第8話「世界を救う理由」
歩のベッドにぺたんと座り込んだ凛音は、手にした携帯ゲーム機を睨み、素早く親指を動かしていく。よーし、もうちょっと……これで、どうだ!
――クリア。ふぅ、と息をつき、凛音は額の汗を手の甲で拭った。今回はシュヴァリエもいないことだし、これでもう大丈夫だろう。
顔を上げた凛音は、歩の視線が携帯ゲーム機に注がれていることに気付いた。
「それさ、どんな感じなんだ?」
どんなって……凛音は携帯ゲーム機に目を落とし、次いで歩に目を向ける。
「……やってみます?」
「え?」
「練習モードがあるので……はい、どうぞ」
凛音はオプション画面で設定を変更。手をうんと伸ばして、歩に携帯ゲーム機を差し出した。それを受け取った歩は、様々な角度から眺め、両手で持って構える。
「どうするんだ?」
「方向キーで自機を動かして、ボタンで弾が出ます。スタートボタンで開始です!」
歩はスタートボタンを押した。画面下方に自機が現れる。
カウントダウン……3、2、1、スタート。爆発。
歩はゲームオーバーの文字を見て、目をぱちくりする。
「……おい、いきなりやられたぞ?」
「あはは! 多分、敵の弾に当たったんですよ!」
「弾? そんなの、見えなかったぞ?」
「大きさは1ドットぐらいですし、速いですからねぇ」
歩は首を傾げつつ、コンテニュー。画面に集中する。
……3、2、1、スタート。あ……爆発。
弾らしきものが一瞬見えたが……自機を動かす暇はなかった。
「……あんなの、どうやって避けるんだ?」
「私がやってみますから、こっちに来て見ててください!」
ベッドに腰を下ろす格好となった凛音は、マットレスを叩いて見せる。
歩は凛音に携帯ゲーム機を手渡し、その隣に腰を下ろした。凛音は見やすいように携帯ゲーム機を傾け、歩はその画面を覗き込む。
「いきますよ」
……3、2、1、スタートと同時に、凛音は方向キーを親指で叩いた。機体が僅かに移動し、敵の弾を回避。その後も凛音は細かく自機を動かし、敵の弾を避け続けている……はずだが、歩には画面がちらついているようにしか見えなかった。
しばらくすると、敵らしき複数の機体が出現。その動きは素早く、奇抜だったが、凛音は的確にそれらを撃ち落としていく。1機、2機、3機……その光景を、歩は固唾を呑んで見守る。
やがて、画面に「ゲームクリア」の文字が出現。歩は大きく息を吐き、額の汗を拭った。一方の凛音は
「一番簡単なので、こんな感じですね」
「……凄いな、ゲーマーのタレントっていうのは」
「軍師です! ……でも、やってることはゲームなんですよね。大変なのは晋太郎さんと啓介さんの方ですから。晋太郎さんは、戦況情報を元にリアルタイムでステージを作成。啓介さんは、クリア情報を元にリアルタイムでゾルダートを指示。私はこうやってどこでも戦えますが、お二人は司令室じゃないといけないし……このところ、ずっと泊まり込みなんですよ?」
凛音はそう言いながらショルダーバッグに手を伸ばし、ごそごそとまさぐって棒付きの飴玉を取り出し、包み紙に手を掛ける。
「そんな
「んー、理由はそれだけじゃないんですけど……戦闘回数は、確実に増えてますね」
「……その、大丈夫なのか? 俺が言うのも、なんだけどさ」
「本当ですよ! ……ただ、毎回の戦闘記録をちゃんと解析して次に備えてますし、私達も腕を上げてますからね! そして何より、和馬君の成長が大きいです! シュヴァリエの種類によっては、和馬君も十分戦力になってくれますからね!」
「じゃあ、俺がいなくても……がっ!」
歩の口に飴玉が押し込まれる。しゅわっとした甘さ……ソーダ味だ。
「種類によっては、です。新手のシュヴァリエには通用しません。今だって、先生の戦闘記録を頼りに特訓を重ね、ぎりっぎりで勝てる……って感じなんですから!」
凛音は新たな飴玉を取り出した。歩は水色の飴玉を舐めつつ、一言。
「……皆、頑張ってるんだな」
「そうです、頑張ってるんです!」
凛音はうんうんと頷きながら、白色の飴玉を頬張る。
「何のために、頑張ってるんだろうな」
「もちろん、世界を救うためですよ」
「その理由だよ。世界救う理由」
「またクイズですか? ……それより、先生の方はどうなんです?」
「俺?」
「小説ですよ! 締め切り、もうすぐでしたっけ?」
