第6話 食事時に押しかけてくるとか、空気読めねぇ奴だな

 気を落ち着ける為に小屋の外に出てみたが、手持無沙汰で他に何もすることがなかったので、とりあえず俺は体を動かすことにした。トレーニングマニアのサガで、毎日決まったメニューをこなさないと、心身ともに落ち着かないのだ。

 腕立て、腹筋、木の枝にぶら下がって懸垂、仕上げに剣を手に素振りという新メニューを思いつく。そんなことで気分が上がる自分って、どうなんだと自嘲しながらも、体を動かすのはやはり気持ちがいい。


――そうだよな、相手は子供なんだし。


 そんな子供に振り回されて、イライラさせられているようでは、大人のメンツが丸潰れだ。無心に剣を振っていると、次第に落ち着きと余裕が戻って来る。


 そうして気が付けば、いつしか日は傾き夕暮れ時が迫っていた。怒鳴られたことがよほど癇に障ったのだろう。コリンは様子を見に来る気配もない。少し前から、小屋の煙突がら、いい匂いのする煙が吐き出され始めていて、ああ、フェリシュカが晩御飯の支度をしているのだなと思う。


「そろそろ戻るか……」

 今後のことを、コリンと相談しなければならない。何しろ、俺はここでは右も左も分からないのだから、その部分に関しては、こちらが大人として一歩引いてやる余裕を持ちつつ、上手に機嫌を取りながら対応しなければならない。あのお子様は、いい加減機嫌を直してくれただろうか。そんなことを考えていると、鼻腔が肉の焼ける匂いを捉えた。


――ああ、いい匂いだ。


 そう思った途端、ぐぐぅとお腹が鳴った。トレーニングの後のたんぱく質。最高じゃないか。見れば、小屋の扉が開いて、フェリシュカが顔を覗かせた。すぐに俺の姿に目を止めると、にこにことしながら言った。

「ちぃ~ちゃんっ、ご飯できましたよぉ~」

「……ちーちゃんは止めて」

 思わぬインパクトに、その場にへたり込む。その姿に驚いたのか、草を踏み分ける足音が物凄い勢いで近づいて来たっ、と思った途端、頭上からトドメを刺された。

「だ、大丈夫?ちーちゃんっ!お腹空きすぎたの?」

「だから、ちーちゃんは止めてくれ」

 たく、カンナ先生はいったいどんな教育をしているんだ。

「え?千広だから、ちーちゃんって、ダメですか?」

「いや、論点はそこじゃなくってね、大人にちゃん付けは、ないから、ありえないからっ」

「……う。じゃぁ、ちーさま?」

「出来れば、名前、省略しないでくれると……」

「うぅ……。じゃぁ……ちひろさま?」

「ちひろ……さまっ……?」

 うわっ、今なんか、背中をむずがゆいものが這い上がったみたいな。

「……千広さんで、お願いします」

「ちひろさん……ですね、了解です」

 また、にこにこにこにこ~っと、好意のかたまりみたいな笑顔を向けられる。ええと、これは何?とりあえず懐かれてる、という解釈でよろしいですか?それ以上のことは、あえて今は考えないように、その辺の思考回路を断線する。

「おっせーぞ、何やってんだよ、おっさんっ」

 コリンの不機嫌な声が、うれしく聞こえるって、俺の精神状態はちょっとおかしくなっているらしい。


 立ち上がると、フェリシュカがすかさず俺の手に掴まった。

「ええと……?」

「えへへ……」

 俺の困惑した声に返されたのは、嬉しそうな顔で。そんな顔を向けられて、無下に手を振り払うことなど出来はしなかった。まあ、親子だって普通に手を繋ぐしな。どこか居心地の悪さを感じながら、そんな理由を付けた上で、ここは引きつった笑みを浮かべざるを得ない。そして、案の定、目力の強いお子様に睨まれる、というのは、ひとつのパターンとして確立したでよろしいでょうか。


