第32話 神殺しの刻(とき)
「ハザマさんに会いに行ってくるよ」
八世さんがそう言って背後の壁面に手を付くと、そこに重厚な扉が出現した。
「え、ちょ……っと」
八世さんの手によって開かれた扉の中は、下へ続く階段――
「九がこの世界に来てくれて、本当に助かったよ。お前、自分じゃ気付いてないだろうけど、
「縁……?何ですかそりゃ」
「分かりやすく言えば、縁結びの神様的な力?恐らく、お前の見合い相手の家に、その力を取られるのを、いつせは嫌ったんだろうなというのが、僕の見解」
「え……」
「何しろ、お前は有能な人材ホイホイだから、敵に回すと面倒くさい存在になる訳。多分それで、異世界に厄介払いさせられた」
「……そんな理由で、ですか」
「そんなって……」
八世さんが失笑する。
「富と力の奪い合いをしている人たちからしたら、重要なことなんだけどね。で、そんな理由だから、いつせが宗主に居座っている間は絶対に向こうに戻してもらえない」
「はぁ」
「ま、それで九を僕の元に寄越しちゃった訳だから、全く間抜けな話ってことだけど。九のお陰で、僕の計画は、五年は早く完結できたことになる」
「計画って……」
「だから、感謝しているよ、九」
――何だよこれ。まるで遺言みたいで……気持ち……悪……
「八世さん!」
二人の間にあった執務机を乗り越え、俺は、そのまま居なくなってしまいそうな空気をまとった八世さんの腕を掴んでいた。瞬間、驚いた顔をした八世さんだったが、返って来たのは、抑え気味な低く真剣な声だった。
「必ずお前を向こうに戻してやる。その為の神殺しだ。邪魔はするな。黙って見ていろ」
――本当にこの人は、やるつもりなのか。俺には止められないのか。
「……俺のせいとか、ふざけんなよ。俺は、そんなこと望んじゃいない!ハザマさんを殺さなきゃ戻れないなら、戻れないでいい。八世さんを犠牲にしてまで俺は……」
不意に真面目な顔をしていた八世さんの顔が崩れて、いつもの皮肉を帯びた笑みが口元に浮かんだ。
「そりゃそうか、お前の為とか言って、お前が引く訳ないよな。悪い悪い。お前の為は、まあ、嘘じゃないけど、些細なことで、最大の理由は、僕がいつせに意趣返ししたいだけなんだよ。ってことだから……」
「え……」
掴んでいたハズの腕が、不意に手の中から消えた。八世さんの体は跡形もなく、そこから消えていた。
「大丈夫、お前が思う程……悪いことには……ならない……よ……」
遠ざかって行く声が、階段の中から聞こえてくる。
「ちょっ、八世さんっっ!」
俺は何も考えずに階段を駆け降りていた。俺では止められないのかも知れないけど……だけど、このままひとりで行かせる訳にはいかないと、そんな思いに突き動かされるようにして――
「なんだ、結局来たんだ?」
階段の一番下で追ってきた俺の姿を見て、八世さんがどこか楽しげに言う。
「いや、だって……何て言うか……ひとりで行かせちゃいけない気がして」
「お人好しだなぁ……九らしいけど」
「……」
気付けば何もない空間に、階段と、行き止まりに一枚の扉――こっちは、現代的なデザインの奴だ――だけという場所だった。
その扉を八世さんは、無造作に開いて言った。
「約束通り、ここまで来ましたよ、ハザマさん」
扉の向こうは、いつか見たあの、ハザマさんのいる部屋だった。
「おや……えーと。誰じゃったかのぅ?」
惚けた受け答えも相変わらずのようだ。
「僕は、十年ほど前にあなたと、『この部屋の扉を自力で開けることができたら、どんな願いでも叶えてくれる』という約束をした者です。約束を果たして貰いに来ました」
「なるほどのぅ……
「あ、どうも」
視線を向けられて反射的に会釈する。
「いかにも、10Sにまで至った者には、ハイランカープライズがある。で?お主の願いは何じゃ?言うてみよ」
その問いに、八世さんは気が急いているのか、間髪いれずに答える。
「僕の願いは、あなたに代わってこの狭間の神になることです」
――言った。
「ふっ……ふぉっふぉっふぉっふぉ」
ハザマさんが破顔一笑した。
「そうかそうか……ふぉふぉ……そうかや。こりゃ、愉快じゃわ」
何だか妙な空気に、俺は無意識に腰の剣に手をかけていた。それを八世さんの手に止められて、我に返る。
「……図りましたね」
八世さんが剣呑な声で言う。
「えっ?」
――図った?って、何を??それって、八世さんが図られたってことになるのか?
