第10話 名前を略すとあだ名になるという不幸
「カ~ンチィっ!」
廊下の向こうから、エリザベスちゃんが、誰かの名前を呼びながら笑顔満開で走って来る。
――カンチィって、誰?
俺は思わず自分の背後を確認する。カンチィなる人物はいなかった。というか、この廊下には、目につくところ、俺しかいないのだ。そんな無防備な俺の背中に、
「ふごっ」
背後から首に腕を巻き付けられた。と思ったら、そこに結構な荷重が掛けられて、軽く酸欠になる。多分、今、俺の背中にはエリザベスちゃんがぶら下がっていると思われ。背中になんか柔らかい物体が……当たるんですが、これはっ……
「あたしのこと指名してくれてありがと~カンチィ~。もう、大好きっ」
「……え、えと、カンチィというのは……」
「あれ?カンナさん、でしょ?」
「ええ、まあ、はい」
「チヒロさん、だよね?」
――う……まあ、そうですね。この展開は嫌な予感しかしないっ。
「繋げて略して、カンチィだよ?」
「いやそこは略さないでっ」
「え~ダメ~?」
顔の横にエリザベスちゃんの顔が回り込んで来て、猫耳が俺の頬を良い感じに、ぴくぴくつんつん刺激する。くすぐったさと気持ち良さで、思考がふにゃふにゃにされる。これは、何というか……軽く脅威だ。
「……分かった、分かったからっ、早く背中から下りてっ」
これ以上は、理性がヤバい。その他、生理的にも、諸々ヤバい。
「え?うん」
トン、と背後で軽い音がして、エリザベスちゃんが肩から下りた。肩が軽くなったと同時に、全身脱力感に襲われて、その場にへたり込む。
――だ~っ。
「なんか汗すごいけど、だいじょうぶぅ~?カンチィ~?」
頭上からエリザベスちゃんの声が聞こえる。
――あぁもうっ、カンチィさん確定じゃねぇかよ……
「あははははっ……昨日、ちょっと眠れなくってさっ、軽い貧血?的な?」
言いながら、勢いよく立ち上がる。別に具合が悪い訳ではない訳であって……
「うわ、それは大変。疲れの取れる仮眠魔法掛けてみる?」
「いや、も、もう大丈夫……え~と、エリザベスちゃん、契約の話、もう行ったんだ?」
これ以上突っこまれる前に、サクッと話題を切り替える。
「え?うん。どうもありがとうございました~。出張仕事は、ギルドから特別手当出たりして、実入りがいいの。今月ピンチだったから、ホント助かったっていうか、カンチィが神様に見えます」
「あはは……そんな大げさなっ……」
ごくごく自然に、今度はエリザベスちゃんの腕が俺の腕に絡まる。
――ん~と、これは。
こっちの女の子は積極的というか、この程度は普通なのか。そう思った辺りで、廊下の向こうに、目力の強いお子様が現れた。
――ああ、睨まれてるわ。
俺は苦笑しながら、ごくごく自然な感じで、エリザベスちゃんの腕を引き剥がす。多分、エリザベスちゃんが特別に人懐こいということなのだろう。と、俺は結論づける。
そういや、発情期がどうとかいう話もあったっけと思う。コリンの雷が落ちる前に、その辺、ちゃんと確認しておかなければと思う。人猫族のこととか、この世界の生き物のこととか。そりゃ、可愛い女の子に言い寄られれば、悪い気はしない。だけど、俺はこの世界にずっといる人間ではないから。結果として、女の子を悲しませることになったらと思うと、軽はずみな真似は出来ないよなと思う。一応、分別のある大人として。
そんなことを考えていると、フェリシュカが、とととと、と走り寄って来て、エリザベスちゃんとは逆側の腕に、わしっと掴まった。
――んん~と、これは?
