第6話

力輝はいつまでも待ってるとセンに告げ、虎の姿に戻り雲をまとうと、夜の帳が降りようとする夕空を駆けていった。彩華の方は既に遠く、体の羽を赤銅色にきらめかせながら夕焼けの雲に紛れようとしている。

影の落ちた竹藪に馬を迎えに行きながら、センは浮かない顔の霰を気にかけていた。


「雨女になれない娘は、里に居てはいけないのかな」


ポツリと背後で呟いた。

力のない養い子はたとえ娘でも里には残れない。そう聞いていた。


「まだなれないと決まった訳じゃないだろ?」

「でも、周りの子は皆出来るのに私だけが出来ない!」


まだ才能が開花していないのかもしれない。

コツをつかめていないだけかもしれない。

でも、でも、でも。でも……。


不安でたまらない。

当然そうなると思っていたことが、そうはならないと思うだけで、不安でたまらなかった。


気付けば霰はポロポロと涙をこぼしていた。

かか様が育てた娘はみんな雨女になったと聞いている。なのに何故自分だけが。

そう思うと惨めな気持ちでいっぱいになった。


センは思わず年下の従妹の頭を抱き締める。


「霰、こだわる必要はないんだよ。皆それぞれなんだから」

「セン兄さまには分からないよ!」


その手を振り払い、霰はセンを突き放すように押した。俯いて拳を握りしめながら、涙声を揺らす。


「雨を降らせられるセン兄さまには、私の気持ちは分からない!」


センの反応を待たず、霰は踵を返すと家の中へ駆け戻ってしまった。ピシャリと戸の閉まる音を聴きながら、センは詰めていた息をゆるゆると吐き出す。


--知られていたのか。


静かな裏庭に、竹の葉が風に擦れ合う音がざわめき響いていた。


**


黄昏時の薄暗い道を、手綱を緩め、馬が勝手に家に向かうのに任せて、センは鞍の上で物思いに耽っていた。


彼がこの里に来て暫く経った頃。

里の畑に大きな虹が掛かった。突然降りだした天気雨に、仕事をしていた大人達は、畦道で遊ぶ子らの悪戯だろうと言って笑った。


子供たち、特に少女たちは、誰が降らせたのかと尋ねあって騒いだが、結局誰の仕業かは分からなかった。誰も名乗り出なかったのだ。


この時から、畑に虹を作る遊びは子供たちの定番の遊びになった。水を撒くときに畑で作業している大人たちも雨を降らせるので、特に止められもしなかったからだ。


畑へ最初に虹をかけた子供。

それはセンだった。


共に遊んでいた子供らは、雨を降らせることができるのは当然女の子だけだと思っていたので、男の子に尋ねたりはしなかったのである。


この時センは、自分に雨を降らせる力があることを知った。


けれど、男の雨女など聞いたこともない。

初めは嬉しかった気持ちも徐々に萎んでしまい、異端である自分に不安を覚えるようになった。

それで、自分のことは伏せ、年上の従兄弟たちに尋ねてみた。結果聞いたこともないと笑われた。


それからセンは、自分の力のことを伏せた。


もしかしたら、気まぐれに現れた力かもしれない。

そう思い、ひとりで狩りに出掛けたときに試しているのだが、力は消えるどころか強くなっていた。


初めは霧雨ていどの雨だったものが、今では夕立のような雨を降らせることができた。


たぶんその姿を、自分を追ってきた霰に見られたのかもしれない。


ふと気が付けば、いつのまにか馬の足が止まっていた。物思いに耽っているうちに、馬場の厩の前に着いたらしい。鞍から降りて戸を開け、馬房に馬を入れる。鞍をはずしていると入り口に人影が現れた。


「セン」

「かか様」

「遅いから迎えに来たよ」


鞍から下ろした獲物をみて、時雨は見当を付けたのだろう。『狩りに行ってきたの?』と、聞かれた。


厩の外は既に日が暮れて、見渡す限りの風景が未だ浅い闇に青く沈んでいた。夜の静寂 しじまに月が懸かる。


「麓の狩り場に行っていたよ」


厩を閉めながら、途中霰の家に寄ったこと、神獣に会って可愛らしい菓子をもらったことなどを打ち明ける。


夕食時、大道に人気はない。

立ち並ぶ家の窓には明かりが点り、時おり子供の発する甲高い笑い声が聞こえた。宵の風に混じり、お腹を空かせる匂いが漂うなか、月の光に淡く表された二人の影が路上に長く伸びている。

その後ろに従うように、センと時雨は道の真ん中を歩いていた。


「何処に行くか決めた?」

「まだかな」


巫鳥に急かされている事は知っている。

けれど、時雨はセンを急がせるようなことは言わなかった。センはそれを申し訳ないと思いつつも、もう少しよく考えたかった。


「彩華さまに筒姫の付き添いを頼まれたよ」

「行くの?」


何故とは聞かれなかった。

もしかしたら、時雨は筒姫から既に事の顛末を聞いていたのかもしれない。


「行くよ。今度はおれが助ける番だもの」

「そう」


元々口数の少ない時雨は、それ以上口を開くことはなく。ただ、黙ってセンの手を取った。手をつないで歩くのは少し照れ臭くもあったが、振りほどくような事はしなかった。


時雨に自分の力を打ち明けて、里に残りたいと言ったら何と言うだろう?

ふと、そんな考えが頭をよぎった。


時雨は自分を見ている視線に気づき、笑みと共に問いかけるような視線を寄越した。センはそれをみて視線を落とし、何でもないよと首を振った。


たぶん『そう』と一言だけ言って、時雨はセンの味方をするだろう。彼を人の世から此方の世へ連れてきたときのように。


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