第十七章 梁小姐
気になることがあり、わたしは王くんを探した。ただこちらから連絡する手段がない。梁小姐になにか方法はないか訊ねてみた。梁小姐はあっけらかんと指摘した。
「念じてみたら」
そうだった。にわか尸解仙のわたしは、肝心なことを忘れていた。もはやわたしは並みの人間ではない。時空を超えて、「念ずれば通じる」超能力者なのだ。
これまで梁小姐について、ほとんど触れてこなかった。
わたしの専属運転手で、マンション事務所の合鍵を渡し、銀行カードの暗証番号を教えてある相手だということくらいしか紹介していない。そのじつ、かの女は事務所のオーナーであり、わたしの財産管理人なのだ。
つきあいはもう十五年になる。広州に来た当座、友達づきあいでガイド代わりに案内を頼んだのがはじまりだった。勘がよく、目端が利き、ものごとにこだわらない性格が気に入り、車の免許を取ったのを機会に車をあたえ、専属の運転手にしている。地元の出身なので白話(広東語)と普通話(標準語)の通訳としても役立つ。普通話のできない地元の人間が相手の場合、必要になる。われながらあきれるが、何年たってもわたしは白話ができない。完全にお手上げ状態だ。
「念じてみたら」のひとことでもお分かりのように、梁小姐は勘がよくはたらく。ちょっとした疑問を投げかけたとき、詳しい内容を知らなくても、勘どころを押さえた当意即妙の答えを返してくる。
最近、わたしはかの女にいろんな話を聞かせてある。このところとみに記憶力が減退し、きのうの電話の内容さえ忘れがちなことから、上書き保存のつもりで話している。
急に電話があったとき、「なんだっけ」と思い出せないときの用心のためだ。ことに人の名前と数字の記憶がだめで、年々、この能力は薄らいでいる。とくに数字の暗号はまったく覚えられない。三日使わないと以前の記憶はクリアされる。暗号ごと銀行カードを預けておいた方が、なにかと便利なゆえんだ。
マンションについても、はじめはじぶん名義で登記するつもりで購入した。ところがやたら複雑な手続きを契約直前にいわれ、「めんどう」とばかりにかの女名義で登記してしまった。だから事務所マンションの名義人はかの女で、オーナーなのだ。
いずれにしてもこの地を終の棲家と定めた以上、このさき代理人やら管理人は必要になる。その対象として、はじめからかの女を選んだわけだ。
そもそも長期滞在のためには、暫定居留証というものを申請しなければならない。これには代理人か連絡人を選定しておく必要がある。さらに人間、明日のことは分からない。ある日ころっと逝っていないという保証はどこにもない。歳も歳であるから死亡見届け人の役割も兼ねてもらっている。
要するに、わたしの最期を託そうとしている「
友達づきあいをしていた時代にわりない仲になり、こんにちに至っている。「対象」を専属運転手にしているわけで、逆ではない。
どうでもいいことだが、むかし『明治天皇と日露大戦争』という映画があり、皇后役の女優と製作会社の社長がわりない間柄だと発覚し、「いわば社員に手をつけるとは何ごとか」といって物議をかもしたことがあった。社長は平然として答えた。
「わしはじぶんの妾を女優にした覚えはあるが、女優に手をつけて妾にした覚えはない。じぶんの妾に手をつけてどこが悪いか」
このところ記憶力がとみに減退しているといったばかりだが、どうでもいいことは忘れずによく覚えている。
そんなわたしが、いまや「仙人」となった。
さっそく梁小姐にご注進におよんだところ、案に相違してそっけないご返事だ。
「シカイセン? なに、それ」
口でいっても通じない。尸解仙と漢字で書いても
「さあ早く、念じた、念じた」
分からぬことは深く追求しないし、夢のような話は頭から信じない。実存主義者、梁小姐のいいところだ。
あれこれ考えるより、念じた方が早い。梁小姐のご意見にしたがい、念じてみた。
「なんでしょうか」
たちまち王くんの意思を感じた。音声はなく姿も確認できないが、王くんに違いなかった。インスピレーションあるいは霊感とでもいおうか。自問自答のように、わたしの質問にたいする王くんの答えが伝わってくるのだ。念波というらしい。
