第7話「夏風邪」

 ピンポーン。凛音は呼び鈴を鳴らす。

 ……あれ? 反応がないので、凛音は首を傾げた。もう一度、押してみる。

 ピンポーン。

 ……出かけてるのかしらん。間もなく正午。近所のコンビニまで、お昼ご飯を買いに行っているのかもしれない。いつ来ても、お弁当の容器が捨ててあるしね。

 考えてみれば、毎回アポイントメントを取っているわけでもなく、不在でもおかしくはない。外出先も別に発信器をつけているわけではないので、分からない。

 仕事……という可能性もあるだろうけれど、正直、どこかで働いているという気配は、全く感じられなかった。……案外、お金持ちなのだろうか? その割にはアパート暮らしだし……まだまだ、分からないことだらけだなぁと、凛音は思う。

 凛音は口に含んだ飴玉を舐めながら、さてどうしようかと考える。

 このまま帰りを待つのが一つ。八月も下旬となり、今日は猛暑も一段落。外で待つのも、そう苦ではなかった。カベヌケールを使って、部屋の中で待つという手もあるにはあるけれど……完全に、不法侵入である。

 STWに引き返すのも一つ。……というか、これがベストだろうとは思う。ただ、もし今敵が攻めてきたとしたら? そして、そこに新たなシュヴァリエが……などと考えてしまい、不安になる凛音。

 ……やっぱり、発信器を作って貰おうかな。ミコちゃんなら、お茶の子さいさいだろう。少々、やり過ぎな気もするが、世界を救うためなら……って、駄目に決まってるでしょうが! 凛音は自分の頭を軽く小突く。

 ……帰ろう。凛音がくるっと振り返った時、がちゃりと音がした。凛音はさらに半回転し、口から飴玉を取り出した。紫の飴玉。

「先生、こんにちは……って」 

 ――顔が赤かった。目も虚ろで、見るからに弱々しい。歩は片手で口元を押さえ、凛音から顔を背けると、ごほごほと咳き込んだ。……うーん、分かりやすい。

「風邪、ですね?」

「……ああ」

「コンビニ弁当ばっかじゃ、そりゃ体調も崩しますよ」

「栄養のバランスは考えている。コンビニ弁当も、捨てたもんじゃないぞ?」

「そこまで説得力がないのも凄いですね……」

 歩は凛音を睨んだが、すぐにまた顔を背ける。ごほごほ……重症だ。汗も酷い。

「熱も高そうですね」

「まぁな」

「……まさか、インフルエンザじゃないですよね?」

「分からん。とにかく、今日は帰った方がいい。じゃあな」

「あ、ちょっと――」

 ばたん。がちゃり。凛音が止める間もなく、家に引っ込む歩。凛音は飴玉を口に含むと、腰に手を当て、閉ざされた扉を睨んだ。

 ……そうだ! 凛音は自分の思いつきに満足してにやりと笑い、踵を返す。

 

「……それで、手料理ってわけね?」

 舞はテーブルの上にずらっと並んだ、ホームセンターのビニール袋に目をやった。ぱんぱんに膨らんだそれら中身は、肉やら、魚やら、野菜やら、果物やら……まさに、食材のオンパレードである。これらを全部、箒の柄にぶら下げて凛音が帰って来た時には、何事かと思ったけれど……。

 STWに調理室はなかったが、給湯室ならあった。そこにはささやかなキッチンスペースが設けられており、コンロや電子レンジ、冷蔵庫なども置かれている。

 凛音は漆黒のコートを脱ぎ、代わりにフリル付きのエプロンを装着。これもホームセンターで購入。他にも包丁やまな板、その他の調理器具も、目に付いたものは何でも買ったが、領収書はSTWで貰っているので、全て経費で落とせるはずだ。

