍が別の話を振ってきた。その内容に、怒気を削がれて宇津田姫は思わずすっとんきょうな声をあげた。
「はぁ?」
「だからだ。俺は見合いをすることに成ったらしい」
いつもなら、魔風穴の見張り砦に引っ込んで、宮廷には顔も出さない将軍がここにいるのを不思議だと思っていた。昨日黒帝から強く出廷を命令され、何事かと来てみれば。
「天の取り計らいで夏宮の姫君との縁談が持ち込まれた。この俺にな」
疲れたように空を見上げ、白いため息をつく。
いつもの癖か剣の柄を押さえる。宇津田姫はどう言葉をかけたものやら迷いつつ、それでも兄にとって目出度いことだ、一言祝福はすべきであろうと口を開いた。
「は、あの……。おめでとうございます」
それを聞いた冬将軍は、腹のそこから響くような笑い声をあげた。宇津田姫が何かおかしな事をいってしまっただろうかと不安になってきた頃、一頻り笑った将軍は妹に向き直った。
「少し困った事態になるだろうな」
「それは、夏宮がすんなりその話を受け入れるとは思えません。先々代の黒帝の御代に和解したとはいえ形ばかり。親睦を深めぬまま突然縁談など」
「そればかりではあるまいよ」
「えっ?」
「まぁ、気にするな」
冬将軍は意味ありげに笑ったが、深い意味は言わなかった。
城壁の見張り場から挑む景色は白一色で、そびえ立つ山の積雪の剥げた岩肌が黒くみえるだけだ。薄曇りの空に風花が舞う。北風が、寂しげに笑む姫の横顔を縁取る髪を揺らした。隣に立つ将軍が姫の背をパンと叩き気合いをいれる。
「良いか、一度しか言わぬ」
そう前置きをして、視線を城壁の外へ向けながら言葉を続けた。
「黒姫、俺はお前の真っ直ぐなところを好ましく思う。腕がたち、傲らず、努力家なのも認めるところだ」
彼女が軍に身を置く覚悟をし、見張り砦に送られたとき、上官として初めて彼と対面した。その後、数年間部下として仕え鍛えられた。
将軍が黒帝の子であることを知ったのは、東宮として宮廷に迎えられたときだ。彼は己の出自を語らなかったし、宇津田姫も聞いたりしなかったので分かったときは驚いた。
冬将軍とは血筋で言えば従兄弟にあたる。
現黒帝の兄の娘であった宇津田姫が、後に養女に迎えられ兄妹になった。
しかし、その実感はなく。
今も上官と部下の関係が抜けないでいた。
その時の名残のひとつとして、冬将軍は宇津田姫を未だに《黒姫》と呼んだ。
黒姫とは彼女が砦にいたときに付けられた通り名である。魔物の蔓延る山の雪原で、舞うように剣を使う彼女を見たものが口々にその名を呼んで称えたのだ。
宮の色、黒い甲冑を着た姫。黒姫と。
「お前には揺るぎない価値がある。それを忘れるな」
お前を貶め踏みにじる者が居たとしても、その価値まで消すことはできない。
「胸を張れ」
「はい」
この人が兄でよかったと思う。
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