――なにこの精神削られる感。


 ドアの前まで行くと、コリンが怒ったような顔をしてフェリシュカの腕をわしっと掴み、小屋の中に勢いよく引き入れた。

 俺は、ドアの外に立たされたまま。これは、ご主人様のご機嫌を損ねた下僕は、罰としてごはん抜きとか、そういう展開か。運動したのに、たんぱく質補給出来ないと、筋肉落ちちゃうんだけどな~。

「おっさん……」

 剣呑な雰囲気で呼ばれる。

「はいはい、ごはん抜き。分かったから、フェリに八つ当たりはやめろよ?」

「は?何の話だよ。後ろ見ろ」

「え?」

 言われて振り返ると、日が落ちて暗闇に支配された森の中で、青白い光がいくつもすい~っと漂っているのが見えた。ええと、正確に言うと透明で大きな塊が、青白く発光しながら、少しずつ数を増やしながら、こちらに近づいてくる。


 距離が近づくと、その形状が、クマ程もある大きなクラゲのような、触手を持つ半透明でゼリー状の生き物であると分かった。ゲームでいう所のモンスターとかいう奴か。

「……たく、食事時に押しかけてくるとか、空気読めねぇ奴だな」

 俺は空腹に耐えつつ、剣を抜いた。早くご飯が食べたい。そんな生物が生きる為の基本的欲求を原動力に、そのまま一番近くのお化けクラゲに突っ込んでいた。

「おっさん、ちょい、待……」

 コリンが何か言いかけたような声が聞こえた時には、俺はもう剣を思い切りよく薙いでいた。


 相変わらずのナイスな切れ味で、クラゲが一刀両断される。ぷるるん、たゆーんと、その透明な体が二個の物体に分かれて、地面の上でゼリーのように揺れている。よしよし。こいつはそんなに強くなさそうだ。そう思ったところで、コリンの

「あ~あ」

 という、失望交じりの声が聞こえた。


――あ~あ?


「それ、切るとエンドレスになるよ」

「え?」

 言われて見れば、二個の物体に分かれたクラゲもどきは、それぞれ二分の一サイズで元の形に復元されていた。そして、そのサイズもまた少しずつ元の大きさに戻っていくようだ。

「うわ、何これめんどくさっ。どうすんだよこれ?」

「一応、炎が弱点だから、火をつけて燃しちゃえばいいんだけど……量が尋常じゃないから……困ったな、どうしよう……」

 コリンがそう言う間にも、クラゲもどきはどんどん増え続け、小屋を取り囲み始めている。

「炎出る系の魔法とかないのか?魔法使いの弟子」

「あるけど、先生と違って、僕は、一体倒す程度の炎魔法しか使えないから、こんなにいっぺんにこられたら、多分、処理が追い付かない……と思う」

「消滅の魔法的なモノはっ?」 

「無理。僕が使えるのはモノを消すって言っても、転移魔法系だから、ここから他所に飛ばすだけたし。それも、無闇に飛ばすと飛ばした先の人に迷惑かかるからって、先生に禁止されてるし……おっさん、うしろっ!」

 ぷるぷるの触手が体を掠めそうになったのを、ギリギリでかわした所に、火炎が放たれた。ジュッという音と共に、焦げ臭い臭いが辺りに広がる。

「それ、触られると痺れが来るから、気をつけてよね」

 ノートを広げたコリンが、余裕のない感じでそう叫んだ。

「お、おぅ」

 剣が役に立たないとなると、俺にはやることがない。

「にしても、何だってこんなにいきなり大量に押し掛けて来たんだよ、こいつら」

「……まさか、先生の張ってた結界が、解除されたのか」

 コリンが困惑した顔でそう呟く。他に対処法も思い付かない様で、とりあえず近くに寄って来る個体をささやかな炎で散らしている。

「それ、もう少し、火力上がらないの?」

 思い余ってそういうと、

「僕はまだ未熟だから、これ以上火力を強くすると、炎の制御が出来ないんだ」

 と、泣きそうな顔で言われた。そして、

「もし、先生の結界が解除されたんだとしたら、こいつら以外にも、魔物がここに押し寄せてくるかもしれない」

「は?」

「ここは、そういう森だから」


――んと、これ、どうしてくれよう。

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