「早く元気になって貰わないと! 新手のシュヴァリエが来たら大変ですし……」

「元気になっても、リッターに乗ってくれるとは限らないんじゃない?」

「だからこその、手料理なんです!」

「どういうこと?」

「こうやって恩を売っておけば、一度ぐらいリッターに乗ってくれるはずです! いや、料理の出来映えによっては、STWに入ってくれる可能性だって……」

 うふふ……凛音は包丁を手にして笑う。そんな凛音を見て、舞は眉をひそめた。

「……何かしたたかというか、あくどくなってきたわね?」

「先生のせいですよ! 素直に入ってくれればいいのに、妙なクイズまで……」

「クイズ?」

「何だかややこしくて、意地悪なやつですよ! まったく、もう!」

 憤懣ふんまんやるかたない、といった様子の凛音を見て、舞は苦笑した。

「……でも、急いだ方が良いのは確かね」

「え?」

 凛音は隣に立っている舞を見上げた。舞は人差し指を頬に当て、小首を傾げていたが……やがてふぅ、と息を吐いて、凛音の顔をじっと見詰める。

「君のお父様がね、良からぬことを考えているみたいなのよ」

「……お父さんが?」

「彼はずっとリッターに懐疑的だった。でも、ここ最近の戦闘データを見てか、あるいは何か思うところがあったのか……とにかく、考えを改めたようなの」

「それは、良いことじゃないんですか?」

「ええ。でも、彼の基本方針は一般化だから。つまり、リッターを誰でも使えるようにしたいというところまでで、ワンセットなのよ」

「えっと……その、リオン・ハートと同じように、ですか?」

「そう。もちろん、その考え自体は悪いものではないし、むしろ理想ね。とんでもなく高い理想だけど。ただ、彼には彼なりの算段もあるのだと思う」

「……じゃあ、良からぬことっていうのは?」

「理想の実現には研究が必要不可欠……リッターだけでなく、パイロットについてもね。一般化するには、リッターを誰でも使えるようにするか、誰でもリッターを使えるようにするか……そのどちらかが必要だから」

「誰でもって、そんなことできるんですか?」

「言うは易し、だけどね。ただ、倫理面を度外視すれば、達成も早まると思うわ」

「……それって、人体実験をするってことですか?」

「あるいは、それに近いことをね」

「お父さんが、そんな……」

「君のお父様の人格を否定するつもりはないわ。長い付き合いだから分かるけど、彼は良い人よ。でも、彼にはミナヅキ・インダストリー総裁という立場がある……この違い、分かるわよね?」

 神妙に肯く凛音。それを見て、舞はふふっと笑った。

「ごめんなさいね、あくまで、仮定の話よ。ただ……亀山君に関して言えば、STWに入っても入らなくても、この先の運命は変わらない……これは断言できる」

「運命?」

「個人では抗えない、大きな力のことよ。亀山君にしろ、私にしろ、君にしろ、君のお父様にしろ、決して抗えないもの。抗えない以上、受け入れた方が楽よ。何倍もね。だから、私は亀山君が早くSTWに入ってくれればと思う。自発的……その選択肢がまだ残されている間にね。それが、お互いにとって幸せなことだから」

「司令……」

「ま、小難しい話はこれでおしまい! で、凛音は何を作るつもりなの? 私も呼ばれたってことは……味見役ってことかしら?」

「え、えーっと、司令にお願いがあるんですが……」

「何?」

「お料理を教えてくれませんか?」

 舞は石のように固まった。……やがて動き出した舞は、大きな溜息をつく。

「……私が学生時代、調理実習で作ったスライムの話、聞きたい?」


「……それで、できたのがこれか?」

 ベッドの上に腰掛けた歩は、手にしたゆで卵をまじまじと見詰めた。

「ははは……」

 椅子に座った凛音は、半笑いのまま回転する。

 ……舞は料理が作れなかった。というか、作ってはいけない人だった。

 それでも、ネットで調べればどうにかなるだろうと、二人は料理を作り始めたのだが……二人とも、リブラに調べて貰うまでもなく、料理のタレントが欠落していることが明らかとなった。それはもう、これ以上無いというほど、はっきりと。

 そして、農林水産業に携わる全ての方々へ土下座で詫びる事態と、STW発足以来初となるスプリンクラー設備の活躍を経て、ゆで卵が完成したのだった。

「なんで、ゆで卵なんだ?」

「おかゆは煮過ぎて糊に……もとい、口に優しくても胃腸には優しくないとの情報がありまして、完全栄養食と名高い卵を、とろっとろの半熟でお届けしました!」

「なるほど……」

 歩はゆで卵の殻を剥き、一口頬張る。

「うん、見事な固ゆでだな」

「あれ~?」

 凛音は首を傾げる。歩は残りのゆで卵も口に入れ咀嚼。ごくりと飲み込んだ。

「……でも、美味かったよ。ありがとう」

「良かった! あ、ゆで卵だけじゃ何なんで、コンビニで桃缶も買ってきました! 定番ですもんね! あとは、水分補給のスポーツドリンクと、ミコちゃん特製、原材料不明の元気が出るドリンク……何でも、一週間は凄いらしいですよ?」

