第28話 魔王様っていう簡単なお仕事

 目の前に雲霞のごとく押し寄せて来る魔物――何か植物系の触手うねうねな奴だ――が、ラムダリアの放った閃光に吹き飛ばされる。飛んで行きながら、「きゃわ~」だの「きゅわ~ん」だの何となくかわいい系の音声を発していくので、何というか緊迫感がない。


「う~ん。もう少し爽快感が欲しいんだけど……ルーティンワーク詰まんないっ」

 海色の、光の加減で蒼にも緑にも見えるイブニングドレスの裾をたくし上げて、片方の脇に寄せて抱え込んでいるラムダリアが不満げな顔をしている。

 ドレスの前側にはハイスリットが入っていて、そこからすらりと形の良い足が見えている。後方に長く伸びる裾の長さとの兼ね合いで、十センチはゆうに越えているだろう同系色のハイヒールを履いているのだが、この周辺の地面が柔らかいせいで、歩くたびにその針の様なヒールがずぶずぶと地面にめり込むらしく、傍目に見ても歩きづらそうだ。そのせいで、ラムダリアの機嫌がどんどん悪化していくのが分かる。


 ラムダリアの転移魔法で俺たちがたどり着いたのは、魔王城を取り囲む森の外縁部だった。そこから先は、まあそれなりに防御を目的とした結界が張り巡らされているようで、強い魔法を弾く仕様になっているらしく、彼女いわく、寄って来る魔物を物理的に吹き飛ばす程度の魔法しか使えないらしい。そのくせ、小物の魔物が数を頼んで押し寄せて来るという、実にストレスの溜まる防御システムになっているみたいで、ラムダリアのイライラは募るばかりだ。


――まぁ、現魔王が現れてから数十年、誰も攻略を成功させたことがない訳だからな~。正攻法で無理なのは当然としても……


 攻略に来たのではなく交渉に来たのだと、どうにか先方に伝えて、この防衛網を解除してもらわないことには、城に近づくことすら出来ない。


「え……わわっ」

 不意に横でラムダリアが素っ頓狂な声を上げた。見ればスタイリッシュなスーツを着た青年が、彼女を横抱きにして抱きかかえている。


――なんだこいつは、一体どっから湧いて出たっ。


 殺気というか、気配すらも感じなかったのだ。俺は反射的に腰の剣に手を掛ける。が……

「こ~んな埃っぽい場所にいたら、エヴァの新作コレクションの特注品が台無しだよ、全く」

 王子様然としたスーツの青年に、にこやかに顔を覗き込まれながら、至近距離でそんな言葉を投げかけられて、ラムダリアは面食らったまま頬を赤く染めるばかりで言葉も出ないようだ。俺が剣に手を掛けたまま動けずにいると、青年の目がこちらを見た。


 こんな場所には不似合いな、穏やかな黒色の目だ。顔立ちはハーフっぽい彫りの深さだが、髪色とか目の色は日本人に見えないこともない。まあ、こいつが魔法使いなら、ラムダリアがやっている様に、髪色を好きに染めている可能性もあるから、見た目はあまり当てにならない訳だが。


「キミが彼女のエスコート?」

「あ?ああ。まあ……そうだな」

 そう返すと、ラムダリアの体を、ハイっと手渡された。必然的に今度は俺が彼女を横抱きにすることになる。

「え、ええと?」

 戸惑う俺をよそに、青年は胸ポケットからハンカチを取り出すと、ラムダリアのヒールについた泥を丁寧に拭い始めたから、不本意ながら彼女を抱き抱えたまま、俺はその場に突っ立っていることしか出来ない。

「このヒールだってさぁ、本来、大理石の床の上を歩くべきものなのに、こんなぬかるんだ所に連れて来て、こんなに泥だらけにしてしまうなんて、最悪だよ。エヴァが知ったら悲しむよ?」

「……はぁ、それはどうもスミマセンね。何分、こういう恰好というか、状況というかに慣れていないもので」

「あのっ。もしかして、ニコラ・セレンディピティ……さん、ですかっ?」

 俺が軽く頭を下げた所に、ラムダリアがそう言うのが聞こえた。


――ニコラ?セレン……誰さん?


