雨音く

縹 イチロ

序章

 唹加美神おかみのかみやしろのうち、巫女みこたちの控えの間にて時雨しぐれはもう何度目になるのか、巫鳥しとどの問いを受けていた。


「そなたの養い子は、いまだに仕える宮を決めあぐねているのか?」


 養い子とは、センのことである。

 彼が八つの時、人の世から時雨がともってきた少年だ。本来なら、こちらの世へ迎えられるのは七歳までと決められている。それを二つ齢を減らすことにより、留まることを許された異例の子である。


 雨女の里へ伴ったとき、雨女のまとめ役であり、巫女のおさたる巫鳥は余り良い顔をしなかった。それでも、唹加美神の鶴の一声で、渋々ながら里へ入ることを認めたのだ。


 そのセンが、もうすぐ十二になろうとしていた。


 雨女の里では十二歳になると、女子おなごは雨女となるべく養い親について修行を始める。そして、男子おのこは自分が仕える先を四季の宮、もしくは他の神の社に見つけなければならない。


 唹加美神に仕えられるのは、巫女となれる女人にょにんだけ。

 女神の治めるこの地へ留まれるのも女人と子供だけ。それゆえ、十二を越えた男子は、里を出なければならない。そんな、昔からある仕来りなのだ。


「申し訳ございません。まだ決められずにおります」


 これもまた、幾度となく繰り返した答えだ。

 それを聞いて巫鳥は疲れたようなため息を漏らした。

 この年嵩としかさの巫女は、センの行く先にさほど関心を寄せている理由わけではない。養い子の身の振り方は、養い親と当人の問題であって、余程のことがない限り、いかにまとめ役であろうと口を挟むべき問題ではない。

 巫鳥はそう思っていた。


 それを再三急かしているのには理由がある。


「あのように霊獣が出入りするのは例にない事じゃ。早くなんとかしておくれ」


 夏宮の守りである鸞鳥らんてうと、秋宮の守りである白虎が、このところ頻繁に雨女の里へ出入りしているのだ。


 黄海に面した大鳥居は、よこしまな者は通さないため心配はないのだが、力ある霊獣にこうもうろうろされ、巫鳥としては落ち着かないらしい。


『ようすを見に来た』、『遊びに来た』などと、建前上の理由をつけては、自分のところの宮を選んではくれないかと、センのもとへご機嫌伺いに来ているのだ。


 どういった経緯でそれほど親しくなったのか?

 細かいことは巫鳥は知らないのだが、どうやらセンは、《夏宮》と《秋宮》の姫君にいたく気に入られているようなのだ。

 それで、二つの地をそれぞれ守護している霊獣が、その姫君たちに背っ突かれてようすを見に来ているらしい。


 方角の守護たる霊獣は、先の戦を踏まえ、四宮の抑えとして天帝から遣わされた者達である。その霊獣が見張るべき宮の者と馴れ合い、あまつさえ使い走りにされるとは何事か。


 規則に厳しい巫鳥としては叱り飛ばしたいところだが、なにせ他所さまの領域である。自分のするべき仕事の範疇はんちゅうを思えばそんなことは出来ない。ましてや天帝の采配に、一介の巫女が口を出すなど、烏滸おこがましいことである。


 鬱々とした気持ちを抱え、もうどちらでも良いから早くセンに決めてもらい、さっさと引き取ってほしいと言うのが本音のところだ。


「えぇい。また」


 眉間のシワを深めて忌々しそうに呟く。

 寿命の長い妖化しが白髪になるまでの長い間、巫鳥は女神に使えてきた。その為が、里のことは手に取るようにわかるらしい。

 今日もまた、大鳥居を遠慮無しに抜けて霊獣がやって来たことを気の揺らぎから察したようだ。


 センが里を出る歳が近づいたせいだろう。

 このところ一日おかず訪ねてくる。


 そのせいで巫鳥の機嫌がすこぶる悪く、彼女の下で働く社の巫女たちは戦々恐々としたようすだ。ただでさえ、機嫌良く笑っている姿を誰も見たことがないと言われる巫鳥なのに、機嫌の悪い彼女など災厄でしかない。社にはぴりぴりとした雰囲気が漂っていた。


「とにかく、早々に決めるよう。そなたからもよしなに頼みます」


 それだけ言うと、苛々としたようすですそをさばき、控えの間から辞していった。それを頭を下げながら送り、戸が閉まると共に時雨は緩く息を漏らした。


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