「きみとわたしの縁について質しておきたい。おやじはなにも語らなかった。だとすると、ひい爺さんにあたる福地雄一郎につながる縁だろうか」
「じつのところ、ぼくもまだ確かめていないので、分かりません。ただ、ぼくの母がお婆さんから聞いた話だといって、それとなく話してくれたのを覚えています。でも、こどものころのことだったので、記憶は定かではありません」
「えっ、どうして?」と、わたしは思った。
――お母さんでも、お婆さんでもいい。直接訊ねたらすぐに分かることじゃないのか。
とつぜん、想念のなかで王くんの顔がゆがんで見えた。
「福地先生はご存じない。だから気楽にそんなことがいえるんです」
王くんはいまにも零れ落ちんばかりに、両目に涙を湛えていた。
「聞くのがつらい、そんなことってあるでしょう」
恵州起義が鎮圧され、山田良政の処刑を確認したのち、福地雄一郎は羅浮山へ引き揚げた。うら若い中国婦人を連れ、赤子を入れた竹篭を背負っていたという。鄭壮志ら三合会の落武者も、見え隠れしながらあとについていた。
恵州から深圳にかけ、清国官兵による残党狩りが行われていた。香港へ逃れようとした蜂起側の残党は一網打尽にされた。しかし、羅浮山に追及の手は伸びなかった。霊山として、駆け込み寺的存在は容認されていた。よしんば乗り込んだとしても、深山幽谷の端々まで捜索することは不可能だった。だいいち神罰を恐れて兵がしり込みし、命令を拒むほどだったから、手の打ちようがなかったのだ。
名乗らずに死んだ良政と羅浮山に潜んだ雄一郎の消息は、公の場から消えた。
清国国家転覆の謀反に、日本人がかかわっていたとあっては外交上面倒なことになる。当時の日本政府が清国政府に配慮し、良政の末弟順三郎を通じて雄一郎に耳打ちした。雄一郎に否やはない。潔くこの通達を承知し、以後、名を秘して地下活動に徹する。順三郎は上海の東亜同文書院に学んだのち、兄の遺志を継いで孫文にしたがい、その革命運動を助けた。雄一郎とは津軽時代に知り合っている。
雄一郎は上海に赴き、良政の遺髪を順三郎にわたした。
そのさい私事であるがとことわったうえで、北陸の家族に伝えていただきたい儀あり、しばしくりごとをお聞き願いたいと、あらたまって順三郎に頼みこんだ。口頭だった。
話を聞いて順三郎は、そのように大事なこと、
そのときの事情については、のちに順三郎が自身で北陸へ足をはこび、以下のように雄一郎の遺言として、妻女に伝えている。
「じぶんは日本国政府の意向にしたがい、日本の姓名はすでに捨てた。以後、中国人として生きる決意である。日本の家族には申し訳ないが、すでに亡きものとして、あきらめてもらいたい。ただし、子らに伝えてもらいたいことがある。姓名を捨てるについて、父には一片の
伝え終わると、順三郎は深々と頭を下げた。
妻女は黙って聞いていた。恨みごとひとついうでなく、まったく事情を訊ねず、ただ黙って聞いていた。順三郎が座を立ったあとも、なお塑像のように身じろぎもせず、坐ったままでいた。小学生の長男が心配して母を呼びに来た。妻女ははじめてわれに返り、長男の手をとって嗚咽した。嗚咽はやがて号泣にかわった。
兄の遺髪を受け取った順三郎は、密かに菩提寺に埋めた。恵州起義から十二年目、辛亥革命の成功により、良政の偉業はようやく天下に知らされる。
一方、雄一郎は無名で押し通し、五段重ねの柳行李を担いでは、思うがままに大陸を闊歩した。漢方薬剤売買のかたわら、各地の軍閥情報や民心の動向なども収集の対象になっていた。情報はすべて順三郎に伝えた。順三郎を通じて孫文の革命に反映させるためだった。
雄一郎もまた良政の遺志を継ぎ、孫文の革命に賭けたのだ。
しかし、中国の国情はひと筋縄では行かぬ。
孫文にかわった
その翌年、蒋介石が台頭し、北伐を開始する。
またその翌年、江西省
清国崩壊後の中国は各地の軍閥、共産主義勢力が覇を競い、勢力争いで入り乱れる。この間隙を縫って日本を含む列強が、手前勝手な理屈をつけて中国を蚕食する。
