第29話 絶対幸運領域

 森の入り口で、双羽さんが右手を天に捧げるように上げると、少し離れた場所の木の幹に魔法陣が浮かび上がった。

「あ、今日はこっちだね」

 言いながら、ラムダリアを抱いたままそちらへ足を向ける。


 双羽さんの話では、森の中は魔物で一杯なので、例え双羽さんでも簡単には通り抜け出来ないのだという。なので、城までダイレクトに移動できる転移魔法陣をこの辺りに仕込んであるらしい。その魔法陣は一度使うと、別の場所に移動するようになっているから、もし誰かがその方法を知っても、魔法陣の場所を特定することはまず無理じゃないかな~と言うのが、持ち主の弁だ。


 更に言えば、魔法陣の基盤は城の内側にあって、そこから外の魔法陣にリンクさせているそうなので、外で転移魔法陣を展開させても、出口を城の内部にするのは無理らしい。で、現状、魔物でいっぱいの森を抜ける――しかも、簡単な魔法しか使えないという条件つきで――しか、城に近づく方法がない訳で、まさに鉄壁の守りと言える。その証拠に、双羽さんがここに来てから、魔王城は一度も攻略されていないのだ。


「こっち来てから2、3年はね、私もまだ仕事に慣れていなかったから、ここの防御も結構穴だらけで、その時期に攻略されてたらひとたまりもなかったんだけどね」

 『運良く』、その時期にやって来る勇者はいなかったらしい。その後、双羽さんは、『運良く』この世界で十広さんと再会して、めでたく結婚。新婚さんの新居はもちろん、魔物が一杯の森に囲まれたこのお城だ。

「トーコさんを危ない目に合わせる訳にはいかないからね」

 という理由で、それ以降、魔王城の防御レベルは鉄壁レベルにまで跳ね上がったようだ。


――運良く、ね。


 それって、十広さんの能力、「絶対幸運」と関係あるんだろうかと思う。

 スカウトしたハザマさんが優秀だっていう双羽さんの、元々の能力も勿論あったんだろうが、天使である十広さんがこの城に住んでるっていう時点で、ここはそもそも攻略不可能な場所になったんじゃないかと思う。



「トーコさ~んっ!今日は君に素敵なお土産があるよ~」

 薄暗い石造りの廊下にぽつぽつと松明がともっている。という、おどろおどろしい雰囲気なのだが、そこに場違いな、能天気な明るい声が響く。その声の主である双羽さんは、ラムダリアを抱きかかえたまま、廊下を踊るような足取りで小走りに進んでいく。

 片やの俺は、万が一に備えて剣に手を掛けたままで、その後をついていく。

「あのおっ……あたし、自分で歩けますからっ、おろしてく~だ~さ~いぃっ」

 ラムダリアが困惑交じりの声で訴える。

「ダメダメ。ここの廊下、石造りだからさ~、石と石の継ぎ目にヒールの踵引っ掛けて転んだりしたら危ないじゃない」

 

――なんつーか。過保護さん2号だな。


 ま、生き別れた娘と二十年ぶりに会えた訳だから、この舞い上がりっぷりも仕方がないのかと思う訳だが、この人、ホントに魔王なの?という気にさせられる。……名刺は貰ったけど。



「トーコさ~ん。あれ、いない……」

 廊下の突き当りの両開きの扉を勢いよく開いた先は、ドレスが一杯の部屋で……よく見ると、ロールに巻かれた生地や、デザイン画や、作りかけのドレスなんてものがそこここにあるから、ここはドレス工房なのかと思う。大理石の床の上に、ようやく下ろしてもらえたラムダリアが、興味深そうに部屋の中を見回す。

「……ここ、ママの部屋?」

「うん。トーコさんはここでドレス作ってるんだ。街の方の工房で仕事することもあるけど、デザインとかするのはこっちが多いかな……こういうの子供の頃からの夢だったらしいよ……あ、もう少し寄ってくれる?」

 双羽さんに言われて、俺たちは彼に身を寄せる。双羽さんが扉の脇の壁に右手を付くと、そこに小さな魔法陣が浮かび上がった。

「トーコさんのいるところ」

 双羽さんがそう言った瞬間に、俺たちはまた別の部屋に移動していた。

「何だ、こっちにいたのか……」


 そこは書斎のような部屋で、中央に大きなテーブルが設置されている。部屋の壁面には、色々な場所の地図が掲げられており、大きなテーブルの上にも大きな地図が広げられていた。さしずめ魔王様の執務室といったところか。その地図を覗き込んでいた女性が、双羽さんの声に反応して顔を上げ、笑顔を見せた。


――この人が、十広さん……


 長い黒髪が純和風な印象を与えるけど、確かにラムダリアと面差しが似ている。ラムダリアはピンク髪のせいで幼く見えるけど、そこに大人の落ち着きみたいなものが加わったら、こんな和風美人になるのかと思ったら、なかなか興味深かった。


「お帰りなさい……結界に何か引っかかったみたいで、フライングプラントが大量に天高く舞っているのが窓から見えたものだから、何かしらって……あら?お客様?もうっ、双羽くん、ダメじゃないの、執務室ここにご案内する時は、ちゃんとした格好でお迎えしなきゃって、いつも言ってるのに」

「あ、うん、そうなんだけどっ、そんなことよりっ……」

「ダーメーよ。あ、お客様、少しお待ちくださいね。おほほ」

 営業スマイルと共に、十広さんは双羽さんを隣室へ引っ張っていく。


 しばらくして戻って来た双羽さんは、スタイリッシュなスーツ姿から、王侯貴族が着るようなゴージャスな上着に衣装チェンジしていた。そして頭には、取って付けたような、魔王様の角……って、文字通り、取って付けて来たのだろう。


