第4話

約束の時まで未だ日がある。

センは朱上皇の食客として暫く遇されることとなった。


とは言え、上皇は常に忙しい身である。

センを四六時中構っているわけにもいかない。筒姫にしろ、炎帝にしろそうだ。宮の者総出で『筒姫の出立』、『宇津田姫の来訪』にあわせて準備を整えていた。

センの付き添いで来たはずの霰でさえ、人手が足りぬと引っ張られていく始末だ。


センは、手持ち無沙汰を紛らわせようと、庭の外れにある的場へ出掛けた。


愛用の波崩し(ナミクズシ)を携え、簡素な俵で作られた巻き藁の前に立つ。

白銀の龍の模様が施された複合弓は、秋宮で牧狩りが催されたおり、乱入した災厄山津波を弓の達人である羽廾の手を借りて退治したときに、白帝から賜ったものである。

それ以来、波崩しと名がついた。


その後、羽廾の弟子と認められ、月へ何度か教えを乞いに訪れている。羽廾は月に預かりとなっている《薬師さま》に仕えているため、滅多に四季の宮へ降りてこないのだ。


的を射ては遠ざかり、また射ては距離をあける。

それ以上後ろへ下がれない位置まで移動した頃声がかかった。


「さすがは羽廾さまの弟子だな」


声のする方へ振り替えると、軽装の炎帝が数人のお供をつれて戸口に立っていた。日頃燃え立つような紅の正装に身を包んでいるため、見間違えかと思った。

今日は落ち着いた青い闕腋袍(ケッテキノホウ)を着ている。


「ありがとうございます」


センが場所を空けるために去ろうとすると『少し付き合え』と止められた。


「馬を走らせようと思ってな。見かけたので声をかけた」


何処に行くにもゾロゾロと付いてこられて困ったものだ。これでは静かに考え事もできぬ。


「羽廾さまの弟子と炎飆がいるのだ。少し馬を駆る間控えてくれ」


お着きの侍従は不満そうだったが、炎帝は意思を変えるつもりはないと諦めたようで、承諾の礼をとると控えた。炎帝はすぐに戻ると言いセンを伴って的場を後にした。


それから二人は、牧の手前の川まで馬を駆った。

合歓木の陰に駒を繋ぐと、幹を背に座り込む。


「すまぬな。お主とて大切な時期であろうに」

「いえ、夏宮の皆様には助けてもらいましたから」


そう言うと炎帝の強い瞳が僅かに和らいだ。

見慣れぬ衣のせいなのか、それとも、いつも緊張するあの豪奢な謁見の間にいないせいなのか。

炎帝のまとう雰囲気が穏やかに感じられた。


「お主兄弟はいるのか?」


時雨の顔が浮かび、次に人の世に暮らす家族の事を思い出した。兄弟はいた。でも今は。


「従姉妹がおります」

「そうであったな。筒が連れ回している女童であろう?」


筒姫は自分より年下の娘を構うのが好きらしい。

下の兄弟がいないせいかも知れないと炎帝が苦笑を浮かべた。


「重てすまぬな」

「霰も姉が出来たように喜んでいますよ」


霰も共に育ったのは男兄弟ばかりだった。

だから筒姫と娘らしい遊びをしたり、話に花を咲かせるのが楽しいらしい。それに姫の人柄が彼女の警戒心をすっかり解いてしまったようだ。この頃はセンの側に居ることの方が少なくなった。

寂しいような、ホッとしたような複雑な心地である。


「後三日……」


出立の日を思ってか炎帝が呟く。

『お前が守りなさい』苦しい枕元、病に伏せる母から託された言葉だ。それからずっと妹や父を守ってきたつもりだ。もうすぐ妹に婿を見つけてやるべきだろう。そんな相談が父の口から聞けるようになったこの期に及んで。

危険にさらさねばならぬとは。


「セン。どうか妹を頼む」


自分が行けたらどんなに良いか。

しかし、彼にも背負うべき立場と言うものがある。気軽に他国へ行って良い身ではない。


「いざと言うときは守ってやってくれ」


護衛もつける。賢い侍従や侍女も連れていく。

されど、一番近くに居られて相手が油断する者、それはたぶんセンであろう。


「大丈夫です。お約束します」


家族を案ずる気持ちはセンにも良くわかる。


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