わたしは梁小姐をまえにして夕食をとっていた。
酒をやめてからというもの、やたら人恋しくなり、連れ立って食べにでる機会が増えた。食べながら、語るでもなく聞くでもなく、雄一郎の動向が話題になっていた。わたしは、まだ当事者には当たっていない。すべて第三者を介した伝聞にもとづく推測だった。不確かな部分や誤った判断は、のちに雄一郎本人が正してくれるだろう。
「結局、雄一郎はその後、一度も日本へ帰らなかった。そんなに長いこと帰らないで平気だったのだろうか」
「中国人だって、おんなじよ。仕事しだいで家族が別れて暮らすなんて例はごまんとあるわ。夫婦でもそうだし、こどもが三人いれば、ひとりだけ国に残し、あとは東南アジアにひとりと、もうひとりはヨーロッパかアメリカのどっちかへやってしまうわ。世界中に親戚が散らばっているから、そんなに難しいことじゃないのね」
華僑の実績がある。共同扶助の原理がはたらくから、転がり込む方も、引き受ける方も、
その反面、離婚も多いし、失敗して現地に居残る華僑も多い。
「雄一郎は日本国籍を捨てた。国の要請を受けて、どこかで死亡したことにしたのだろうが、それもあって日本へは帰れなかった。まさに日本人にとっては、国籍を捨てるということは、死ぬほどつらいことだった」
「捨てることないじゃない。ふたつもてばいい。お金さえあれば、国籍なんて買えるし」
日本と中国とでは、事情が異なる。
華僑ということばにたいし、華人ということばがある。違いは中国国籍の有無だ。華僑の僑には、仮住まいの意味がある。原籍保有のまま、他国で出稼ぎするのが華僑なら、現地で国籍を取得してその国の構成員となるのが、もと中国人の華人だ。
他国での長期在留者の二重国籍ということは、疑えばきりがない。ただし雄一郎はさいごに成仙するから、その疑いから免れる。なぜなら、仙人に国境はないのだから。
夕食も終わりに近づいた。残った味噌汁を飲み干した。
「雄一郎の奥さん―わたしの
ひとり言ともつかぬわたしのつぶやきに、梁小姐はなにも答えなかった。
「雄一郎の奥さんは、じぶんのことじゃなく、ずっとこどものことばかり考えていたのよ。こどもにとって父親は大事なものだから、どこにいようと父親なのよ。わたしだって――」
梁小姐は歳こそ若いが一児の母親だった。かの女の表現では、父親(夫)が「消えた」あと、こどもはずっとじぶんの母親に預けてあった。中学に入ってから手もとに引き取ったそうだ。わたしはその子
わたしはその子から
「
梁小姐は、そういって屈託なく笑った。子育ての苦労など、どこ吹く風の趣だった。
その梁小姐にして、父親としての雄一郎の存在を重くみる。
似たような境遇のわたしは、どうしても雄一郎の側に立ちがちだが、いまになって妻女の気持ちは痛いほど理解できる。
「華子」を流産したときのもと女房の気持ちを、当時のわたしはいったいどれだけ斟酌していたろうか。
「叔々じゃなく、
しおらしく追憶にふけようとしたせつな、梁小姐がとうとつなひとことを放った。
老爸とはこどもが父親をいうときの用語だ。「父さん」的なニュアンスだろうか。
「じぶんが結婚するときには、老爸に手を引いてもらいたいって、むすめがいうのよ」
わたしは思わず胸がこみ上げてきた。
「おお、そうかそうか。それじゃ、考えてやらなくちゃね」
冗談とも本気ともつかない返事でお茶を濁したが、腹のなかではかなり動揺していた。
「そうそう、もうひとついっていたわ。老爸というからには、恰好はどっちでもいいけど、せめておなかが出ていない人がいいなあ、だってよ」
小麗は、明らかにわたしを想定している。
やりかけの仕事を
「それって、まださきのはなしだろ」
「さあどうかしら。いがいと早いかもよ」
梁小姐はチラッとわたしの腹に眼をやり、おどけていった。
「がんばってね、父さん!」
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