「……九月末」
「一ヶ月、切ってますけど?」
「まぁ、順調ではないかな」
「……ですよね。何だかんだで助けて貰ってますし、私もお邪魔してますから」
「それは関係ない。自分の筆が遅いだけだ」
むすっとして飴玉を舐める歩。凛音はその横顔を一瞥し、立ち上がった。
「帰りますね」
「だから、君のせいじゃ――」
「違います。さっきの戦闘の事後処理とか、細々とした仕事があるってことです」
「忙しいなら、わざわざ来なくていいんだぞ?」
「……そういえば、私は何でここに来てるんでしたっけ?」
「STWの勧誘、だろ?」
「ああ、そうでした! 入ります?」
「断る」
お約束のやり取り。凛音は歩がSTWに入ることはないだろうなと思う。それでも、もしもの時は、きっと……とも思っていた。それも、お約束。
凛音は玄関で靴を履き、鍵を外して扉を開けた。振り返り、歩に声をかける。
「お邪魔しました。……その、執筆、頑張ってくださいね!」
「ああ、ありがとう。君こそ……何というか、頑張れよ」
「……が、頑張ります!」
外に出て扉を閉めた凛音は、「う~ん」と小首を傾げる。
何だろ、何か……変な感じ。凛音は軽く首を振ると、コメットを手に取った。
「あーもうっ! ふざけんなってんだよっ!」
凛音がSTWの司令室に戻ると、晋太郎が荒れに荒れていた。がりがりと頭を掻きむしり、モニターを睨み付けながら、「くそっ!」「このやろっ!」とキーボードをがちゃがちゃ叩き散らしている。その席の周りには、紙コップや栄養ドリンクの空き瓶、携帯食料の包み紙が散乱していた。
凛音が目をぱちくりしていると、晋太郎の隣の席に座っている啓介が振り返り、疲れた笑顔を見せる。晋太郎のそれほどではないが、やはり席の周りが乱れていた。
「おかえり」
「……おい、凛音っ! あの非常勤は、いつになったらSTWに入るんだ?」
「えっ……と、その……」
「非常勤とは、言い得て妙だね。先生にぴったりだ」
戸惑う凛音を見かねて、啓介が口を挟む。
「茶化すなよ。こちとらずっと張り付いて作業してるってのにさ、先生は自宅待機、必要な時だけやってきて、ぱーっと倒して帰宅……こんなの、不公平だろ?」
「僕達と先生の仕事は違うからね。必要な時に来てくれるだけでも、ありがたいと思った方がいいんじゃないかな?」
「そんな甘いこと言ってさ、俺達が最後に家に帰れたのはいつだって話だよ。必要な時には来てくれる? 確かにそうだ。でもな、間に合わなかったらどうすんだよ? 一刻を争うってのに、先生が見つかりません、だから世界は滅びましたなんて、笑い話にもならねぇぞ?」
「それは……まぁね。それより晋太郎、少しは休めって」
「……さっきの戦闘のレポートが終わったらな。戦闘だけでもきついのに、リオン・ハートの調整やらなんやら……全く、時間がいくらあっても足りねぇぜ」
「……ごめんなさい」
リオンは晋太郎に向かって頭を下げる。晋太郎は手を止め、凛音を振り返った。
「……なんで、凛音が謝るんだよ?」
「増えている仕事って、お父さんからの指示ですよね?」
「まぁ、そりゃそうだけどよ……」
「それに、私がちゃんと先生を説得できれば――」
「凛音ちゃんのせいじゃないさ」
啓介の言葉に、晋太郎も肯く。
「ああ、凛音は悪くねぇ! 悪いのは先――」
「異星人、だろう?」
「……ああ、分かってるよ! でもさ、これぐらいは言ってもいいよな? ……あの才能の十分の一でもさ、カズに分けてやりてぇなぁ、畜生!」
晋太郎は前に向き直って作業を再開。啓介は席を立ち、凛音に歩み寄る。
「すまないね」
「いえ、そんな……」
「このところ詰めっぱなしだろう? それで、彼女と喧嘩したみたいなんだよ」
「えっ! 彼女さんがいるんですか?」
「ああ。高校時代からの付き合いらしい。陸上部のマネージャーでね。告白されて渋々……とか言ってたけど、僕の見立てでは恐らく逆、だろうね」
目配せする啓介に、凛音はくすりと笑った。啓介は晋太郎に目を向ける。
「まぁ、気持ちも分からなくはないよ。僕も妻と娘の顔を長らく見てないし」
「それは……寂しいですね」
「でも、これは他でもない、家族のためだからね」
……家族のため、か。凛音はふと思い立ち、啓介に尋ねた。
「それが、啓介さんの世界を救う理由ですか?」