八世さんとハザマさん、互いに愛想笑いを浮かべながら向かい合う――の図は、普通の人間にはどこか薄ら寒く感じるもので、そんな居心地の悪い空気の中、俺には随分と長く感じられた時間の後で――
「全く、あなたって人は。最初からそのつもりで……」
苦笑しながら先に言葉を発したのは、八世さんの方だった。
「さて、コーヒーでも淹れるかね……」
そう言って、ハザマさんが立ち上がった。
張りつめていた空気が一気に緩んだ感覚があった。
何だか二人、無言のやり取りをしていて、俺には分からない次元で話が付いた感じだ。
「話、付いたんですか?」
こそっと八世さんに耳打ちすると、ヌルイ感じの笑みと共に、
「まあね」
という答えが返ってきた。
「……何て言うか、もっと流血沙汰みたいなの想像してました」
「そう?ひとつアドバイスすると、世の中の物差しはひとつじゃないって事だよ」
「物差しですか」
「もし九が神殺しするとしたら、そういうことになるのかも知れないけど、僕はそういう手段は選ばない。そういう事だよ」
「……いや、俺はそんな大それた事は考えませんけど。それで、どうなったか聞いても?」
「それは、内緒」
「は?いや、そこ勿体つけなくても」
「そのうち分かるよ。ま、僕たちは、似た者同士で、互いの利益が一致したってことかな~ふふふ」
そこで、ハザマさんの淹れてくれたコーヒーを三人で飲んで、他愛もないゲーム話で盛り上がって――
俺の異世界での記憶は、そこで途切れた。
「……っ、先輩っ、しっかりしてください。先輩っ!聞こえてますか?先輩っ!!」
――何だよ、瀬戸内……耳元で大声出すなよ、煩いな。
「先輩っ」
「ん……だよ。聞こえてるから……」
「良かった、先輩。生きてますね?痛いとこありませんか?」
瀬戸内くんの手が、ペタペタと俺の体の上を、何か確認するように移動していく。
「何してんだよ、くすぐったいから、やめ……」
漸く目を開けた俺だったが、辺りは真っ暗なままで。
「あれ?何で真っ暗……」
「俺ら、穴に落っこちたみたいです」
「は?」
「どうやら、冗談じゃなく大規模陥没みたいです。幸い、携帯通じたんで、救助呼びましたから。じきに掘り起こして貰えると思います」
「俺たち、生き埋めになってんの?」
「みたいです」
「……」
瀬戸内くんと営業に行く途中で、スマホのニュースで道路の陥没映像を見ていた。ああ、それで、ヤバいなと思ってたところに、陥没に巻き込まれた……のか。
――あれ?何か……大事なこと忘れてる気が……するんだけど……
「……ダメだー……何か酸素足りてねぇわ。息苦しい……頭回んねー」
「先輩っっ……!」
――叫ぶな、瀬戸内、空気が勿体ない……
ちくしょう。若いってだけで、たいして鍛えてないくせに、俺よか生命力が上かよ。な~んてことを理不尽に思いつつ、遠退く意識の中――
聞こえていたのは、瀬戸内くんの焦ったような切羽詰まった声と――
「大丈夫、時間は戻しておいてあげるから。何せ僕は、この世界で一番凄い魔法使い……改め、偉大な神様だからねーはははー」
という、八世さんの能天気な声と――
「さっさと戻って来なさいよ、馬鹿っ。じゃないと、フェリのごはん、食べさせてあげないわよ」
という――誰だか分からない女の子の声と――
「……誰、だっけ」
そう呟いて目が覚めた。
そこは病院のベッドの上で、丁度そこにいた看護婦さんと目があって、お互い愛想笑いをした後で、
「災難でしたね」
と、事務的な声を掛けられて、
「はぁ……」
と、間抜けな返事をした所で、俺が巻き込まれた災難の話は終わった。
俺は大した怪我もなく、ひととおりの検査の後で翌日には退院し、その次の日のお見合いも、体調に特に問題はなかったので、予定通りこなした。
予定外だったのは、何となく話が合ってしまったその彼女と、また会う約束をしてしまったことぐらいで、それまでとはちょっと違う日常――女性とデートしたりとかそういう展開ありの日常が、始まった。
何だか自分で思っていたのと違う方へ進んでいく日常に、俺は少し戸惑いながらもたいして疑問も抱かずに、ゆるゆると流されて行ったのだった。
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