第5話

「あら、時雨ちゃん」


控えの間から出てきた時雨は、丁度人の世から戻ってきた春霖しゅんりんに出くわした。にわか雨は毎日降らせるわけではないので、少し休憩に戻ってきたのだと言う。


「今回は伴い子はいないのね」

「もう、時雨ちゃんまでそんなこと言うの?」


全く、いったい何人に同じことを言われるのかしら?

少しうんざりと言ったようすでため息をつく。そんな姉の様子に、時雨は笑みを浮かべた。


「笑うことないでしょう」

「ごめんなさい」


路頭に迷う子を見れば、春霖は迷わず連れてきただろう。それが一人も見つからなかったのだから、こんなに良いことはない。


「今年の実りは期待できる?」

「えぇ、どこの田畑も力強く青々としているわ」


迷い子が出るのは決まって大地の恵みが薄いときだ。

一人も見かけないと言うことは、去年に続き、今年も実り豊かな年になるのだろう。

それが一番良い。


「でも、霰ががっかりしちゃうわね」

「やっぱりひとりは寂しい?」

「センもそろそろ里を出る年頃でしょう? それで益々ね」


兄妹が多いのは当たり前。

そんな環境で育ってきたのだ無理もない。


「それにね。霰は少し焦っているの」

「何を?」


里の外れには畑が広がっている。

四季の宮からの返礼に毎年米などは送られるものの、新鮮な野菜はそうもいかない。それで里の物として畑を作り、引退した者や、まだ出番ではない雨女、少し大きくなった子供たちで面倒を見ている。


その畑に水を巻く遊びが、子供達で流行っているらしい。雨女の才能が早く花開く者もなかにはいる。そんな女の子たちが、畑に天気雨を降らせるらしい。

虹を作って眺めるのだ。


周りの子が次々に才能を開花させるなか、霰だけが雨を操ることができなかった。


その事が彼女を密かに追い詰めていて、この頃は雨女になることに執着する余り、少し頑なになっていると言う。遅咲きの者もいると励ましてみたり、それとなく雨女以外の道を示してみても、黙り込むばかりで困っているそうな。


「時雨ちゃんは、最初に降らせた雨を覚えてる?」

「最初に降らせた雨?」


覚えていない。

初めて自分にそんな力があると分かったときは、嬉しかったろうし、驚きもしただろう。けれど、それがいつどんな所だったのか。

そんなもの、もう昔過ぎて思い出せない。


「私も思い出せないのよ」


最初の感覚を上手く教えてあげられたら、少しは参考になったかもしれないのに。年を取るってこう言うことなのかしら。若い頃の感覚がどんどん分からなくなるなんて嫌ぁね。


春霖が力ない声で笑った。


「あの子には、もう少し広い世界が必要かもしれないわね」


このままでは、小さく縮こまってしまいそうな気がして。けれど、霰に広い世界を見せるには、どうしたら良いのだろう。


「私の勤めが一段落ついたら、霰を連れて四季の宮へ出掛けて来ようかしら」


色々なものをみれば、彼女の考え方もまた変わるかもしれない。そうなれば良いと言う、淡い期待にすぎないのだが、思い悩んで塞ぎ込まれるよりは良いような気もする。


「何が正解なのかしら。何度親になっても分からないわ」


こういう時、情けなくなるわね。と、眉尻を下げる春霖をみながら、時雨は何処か安堵していた。誰もが思い悩むものなのだと分かったから。春霖でさえ悩むのだ。


時雨は自分のことならすぐに決められる。

困ったことがあっても、自分で考えて切り抜ければ良いのだ。駄目なら次を考えれば良い。


でも、センの事となるとどうだろう。

センのために一番よいと思って自分がしていることは、本当に彼のためになっているだろうか?


たまに不安になることがある。

センの幸せは、センにしか分からないのだから。


だからこそ、常に語り合い確かめなければならないと思う。けれど、黙り込まれてしまったら、どうやって確かめたら良いと言うのだろう。


心のなかは見えないと言うのに。


「嫌ぁね。愚痴っぽくなってしまったわ」


春霖は、湿っぽくなった空気を振り払うように手を振ると、いつもの微笑みに戻った。


「さぁ、帰らなくちゃ。家で霰が待ってるわ」


貴女もそうでしょう? と、春霖は時雨の背を軽く押して歩きだした。

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