「……そうだね。僕にとっては、家族が全てだから」
「晋太郎さんは……彼女さんかしら?」
「それもあるだろうけど、あいつは単純だからね。世界を救うのに理由はいらない……というのもあるだろうし、給料のため……まぁ、それは僕もだけど」
「お給料か……ぐっと身近な理由になりましたね」
「そうだね。ところで、凛音ちゃんの世界を救う理由は何なんだい?」
「私はそれが夢だと思ってたんですけど……よく分からなくなっちゃいました」
そう言って、凛音はぺろりと舌を出した。
「……おしっ、終わったっ! 俺は寝るぞっ! もう来るなよっ! 異星人っ!」
晋太郎はそう叫んで立ち上がると、興奮状態から一転、大きな欠伸をしながら、ふらふらと司令室の扉へ向かう。去り際に、一言。
「……ライオン、悪かったな」
「凛音です! いえ、お疲れ様でした!」
晋太郎は手を振って応え、扉の奥へと消えた。
STWにはアスレチックセンターと呼ばれる運動場があり、一周四百メートルのトラックが完備されていた。銭湯と同じ、福利厚生施設の一つである。
和馬はランニングシャツと短パンという格好で一人、トラックを走り続けていた。そこに、差し入れのスポーツドリンクを手にして、凛音がやってくる。
「和馬君! 今日も頑張ってるね!」
「あっ! 凛音ちゃん!」
和馬は疲れた顔に生気を取り戻すと、凛音に向かって猛ダッシュ。荒い呼吸を整えつつ、流れる汗をタオルで拭った。
凛音がスポーツドリンクを差し出すと、和馬は嬉しそうに受け取る。
「ありがとうございます!」
和馬はごくごくと喉を鳴らして一気飲み。その飲みっぷりに、凛音は感心する。
「毎日、ここで走ってるよね?」
「……ぷはぁ! ごちそうさまです! ええ、やっぱり体力は基本ですから!」
和馬は凛音にぐっと腕を曲げて見せた……が、そこで深い溜息をつく。
「……とはいっても、実際は試行錯誤なんですよ」
「どういうこと?」
「ミコちゃん曰く、パイロットの技術って、こうやれば伸びる……ってものじゃないみたいなんです。もって生まれた才能が一番らしくて。それでもどうにかしようと、ミコちゃんが色々な練習プログラムを組んでくれたり、サプリメントを作ってくれたりするので、それを試しながら……試行錯誤している感じですね、今は」
「……和馬君は、どうしてそんなに頑張ってるの?」
「え?」
「その、世界を救う理由……的な?」
「うーん、そうですね……」
和馬は腕を組んで目を閉じると、「う~ん……」と唸り始める。その眉間に深い皺が寄っているのを見て、凛音は慌てた。
「そ、そんな深く考えなくても――」
「僕、ずっと何かやりたいこととか、目標ってなかったんですよ」
和馬は目を開き、首を傾げる凛音に向かって、言葉を続ける。
「学校に行って、勉強して……まぁ、面白くもなく、つまらなくもなく」
「そう、なんだ? 友達も大勢いて、楽しそうだったのに……」
「あ、そう見えました? 僕、人の話を聞いたり、合わせたりするのは得意ですから、周りの受けはいいんですよね。先生とかは、特に……僕的には、目の前に出されたことを、はいはいと言って片付けていれば、物事が円滑に進んでいくから楽だなぁって、ただそれだけだったんですけど」
「……何だか、意外」
「僕もです。それが普通、当たり前だと思ってましたから。でも、そんな僕にも見つかったんです! 誰かに与えられたものじゃなく、自分から、このために頑張ろうと思えるものが! ああ、僕の人生、これまでいかに無味乾燥だったことか……」
「えーっと……それが、世界を救う理由なの?」
「はい! というより、僕がここにいる理由ですね。だから、僕にパイロットの才能がほんの僅かでもあることが分かって、そのお陰で凛音さんのいるSTWに入れることになった時は、本当に嬉しかったなぁ……これが、僕の運命なんだって!」
「……そっか、和馬君は自分の運命を受け入れたんだね」
「へっ?」
「ううん。運命だって、色々あるもんね。それで、何が見つかったの?」
「そ、それは――」
ぴろりろりん。ぴろりろりん。トレーニングセンターに、警報が鳴り響いた。
――ゾルダートとソルダ。無人機による前哨戦は、夢の世界から叩き起こされた晋太郎による獅子奮迅のプログラミングも手伝って、終始ゾルダートが圧倒……戦闘は今、リッターとシュヴァリエの一騎打ちという局面を迎えていた。