「どうした?フェリ」
声を掛けると、フェリシュカが顔を上げてにこにこにこ~と笑顔を見せる。
「あっちに、売店があってね、旅の間に必要なものとか、買い揃えられるみたいだからって、コリンが」
「あ、ああ、そう」
こっちはいいのかな~と思いながらコリンを見ると、視線をが合ったか合わないかという間合いで、目を反らされた。ええとぉ。
「早くいこ?」
俺の腕に掴まったフェリシュカの、その小さな体に引っ張られるようにして、売店があるコーナーに足を向ける。
「あ~そう言えば、コリンくん?」
そんな俺たちの後ろを付いて来ていたエリザベスちゃんが、何か思い出したように、先頭を歩くコリンを呼んだ。
「何ですか?」
呼ばれたコリンは足を止めずに、素っ気なく肩越しに振り返るだけだ。
「キミはさぁ、初心者用の補助ノート燃やしちゃったのよねぇ?」
「……そうですけど」
遠回しに自分の失態を揶揄されたと感じたのか、コリンの声は穏やかならぬ色を帯びる。
「そのノート、売店で売ってるから、買ってくといいよ」
「……はっ?」
コリンが、今度は完全に足を止めてこちらを振り返った。
「あのノートって、先生が魔法で作ったんじゃないのか?」
「んと、一から自分で作る魔法使いもいるけど、ベーシックな機能のやつなら、ギルドで量産してるから、買えるよ?量産ノートを買って、カスタマイズする人もいるし、まあ、色々ね」
エリザベスちゃんのその説明を聞くや、コリンはダッシュで売店に駆け込んだのだった。
そこで平積みになっているノートの山を見つけた時の、奴の喜びようと言ったら……その時ばかりは、嬉しいのだと一目見て分かる顔で、そんな顔を横で微笑ましく見ていた俺の視線に気づくと、たちまちいつものお澄まし顔になるとか、思いがけずかわいい一面を垣間見させて貰った訳で。
そうしてまた、俺はめでたくこのお子様の下僕に戻ってしまった訳だが、それがそれほど嫌だと感じなかったのは、自分でも意外というか何というかで……はて。どうしてなんだろう。
何だか物珍しさも手伝って、あれもこれもと買い物をしてしまった。で、買ってから、これ全部、カンナ先生のツケで買ってるんだよな。と思い至る。
――何だか、会った途端に苦情が来そうで怖いわ。
大きな紙袋を両手に抱えて歩きながら、俺は人知れず溜息を漏らす。何故だか、初対面からつばぜり合いをしていた雰囲気だったフェリシュカとエリザベスちゃんは、買い物をしている間に意気投合したようで、並んで歩きながら女子トークが弾んでいるようだ。とりあえず、仲良きことは、良きかな良きかな。何しろこれからひと月近く、一緒に旅をする訳なんだから、仲良くしてくれている方がいい。
コリンはそんなきゃぴきゃぴした女子二人を遠巻きに見ている感じだ。奴は基本的に、女子のそういうきゃぴきゃぴな部分が苦手なようで、俺も似たところがあるから、分かるわ~と思う一方で、俺も同じだよと、そんな風に、馴れ馴れしく距離を詰められるのも嫌みたいなので、とりあえずは現状維持にしとくかと思う。
エリザベスちゃんの案内で、通行証が発行されるブースに向かいながら、俺は何となく廊下の左右の扉や、部屋のプレートを流し見しながら歩いていた。と、第十会議室というプレートが掲げられた部屋が目に留まった。
「第十……」
――ミナトさん、今日の会議室は十番でいいの?
「……ああ、あいつか」
同じ神和の名を持つ少年の事を思い出す。と同時に、部屋の前に置かれた立て看板が目に入り、その文字を何となく読む。
『第三次 西部地域魔王城攻略 対策会議』
「魔王城攻略ぅ?」
魔王とかいるのかよ的な感動に、思わず声が出ていた。いや、異世界だしファンタジー世界っぽいし、もしかしたらいるのかな?ぐらいには思っていたんだが、まさか本当にいるとか、つー感じだ。
「そういうの、興味あります?」
俺の声を聞き止めて、エリザベスちゃんが訊いて来た。
「いや、興味つーか、さっき受付のとこで、神和商会の戦術アドバイザーとかいう人に行きあったから……同じ名前だわって思ってて」
「あれ?カンチィって、神和商会の人とは違うんだ?」
「てか、その神和商会って、何?」
「ん~ザックリいうと、人材派遣の組織って感じですかね。ギルドよりも規模の大きな」
ギルドは職業別にその道のスペシャリストを派遣する組織だが、神和商会は、あらゆる職業の人間を網羅し、派遣している組織なのだという。しかも、その商会に所属する人材は、SSSクラスの人間ばかりだといい、質的にもこの世界ではトップクラスのエリート集団らしい。そもそもギルド自体、そこに人材派遣を要請することもあるというから、その力関係は言わずもがなだ。
「ギルドでは難しい案件とか、魔王討伐みたいに大規模な戦闘が予想される場合とか、人を出してもらってるみたいですよ。びっくりするほど高額の報酬を取られるらしいですけど。どうにもならない時には、そんなこと言ってられないですもんね。困った時の、神頼み的な感じです」
――困った時の、神頼み。
そう、恐らくギルドのSSSクラスに匹敵するという『神和の力』というのは、俺と同じく、神様に与えられた力なんだろう。俺たちはハザマさんに遣わされた、いわば神の使い。それが、俺たち一族と、神様の契約だから。
――なのに、それで、金儲けしてるって……そういうことか?
一体、誰が何の為に……そんなこと。
俺の中に、言いようのない、もやっと感が広がった。
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