第2話

あれだけ騒ぎ嫌がっていたのに、短い間に腹を決めてしまった。そんな娘にかつての皇后の姿を見たような気がした。あれも剛胆な女だった。遠い日の妻の面影に朱上皇は思わず笑みが浮かんだ。


「筒は不知火に似てきたの」


嬉しいような困るような。


その時侍従が炎帝の来訪を告げる。

それと同時に少々疲れた様子の息子が入って来るなり筒姫の隣に座った。鈍色の銀髪に金の瞳、目の覚めるような赤い衣に身を包んだ炎帝は、背もたれに身を預けると天井を見上げた。


「筒、すまん。病を得たことにして日を伸ばすくらいしか思い付かぬ」


伸ばしに伸ばしてから、筒姫は体が弱いため東宮の妻には向かないと断りをいれる。されど、それでは後に来る婚礼の話に影を落とすやも知れぬ。そんな事を兄は心配していたのだ。


「お兄さま、筒は大丈夫」

「すまぬな。それでは早速先方に文を送るとしよう」


当然同意すると思っていたのか、意見が食い違っていることにすら気がつかない。『あとは宇津田姫の件か』と目頭を指で押さえている兄の手を筒姫が引いた。


「違うわ。私、冬宮に行ってきます」

「なっ!?」


安全か分からぬ所へ行かせられるかと、炎帝が髪を逆立てる。そうでなくとも、常夏でしか暮らしたことのない妹を、雪深く寒いところへ行かせるつもりはない。疲れで少々気が立っている兄を宥めるように筒姫は言葉を選ぶ。


「天帝の目が届いているのよ。無茶はしてこないと思うわ」


相手の話を聞き、宮の内部の様子を見なければ分からないこともあるはずよ。せいぜい深窓(シンソウ)の姫を装って、油断した相手から情報を集めてくるわ。


今断っても、相手に企みがあるとしたら、この後何度でも同じような申し出をして来る可能性はある。ならばこの際相手の腹を探るべきではないか。


「私も夏宮の姫よ。お兄さま」

「しかし……」


「炎、諦めよ。筒はもう腹を決めてしまったようじゃ」


わし等に出来るのは、筒が安全に行って帰ってこれるよう支援する事だけのようじゃの。

承服しかねる炎の肩に手をおいて、父は困ったように笑む。


「妹の頑固さはそなたに負けぬと思うがの」


腹を括るしかなさそうじゃぞ?

炎帝は苛立ちと諦めを含んだ深いため息をついた。


暫く後のこと、このところ姿を見なかった彩華が旅支度に忙しない筒姫のもとに現れた。


「お姫さま。頼まれていたセンのことちゃんと話つけてきたよ~」


『偉い? 褒めて~♪』と上機嫌だ。

余りピンと来ていない筒姫の表情に、彩華は姫が自分に頼んだことを忘れたらしいと察した。


「えぇ~。酷い! 私、虎に苛められながらお姫さまのために頑張ってきたのに~」

「ごめんなさい。もうそれ処ではなくて……」


準備する事はたくさんあるのに、気ばかりが急いて物事が上手く流れていかない。持っていく衣、連れていく侍女、調べられる限りの冬宮の慣わし、親善を表すための贈り物。手をつける側から、これで良いのかと言う思いに駆られる。


そして何より、筒姫の見合い相手だ。

聞けば聞くほど不安になる。


年のころは三十路前半、周りにも自分にも非常に厳しく、人生の大半を魔風穴(マフウケツ)に隣接する砦の守備に費やしているという。武術に長け、感の鋭いところがある。

氷山のように冷たい雰囲気を持ち、大変近づき辛い人物のようだ。


そんな人物に、初対面の姫はどう距離を詰めたものかと今から思い悩んでいた。


「ねぇ、彩華さま。《魔風穴》って何?」

「あぁ、冬宮以外の魔風穴は塞がれているからね」


『知らなくても仕方がないかなぁ~』と、頭をかきつつ説明された。

先の戦よりもっと前、この四季の宮が誕生するよりも前のこと。神々が地を平らけく安らけくした後に出来た、負の遺産と言われていた。冬宮のもっとも北に聳える山の中腹を穿つ大穴だ。


「魔風穴の正体は土着の古い神々が封じられ、あるいは殺された跡にできた《呪の穴》だよ」


命と引き換えの呪いが残されているため、払うことができない。そう言った場所からは闇から生まれる魔物が湧いて出るそうな。これと言い表せる姿をしておらず、意思の疎通さえできない厄介な穢れのもとだ。


ほとんどの魔風穴は閉じられていたが、一番規模の大きなこの北の風穴だけは塞がれずに残った。塞げば穢れが溜まってしまい危険だと判断され、開けたままにするしかなかったそうだ。月蝕や日蝕、新月の夜に魔物が出没するらしい。それゆえ、北の土地は武力に長けた者、冬宮の祖先たちに任されたと伝わっている。


「毎月戦をしているようなものだからね。強い人だと思うよ。冬宮の皇子も」

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