「……非常勤は?」
司令室の全面モニターを赤い目で睨みながら、晋太郎が啓介に言い放つ。
「今、リブラちゃんが迎えに行ってるよ」
「送迎付きとは、良い身分だな。じゃあ、来るのか?」
「凛音ちゃんの話だとね」
「……わっかんねぇなぁ。……おっ! カズ! いいぞ、やっちまえ!」
青い騎士と黄色い騎士。リッター・ランスロットと新手のシュヴァリエ。両者の戦いが開始して間もなく三分。一進一退の攻防が続いていた。
晋太郎は半ばやけくそ気味に、手を振り上げて声援を送っていたが、不意にその手を止め、静かに下ろす。そして、大きな溜息を一つ。
「……何か、現実感がねぇよな。この勝敗で、地球の命運が決まるなんてさ」
「もっと派手な方がいいって?」と、啓介。
「……まぁ、そうなるのかな。ぶっちゃけ、ゾルダートとソルダの戦いの方が、それっぽいと思うけどよ。ただ、本命はこっちなんだよな」
「ああ。とはいえ、ゾルダートがソルダに押し切られたら、その時点でアウトだ」
「分かってるさ。世界の救い方に、優越なんて……ちっ、やられたかっ!」
ランスロットの右腕が付け根から切断され、胴体から離れた。致命傷ではないが、その手に唯一の武器である
「大丈夫、先生が来た」
戦場に颯爽と現れた白騎士……リッター・アーサーは、腰に帯びた機巧剣……「エクスカリバー」を抜き放ち、シュヴァリエを一刀両断。爆発の衝撃からランスロットを守り、その右腕とアロンダイトをも回収する。
――その手際を見届けた晋太郎は、すっくと立ち上がった。
「お疲れ様です!」
格納庫に帰投した歩を、凛音が出迎える。
「今回は……その、どうして来てくれたんですか?」
これもお約束……そう思いながら、凛音はその問いを口にした。
「……執筆が
「そうですか。気分転換は……必要ですもんね」
凛音は頷き、その取って付けたような理由を受け入れる。
「おいっ! 非常勤っ! どこだっ!」
格納庫の扉が開き、晋太郎が入ってきた。
きょろきょろと辺りを見回し、歩を見つけると、肩を怒らせながら、大股で近づいていく。その後には啓介が続き、先を急ぐ晋太郎を止めようとしていた。
「おい、晋太郎――」
「俺はな、非常勤の先生様に、言いたいことがあるんだよっ!」
そう言って、晋太郎は歩の前に立った。腰に手をやり、胸を張る。晋太郎の方が背が高く、体格もがっちりしていた。歩は晋太郎を見上げ、口を開く。
「……何ですか?」
「さっさとSTWに入れってんだよ! 何をごねてるのか知らねぇけどよ、必要な時にはちゃんと来てくれてさ、それじゃ、入ってるのと変わらねぇだろうがっ!」
「……言いたいことって、それかい?」
啓介はやれやれと首を振る。晋太郎は鼻を鳴らし、大きく肯いた。
「……けじめって奴だ。俺はな、こういうどっちつかずの奴を見てると、苛々するんだよ! 入るなら入る、入らないなら入らないで、びしっと決めやがれ!」
歩は晋太郎を見返した。その横顔を、凛音はじっと見詰める。
「……俺には、世界を救う理由がない」
「何だと?」
「だけど、世界を救うというSTWの志は立派だと思うし、意義があると思う。STWの皆さんは尊敬に値する……これは皮肉でも冗談でもなく、俺の本心だ」
「そんな、大層なもんでも……ねぇけどよ」
「だから、俺は……STWのためなら、自分の力を使いたいとも思う」
「そ、そうか。それなら――」
「でも、俺は……土壇場で、夢を選ぶと思う。世界よりも、誰よりも、何よりも。だから俺は、STWに入ることはできない」
そう言い切った歩の背後からリブラが抱きつき、ずるずると引きずっていく。
「……何だってんだ?」
憮然とする晋太郎。啓介は苦笑いを浮かべ、肩をすくめる。
「まぁ、今後も非常勤としては期待してもいいんじゃないかな?」
――そんな二人の声を遠くに、凛音は遠ざかる歩を見送っていた。
「……そろそろ、頃合いじゃな」
メイソンの報告を聞いたエクセリアは、携帯端末から顔を上げた。
「お嬢様、それでは……?」
「うむ。じゃが、その前に……」
「その前に?」
「まずは、敵情視察じゃ!」
嬉しそうなエクセリアの笑顔を見て、メイソンは天を仰いだ。
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