雨女の里にて

第1話

 山裾に広がる野に、馬を駆る少年の姿が見えた。

 垂れ髪みを一つにくくり、小袖袴こそではかまの男の子は、馬上にてキリリと弓を引く。矢は鋭く飛んで前方の芦原から飛び立つ鴨に当たった。


 鞍前には、すでに二羽の鴨が括られている。

 馬を降り、射た鴨を拾いに行くと、何処からようすを伺っていたのか振り分け髪の少女が現れた。


 花輪をかぶり、山吹色の小袖を着たその少女は、ぱちぱち手を叩いて少年を褒め称える。


「セン兄さま凄い!」

あられ、狩り場に来たら駄目だろう」


『矢が当たったらどうするの?』と、年下の従姉妹いとこを叱る。霰はセンの養い親、時雨の姉の子である。

 霰もセンと同じく雨女の養い子だ。


「大丈夫よ。此処ここには兄様しかいないもの」


 ねたように口を尖らせて霰は腕を組む。

 霰の遊び相手であった下の兄は、一昨年冬宮へ入った。その上の兄はそれよりも前、センが里に来た翌年には春宮へ仕えている。

三つ年下の従姉妹は兄弟が居なくなって寂しいのだろう。年の近いセンの後を追ってくるようになった。


「おれの放った矢が、当たるかもしれないだろ」

「兄さまは間違えたり、狙いをはずしたりしないもの」


兄妹喧嘩きょうだいげんかかい?」


 いつのまにか茂みの影に、センよりも少し年上くらいに見える若武者が立っていた。銀の鎧に虎皮を腰に巻いた姿は、女子供ばかりのこの里では大変珍しい。


力輝りきさま、また遊びに来たの?」

「あれぇ~。歓迎されてない?」


 この若武者は、西の護りとして天帝から使わされた白虎である。センが秋宮を訪れたさい、色々とあって知り合いになった霊獣だ。


「だって、力輝さまは『兄さまを連れていってしまう』って皆が言うんだもの」

「えぇ~駄目かなぁ?」

「駄目っ!」


 霰は険しい顔で、センと力輝の間に立ちはだかるように両手を広げる。苦笑いを浮かべた力輝に、空から笑い声が降ってきた。見上げれば、瑞雲をまとった大きな美しい鳥が空を舞っている。清み渡るような声で一つ鳴くと、くるりと回転して人に姿を変えた。風をはらみ、ふわりと地上に降り立つと霰の頭を撫でた。


「お兄さんを虎から守るなんて勇敢だな~。偉い偉い」


 背まで垂れた黒髪に、白拍子のような朱色の狩り衣を着て、娘のように整った顔を綻ばせている。そんな見目麗しい若者に頭を撫でられ、さっきまでの勇ましさはどこへやら。霰は赤くなって俯いた。


彩華さいかさま。いらっしゃい」


 指を弄びながら、ごにょごにょと歓迎の言葉をのべた。

 霰の変わりようも仕方がない。


 南の護り鸞鳥らんてうである彩華は、その麗しい容姿と、女人の扱いに慣れた振る舞いで、若い雨女たちに絶大の人気を誇っていた。とは言え、面倒くさがり彼は滅多に夏宮を離れたりはしない。必要以上の仕事は煩わしいとさえ思っているようだ。


 お陰で若い雨女が彼を追いかけるようなことはない。

 ないのだが、ここ数日雨女の里に通ってくるため騒がしくなっていた。


 雨女とは言え若い女人なのである。

 素敵な人がいれば憧れの視線を送ってしまっても仕方のないことだ。しかし、その秋波しゅうはが巫鳥を不機嫌にさせている原因の一つでもあった。


 『唹加美神に仕える巫女が、殿方に懸想けそうするとは何事か』と。


「今日はおやつを持ってきたよ~。みんなで一緒に食べようね~」


 風呂敷に包まれた重箱を見せた。


「俺も持ってきたのに」


 競うように力輝もお重を差し出した。

 けれど、霰は彩華の持ってきた鮮やかな主菓子に目を奪われてしまい、こちらの話が耳に届いていないらしい。


「わぁ~。綺麗!」

「なんか対応が違いすぎてガッカリしちゃうよなぁ」


 霰の扱いの違いに力輝は肩を落とした。


「実力の差でしょ~」

「おじじの癖に」


 余裕を見せる彩華に対し、力輝はぶつぶつと小声で悪態をついた。

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