第23話 ラムダ・リアという暗号の意味

 翌日、魔王討伐前哨戦は行われた――


 魔王城へ攻め込む前段として、その最終防衛線として配置されている巨大砦の攻略を行う。それが今回、八世さんの設定したイベントだった。

 そしてそれは、開始五分であっけなく終了、という幕切れを迎えた――


 八世さんの言った最終兵器という言葉のままに、ラムダリアの放った最大出力の魔法が、砦を跡形もなく吹き飛ばしたのだ。

 後に残ったのは、地平線まで続く荒野、ただそれだけだった。



――10Sディカプルなんだよ、彼女。僕と同じね。


 八世さんは、どこか愉しそうにそう言った。

「……はい?」


――八世さんと同レベルの化け物がもう一人いるとか、何の冗談ですか?



 ラムダリアは、まだ魔力の加減が上手く出来ないらしく、先の攻略イベントでありったけの力を放出してしまったせいで、あれ以来寝込んでいる。どこが痛いとかそういう訳ではないらしいのだが、倦怠感が酷いらしいのだ。治癒能力者ヒーラーの魔法もあまり効果的でないという。つまり、彼女は想像以上のダメージを受けたのだということだ。


 それから、コリンは先生の反対を押し切る形で、今回の作戦に参加したのだが、雑魚モンスター相手に負傷させられて、早々に現場から離脱していた。さほど重傷ではなかったものの、コリンが怪我をした、というその事実が、ラムダリアの魔力解放に少なからず影響したのだということは、想像に難くなかった。

 そんな師弟を、今はフェリシュカがかいがいしく看護している。


「神様の使徒でもないのに、そんな能力をもった人間が他にもいるんですか?……神和の人間でもないのに?」

 セトの様に、神様が気紛れ力を与えることもあるにしても、10Sは気前が良すぎだろう。八世さんだって、この世界に来たばかりの頃は、もっとランクは低かったと言っていた。八世さんの10Sは、十年間の研鑽の結果登り詰めたものなのだ。

「……ねえ、九。ギリシャ語でさ、ラムダって、何て意味か知ってる?」

「ラムダ……?って、確か、ギリシャ文字の十一番目でしたっけ?」

「んじゃ、リアの意味は分かる?」

「そこは英語?なら、意味は、後ろとか、後方とか、そんなんですかね」

「そう。だから、ラムダの後ろ……つまり十一番目まで行って、後を振り返ってみたら、って話なんだけど、どう?」


――十一番目で振り返ったら、そこにあるのは、


「……十?」

「そういう言葉遊びが好きな人がいてさ。僕の姉さんなんだけど……」

「お姉さん……ですか」

「そう。神和十広とうこ。十九年前、身重の体で神隠しに遭って、それっきりでさ」


――まさか、それって。


「ラムダリアは多分、十広とうこ姉さんの娘だ」

「……まさか」

「五年前に別れた時には思いもしなかった訳だけど……そう思ってみれば、十八になった彼女には姉さんの面影があるよ」

「つまり、神和の血統ってことですか?」

「間違いないと思う」

「それ、知ってて……利用したんですか?」

「知っててというか、実際にあの力を見るまでは半信半疑だったけど、あれだけの力がこの世界に自然発生するとか、考えにくいからね。恐らくそうかなとは思ってた」

「一つ聞いていいですか?」

「何だい?」

「八世さんは、ラムダリアがあなたに恋してること、気付いてますよね」

「恋?っていうか……あれは、はしかみたいなもんでしょ?年齢差いくつあると思ってんのさ。あんなの、恋する自分に酔ってるのが心地いいだけで、本当の恋とは言えな……」

「スミマセン、八世さん」

「ん?」

 八世さんがこちらを向くか向かないか、という間合いで、俺の拳が彼の頬にめり込んでいた。申し訳ないことに、力を加減する余裕がなかったから、八世さんは部屋の隅の方まで吹き飛ばされて、軽く口の中を切ったようだ。

「治癒能力使えるんだから、素手で殴ったぐらい、大したダメージじゃないですよね」

 もう先に謝ってるから、それ以上は言う事もない。で、俺はそのまま部屋を後にした。

「……酷いなぁ……治癒能力使えたって、痛いことは痛いんだからさぁ……」

 追いかけるように八世さんの泣き言が聞こえてきたが、そこは無視した。



 不愉快な出来事に、イライラしながら廊下を歩いていると、銀のトレイに陶器のスープサーバーを乗せたフェリシュカがとことこと歩いているのに行きあった。

「持つよ」

 返事を待たずに、それをひょいと持ち上げると、「ありがとうございます」という言葉と共に、フェリシュカがたちまち笑顔になる。

 この子は、自然とこういう事ができる子なんだなと、改めて感心させられる。あの先生と、気難しいコリンと、あんなギスギス武装した二人と一緒に生活してて、何というか……笑顔だけで人を癒すことができる才能を枯らさずにいられるというのは、ある意味奇跡だ。