――ちゃんとした格好って、魔王コスプレ……なんだね。いや、ここは、笑ったら失礼だから……我慢……しないと……


 そう思っていたら、

「ぷっ」

 横でラムダリアが盛大に吹いた。

「おま、失礼っ、だからっ」

「いや、だって、角っ……て」

 一言で言えば、優しい面差しの双羽さんには、ぜんぜん似合っていないのだ。

「……やっぱ、角外す」

 傷ついたような声で双羽さんが言う。

「ダメよぉ、双羽くん、全然凄みがないんだから、魔王としてお客様に会う時は、角ぐらい付けとかないと。威厳がでないわよ?」

「威厳よりも、娘に笑われる方がショックだ」

「……娘?」

 ラムダリアに視線を向けた双羽さんにつられて、十広さんがそこで初めて俺たちの方をまともに見た。傍で見ている方がちょっと恥ずかしくなるぐらい、十広さんは双羽さんの一から十までを気にかけていて、こちらにまで気が回らなかったのだろう。


「ラムダリア……うそ……ほんとにあなたなの?」 

 そう言いながらも、もう目が合った瞬間に確信していたのだろう。十広さんは、ラムダリアの答えを待つまでもなく、その腕に彼女を抱き込んだ。

「……ラムダリア……会いたかった……どれだけ探したか」

「……ママ」

「一人にしてごめんなさい……本当にごめんなさい……無事でいてくれてありがとう……ありがとう……」

「……うん」

 ラムダリアの方には、まだ多少の戸惑いがあるようだ。赤ん坊の時に生き別れたのだから、記憶にもないのだろうし、それは無理もないと思う。彼女にとって、今まで親といえば、魔力を気味悪がって自分を捨ててしまった人たちのことだったのだから。


 ひとしきりの感動の再会のあとで、十広さんがおもむろに言った。

「……それで、そんなにおめかしして、彼氏を紹介しに来てくれたなんて、ママは嬉しいわ」

 涙ぐみながら、十広さんは意味ありげな視線を俺の方に……


――カ、レ、シ、…………?


「わたしのドレスを着せてくれるような、立派な男性を見つけるなんて、なかなかやるわねラムダリア。このドレス、結構お高いのよ」

「いやいやいやいや、ち、が、う、からっ!」

「ああ、トーコさん、彼は、神和商会のお使いで来た、九世くぜ千広くんだよ」

 双羽さんが助け舟を出してくれた。

「神和商会?」

「ほらっ、例の請求書置いて来たでしょ?ドレスの請求書に紛れ込ませて。それでわざわざ支払いに来てくれたんだよ」


――って、おいぃっ!


「払うとは言ってませんからっ。俺たちは話し合いに来た、と、言ったんです。言い値で払ったりしたら、八世さんに殺されますから」

「あらっ、八世さん……って、もしかして、ちぃちゃんのこと?」

「そうですよ、あなたの弟さんの、神和八世千広っ!彼が、あなた方の宿敵、神和商会の会長なんです」

「あらやだ。そうなのね。それは困ったわ」

 十広さんは、首を傾げて双羽さんの顔を見る。

「そっか、ちぃちゃんだったのかぁ……神和商会って。神和の人がやってるんだろうなとは思ってたけど、まさかねぇ……ちぃちゃんがねぇ……」

 双羽さんが思案顔になる。

「そうだなぁ…………あのさ、今、俺たちはって言ったけど」

「え?ええ、言いましたけど……?」

「俺は、じゃなくて、俺たちはってことはさ、ラムダリアも商会の人間てこと?」

「……え、まぁ……そうですね」

「付かぬことを聞くけど」

「はい」

「支城吹き飛ばしたのって、この子?」

「……そう……ですね」

「なんだ。じゃあ、ラムダリアをこっちに引き取るってことで、値引きに応じることにするよ」

「は?」

「親子なんだから、一緒に住むのは当たり前だよね?戦力的にも、ラムダリアが抜ければ、パワーバランス……?その辺も丁度いい感じになると思うし、ね?」


――え、えと。


 理屈は通るんだけど、何だかうまいこと言いくるめられている感が拭えない。咄嗟にどう返事をしていいのか、分からない。

「……それは……即答しかねます……というか。八世さんに確認を……とってみないことには……というかで」 

 俺がお茶を濁した受け答えをしていると、十広さんが横から畳みかけて来る。

「大丈夫よ。ちぃちゃんは優しい子だもの、反対なんかするハズがないわ」

「……優しい……って言っても、もう二十年経ってますから……」

 二十年もあれば人は変わる。ましてや、幾つもの絶望を経験した後じゃ、その優しい子だって……恐ろしいことに、神様をどうにかしようなんてことを考えるようにすらなるのだ。


「……あのっ。十広さんは、『天使』なんですよね?八世さんがそう言ってましたけど……」

「天使?」

「二十年前に、こっちに来る時に、ハザマさんから力を与えられたでしょう?」

「……あ~そう言えば、そうね。その力とやらって、今まであんまり意識したことなかったけれど、確かに、羽根つきのドレスが気に入って、天使にしますって言ったかも知れないわ」

「なら、間違いなく、あなたは天使です」

「あらっ……そうなの?」

「だから、お願いします」

「……?」

「その力で、八世さんを救って頂けませんか?」


 不幸を滅し幸いを与える力――絶対幸運アブソリュート・ラック

 その力なら、あの八世さんを止められるんじゃないかと、その時の俺は、そんな風に思ったんだ。

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