「うん」

「うっわぁ……」

 ラムダリアが感極まったように目をウルウルさせて、両手で口元を覆う。

「ええと、誰?」

 俺が聞くと、ラムダリアが興奮気味に説明する。

「エヴァの専属モデルさんっ!主に女性のモデルさんのエスコート役でショーとかに出てる人なんだよっ。めっちゃくちゃ有名人なんだから。あのっあのっ……お会い出来て、あたし、すごくすごく嬉しいですっ」

「こちらこそ、お見知り頂き光栄ですよ、お嬢さん。それで、無粋を承知でお聞きしますが、こんな場所で一体何を……?デートというには、いささか場所のチョイスが微妙な感じがいたしますが」

「あ~その質問、そのまま返すわ。あんたこそ、こんな場所で何してたんだ?ここは、魔王様のお城の庭みたいなもんだろう?」

「ああ、私は仕事を終えて、家に帰るところなので」

「家?こんな場所にお住まいで?」

「こんな場所というか、あそこなんですが、私の家」

 ニコラ氏の視線の先には、魔王城。って、

「え?あんた、あそこに住んでんの?」

「ええ、まぁ」


――て言うか、一般人居住可能なの?じゃなくてぇ、聞かなきゃなんないのは、


「あんた、人間?」

 ってことだ。

「ついでに、日本人かどうかも聞いていいか?名前はこっちの人っぽいけど」


「ああ、二コラはモデルの時の名前。芸名みたいなもんだから。本名は、二階堂にかいどう双羽ふたばって言うんだけど……そういう質問するってことは、君ってもしかして、神和の人?」

「俺は、神和千広……」

「ちひ……え?ちぃちゃんっ?!」


――あー、この展開は……


「うっわ。なんか凄いおっきくなったなぁ。前に会った時はもっと華奢な感じだったよな。あ、でも、二十年ぶりくらいだからかぁ……にしても、育ったねぇ……」


――やっぱり勘違いされるよな。てか、この人、八世さんの知り合いなのかよ。


 そんなことを考えながら、苦笑しつつ訂正する俺。

「あー多分それ、俺じゃない方の……」

 そこへ、興奮気味に捲し立てるニコラさんの、

「トーコちゃんきっと……」

 という声が重なった。


八世やせ千広さんだと……え?」

「ビックリするよ……え?」


――トーコちゃん?


「あんた、神和十広さんの消息っ、知ってんのか!」

「ちょっと、神和十広さんって、あたしのママだっていう人のこと?」

「え?えっ!?ママって、ほんとに娘っ!?もしかして、君、ラムダリア……なのか?」


 三人の言葉が入り乱れ、お互いに相手の発した言葉の意味を理解するような間があって、それぞれの顔を見やった後――


「ラムダリア!!本当に君なのかい?」

 そう歓喜に満ちた声を上げると、双羽さんは俺が抱き抱えていたラムダリアを、あれよという間に奪い去るとそのまま高く抱き上て、その場で軽やかにクルリと一回転した。


 海色のドレスの長い裾が風をはらんでフワリと綺麗に広がる。

「え、ちょっと、何っ?二コラさんっっ……てば」

 子供みたいに高い高いをされて、しかもそれが、有名なイケメンモデルだという男にそういうことをされて、ラムダリアは困った顔をしている。

「……やだもう……下ろし」

「こういうの、ホント夢だったんだ。娘が生まれたら、絶対やろうと思ってて……まさか今になって出来るとは思わなかったよ」

「……娘って」

「ラムダリア、私は君の父親だよ」

「え……ウソ……何で?」

「そうかそうか。道理でっ。最初見たとき、トーコさんに似てるなーって思ったんだよ。それでつい、声かけちゃったんだけど。良かった。素通りしないで声かけてみて」


 年が合わないというのは、二十年前から、つまり召喚されてから、やはりこの人も年を取っていないということなのだろう。


「ええと、つまり双羽さんは、行方不明になっちゃったっていう、十広さんの彼氏だった人ってことでいいですか?」

 つまり、彼もまた、こっちに召喚された人間だってことだ。神和の者ではないけど、多分、十広さんと関わりを持ったせいで、巻き込まれたのだろう。

「……で、こっちに来てから、ずっとモデルさんをやってた訳ですか」

 言いながら、モデルなんて職業、ハザマさんのタブレットにあったっけかと思う。

「あ、いや、モデルは副業なんだ。トーコちゃんのお手伝いでね。本業は……」


――はい?


「ハザマさんって人に、神様から送られてくる指示書に通りに、魔物を発生させたり、移動させたりするだけの簡単なお仕事だからって言われて、何となくやることになっちゃったんだけど……」

「あの、今、何て……言いました?」

「え?魔王だけど?」

「魔王様、なんですかっ?……あなたが?」

「あ、申し遅れました。私がこの城の主で、第17代魔王の二階堂双羽と申します」


――はー。そうでしたか。って……あ、なんか名刺貰っちゃったよ。






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