 八世さんとのやりとりで、あんなにささくれ立っていた俺の心が、気が付けばもう凪いでいる。


「二人の様子はどんな?」

「先生は一度、目を覚ましましたけど、今は眠ってます。コリンの怪我は、魔法で直して貰ったので、痛みとかはもうないみたいですけど……」

「……けど?」

「元気がなくて……食欲もないみたいで、あれから何も食べていなくて」

「それで、スープこれ?」

「ええ……スープなら、飲めるかなって。精神的に参ってるみたいだから、気分が落ち着く薬草とか入れてみたらいいよって、厨房の方に教わって、作ってみたんですけど」

「そっか」

 コリンの怪我は、出会い頭の不幸な事故みたいなもんだったから、そんなに気に病むこともないんだが、自分が先生の不調の原因の一端を作ったことは、奴的にはプライド問題なのだろう。


 二人が寝ている部屋に入ると、俺の姿を見たコリンは僅かに顔を顰めた。まあ、恐らく、無様な所を見られたくなかった、ってとこか。

「……スープ、作ってみたんだけど、飲む?」

 フェリシュカが訊くと、コリンは小さく溜息をついて首を横に振った。

「治癒魔法のついでに、魔力で栄養も補完して貰ってるから、別に食事なんか取らなくても大丈夫って、言っただろ」

「そうだけど……」

 フェリシュカが残念そうに俯く。


 俺はそんな二人のやり取りを横目に、捧げもっていたトレイをサイドテーブルに置くと、サーバーの蓋を開けて、スープカップに金色の液体を流し込んだ。途端、部屋に鼻腔をくすぐるコンソメ系のいい香りが広がる。もうそれだけで、口の中に唾液が湧いて来る。


――フェリ、お前、やっぱすげーわ。


 後で俺も少し分けてもらおう、なんてことを考えながら、俺は金色の液体で満たされたスープカップをコリンの鼻先に突き出した。

「飲め」

「いや、だから、回復魔法のお陰でお腹すいてないって……」

 言葉とは裏腹に、静かな部屋にぐぐ~っとお腹の鳴る音が響いた。

「魔法じゃ補完できない栄養が入ってんだから、まあ、飲んでみなさいって。ほぉらっ」

 言いだしたら聞かない俺にか、スープの美味しそうな匂いにか、どちらに負けたのかは分からないが、コリンは仏頂面のままカップを受け取って、フチに口を付けると、一口二口と金色の液体を口に含む。すると――


「……おいしい」

 ほぼ無意識な感じでそう呟く声がした、と思ったら、コリンはカップを勢いよく傾けて中身を一気に喉に流し込んだ。

「おいおい、そんなに勢いよく飲んだらむせ……」

「げほっ……」

 言った傍から、苦しそうに背中を丸めてむせている。

「コリン、大丈夫っ?」

 フェリシュカが慌てて駆け寄って、コリンの背中をさする。

「……かった」

「え?」

「うま……かった……」

「……うん」

 返事をしたフェリシュカの声が涙ぐんでいた。そのことに、コリンが目に見えて狼狽するのが分かった。

「……何で泣くんだよ」

「……ごめ……無事で良かったって……おもっ…たら……」

「ばっ。お前、今回はたまたま運悪く怪我しただけでっ、俺はそんなにへなちょこじゃねぇからなっっ」

「うん」

「……だから、その……悪かったよ、心配かけて」

「うん……」

「それから、スープ……うまかったよ……で、その……まぁ……だから…………」

 コリンの視線が明後日の方に流れた、と思ったら、もう最大級に照れた顔をして、奴は次の一言を言った。

「……ありがとう……」

「うんっ」

 これ、反射的にコリンの首に抱き付いたフェリシュカに、罪はないと思う。いや~微笑ましいなぁ。とニヤニヤしながら観察していると、

「じろじろ見てんじゃねぇよ」

 と、ドス利いた声で恫喝される。ま、フェリシュカに抱き着かれたまま、顔を真っ赤にした状態で言われてもね~。 


――うへへご馳走さま。


「あ~なんか物凄~くいい匂いがする~~」

「「せ、先生っ?」」

 二人の声がハモる。

 見れば、ベッドの中からこちらに寝惚けた顔を向けたラムダリアが、鼻をひくひくさせている。

「フェリ~ィ、お腹がすいたよぅ~」

 先生の脱力したその声を合図に、フェリシュカがてきぱきと給仕をはじめる。すると、たちまち部屋中がいい匂いで満たされて、俺たちはそのひととき、幸せなスープタイムを満喫したのだった。







 




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