「……最後の以外、ありがたく頂くよ。じゃあ、うつる前に帰った方が――」

「うがいをすれば大丈夫……って、先生が大変ですよね? ごめんなさい!」

 席を立つ凛音。歩は首を振って、一言。

「答えは出たか?」

「え?」

「君にとって、世界とはなんだ?」

「あー……それは、さっぱりです」

「そうか」

「でも……」

「ん?」

「……友達に相談して、気付いたこともあります。世界は一つじゃないんだって」

「友達……いたのか」

「そこですか! ちゃんといますよ、私にだって! 先生こそ――」

「いないよ」

「えっ……」

「昔はいたけど、すっかり音信不通だ」

「……その、ごめんなさい」

「謝ることはないさ。自分のせいだから」

「自分の?」

「俺は小説を書くからって、誘われても断った。それを何度も繰り返したら、あいつは放って置こう……そうなって当然さ。それを、俺は望んだわけだから」

「そ、そんなに時間がかかるんですか? 小説って? 友達と遊べないほど?」

「時間はある。ただ、もっと大切なものを失ってしまう気がしてね」

「もっと、大切なもの?」

 歩はごほごほと咳き込み、大きく息を吸って……吐き出した。

「……友達も、世界も、大切だよな」

「はい?」

「世界を大切に思い、それを救いたいと思う気持ちは立派だ。凄いと思うよ」

「……どうしたんです? 熱とか、大丈夫ですか?」

 凛音は歩の顔を窺う。歩はどこか宙空を見詰めながら、口を開いた。

「でも、それは一人に背負えるものじゃないし、背負わせていいものじゃない」

 凛音は思わず自分の肩に手をやり……首を振って、明るい声を出す。

「一人じゃないです。STWの皆がいますから」

「世界を救うにしては、ちょっと少ないんじゃないか?」

「……でも、やらなくちゃ。誰かがやらないといけないことですから」 

「それが、君達である必要があるのか?」

「……皆、タレントがありますから」

「自分達がやるしかない、その力があるから……大した自己犠牲の精神だな」

「そんなんじゃないです。これはきっと……運命なんです。私だけじゃなく、皆の」

「運命、か。便利な言葉だな」

 ……凛音は舞の言葉を思い出した。個人では抗えない、大きな力。

「先生、STWに入ってください」

「それが俺の、運命か?」

「はい。でも、安心してください! 先生にはリッターに乗って戦って貰うこと以外、一切の負担はかけませんから!  大丈夫、小説を書き続けることだって――」

「優しいな、君は」

 歩は凛音を見上げ、微笑んだ。凛音は自分の両頬に手をやり、首を振る。

「な、何を言うんですか!」

「でもさ、そうやって何でも背負い込むと、自分の人生がなくなっていくぞ?」

 ……私の、人生? 何を言っているのだろう? でも、そんなの……。

「仕方がないじゃないですか」

「仕方がないからって、自分の人生を諦めるのか?」

「そんなこと言ったって……それこそ、仕方がないじゃないですか」

 他に、どんな道があったのいうのだろう? 世界を救う……それ以外の道が。

「……偉いな。それなのに、俺は……」

「先生……」

「……悪い、ちょっと寝る」

 歩は布団を被って横になり、目を閉じる。

 凛音は立ったまま歩を見守っていたが、規則正しい寝息が聞こえ始めると、椅子に腰を下ろした。そして、くるくると回りながら呟く。

「私の人生、か」


 ――数日後。

 ピンポーン。凛音は呼び鈴を鳴らす。

 がちゃっと鍵が外され、扉が開いた。凛音は歩の顔色を窺い、肯く。

「風邪、治ったみたいですね!」

「ああ、お陰様で――」

 メールだよん! メールだよん! 凛音はコートから携帯電話を取り出した。

「行こう」

 歩の言葉に、凛音は携帯電話から顔を上げる。

「……いいんですか?」

「見返りを期待していたんじゃないのか?」

「そ、それはそうですけど……」

「……そこは否定して欲しかったな。まぁ、いいけどさ」

 凛音は歩の顔をじっと見詰めた。歩は目をぱちくり。

「なんだ?」

「先生。STWに入りませんか? 何というか、もう――」

「それは断る」

 ……そう言うだろうなと、凛音は思っていた。でも、先生はすでに気付いているのだろうなとも思う。ずっと前から……自分の運命というものに。

 それでもなお、抗っているのだ。その理由までは分からないけれど……それはとても辛く、苦しいことに違いない。茨の道、という奴かも知れない。

 ……そういう性癖なのかな? 凛音はとりあえず、そう思うことにした。

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