冬宮にて

第1話

磨き抜かれた黒い大理石の床が、逆さまに世界を写し出す。部屋の両脇に金や螺鈿で花や幻獣の象篏が施された黒い柱が複数並び。その左右対照に列をなす先、重厚な玉座が設えられている。

ここは冬宮の謁見の間である。


その玉座の手前にて、ふたりの人物が話し合いをしていた。人払いがされているらしく他には誰もいない。


「どうかお考えを改めてください」


甲冑に身を固めた乙女が黒帝の裾をつかみ何事か懇願していた。ただならぬ気配のなか、裾をつかまれていた帝は忌々しげに顔を歪める。


「お前は黙って従っておれば良いのだ!」


つかまれた裾を取り戻すべく乱暴に振り払い、一段ばかり高くなった檀にあがる。黒帝は重々しい黒曜石の玉座にに身を沈めた。裾を払われた女騎士はからになった手を握り締め、悔しげに唇を噛み締める。これまでに何度も父を諌めようとこの話し合いを繰り返えしてきた。その度に悲しいまでの虚しさが込み上げる。

父上に私の声は届かない。


それでも引き下がるわけにはいかない。

御前に膝をつき更にいい募る。


「先の戦より信頼は失われ、国も大きな痛手を受けました」


これまでにどれだけの民や臣が報われぬまま再建に心血を注いできたか。知らぬわけではございますまい。先々代になってようやく落ち着いてきたと言うのに。また、同じ轍を踏むと仰るのですか!


雪原に懸かる月のように色の薄い青い瞳を静かに燃え立たせ、青み帯びた黒髪の騎士は帝に詰め寄った。


(生意気な奴め)


黒帝は、この娘の顔が嫌いだった。

雪国特有の色白い肌、細面に通った鼻、そして意思の強さを感じさせる眼光の強い瞳。

自分のすること成すことに一々賢しらさに口出ししてきた兄に似ている。何もかも自分の方が上だと言わんばかりに振る舞ってきた彼奴の顔に。


「父上っ!」


「えぇいっ! 煩いっ! その間冬宮がいかに蔑ろな扱いを受けてきたかお前も知らぬわけではなかろう!」


聞く耳持たぬといった様子で再び椅子から立ち上がると、荒い足音を立てながら『もう話すことは無い』と部屋を出て行った。娘は立ち上がり、すぐさま父の後を追おうとして止めた。今追いすがって諫めたとて、話は聞いてもらえまい。


「宇津田姫さま」


部屋の外で控えていた侍女が気遣わしげに声をかける。


「大事ない。心配するな」


言葉とは裏腹に情けなさに涙が滲む。

なぜ、この後に及んでまた戦を招くような事をするのか。寒さ厳しい北の地である。国が疲弊すればすぐさま餓えと寒さが人の命を奪い尽くす。それでなくともこの国には魔風穴が空いていると言うのに。


毎月のように魔窟から溢れる魔物は、この国から確実に人と蓄えを削っていった。だからこそ、立ち直るのにこれほどの時間がかかってしまったのだ。


国を豊かにし、宮を堅牢にするのは、他の宮の土地を奪うためではない。

戦を起こす前はもっと豊かな暮らしを育めていたと伝え聞く。土地や民を慈しめば、隣国と国交を深めることができれば、他の土地を望まずとも自力で栄えることは可能なはずだ。


「それなのに……何故争いを選ぶ」


「姫さま。あまりお父上に意見するのは……」

「分かっている」


本来であれば《宇津田姫》を名乗ることはなかった。

身分の低い母から生まれた彼女の立場は弱く。重ねて早くに後ろ楯の父--現黒帝の兄--を亡くしてからの困窮はひどかった。後宮という檻の中、蔑まれ苛められて母は亡くなった。


独り身と成った彼女はそれを機に宮を出て騎士を志す。

後宮で頭を押さえつけられて生きるより、砦で魔風穴の化け物と対峙していた方がいいと思ったのだ。

しかし、この判断が吉とでる。姫が宮を後にした数日後、魔風穴より捕り逃した魔物に後宮が襲われて壊滅したのだ。災禍を免れた姫は彼女独りだった。


それから数年。

武を磨き、やがて《黒姫》と恐れられるまでに成長した彼女に転機が来る。

《宇津田姫》の名を受け継ぐ姫に恵まれなかった黒帝が、彼女を宮へ呼び寄せたのだ。


されど、彼女の不遇は続いた。

なぜか分からないが、父となった黒帝は宇津田姫を嫌ったのだ。


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