第十二章 冲虚古観


 二ヶ月間、まったく連絡の途絶えていた王くんから思いがけず電話がはいった。それも国際電話だ。受話器から流れる王くんの声は明るかった。

「あす、広州へもどります。白雲国際空港からまっすぐ羅浮山へ向かいますから、事務所へはお寄りできません。羅浮山でお会いできますか。製薬工房をご覧にいれます」

「どこへいっていたんだい、いったい」

 なんとなくとがめる口調になっていた。

「世界中をまわって漢方ビジネスの段取りをつけてきました。いよいよ本格的にスタートします。日本からはなしをはじめ、さいごにまた日本にもどって、あす東京から帰ります」

 半信半疑だったが、羅浮山の工房見学は二ヶ月まえの約束だった。とくに調整しなければならない急ぎの仕事はなかったから、ふたつ返事で引き受けた。

「あさっての朝十時、沖虚ちゅうきょ古観こかんで会おう。車でゆくが、運転手つきでもかまわないね」

 運転手の女性は王くんも見知っていた。

「梁小姐ですね。いいですよ」

 製薬工房といっても、秘密めかした風はなさそうだ。わたしも安心して、気楽に訪ねることにした。羅浮山の主だった場所は、すでになんどか訪れ、確認してある。


 冲虚古観は羅浮山に現存する最古の宮観だ。

 山のみどりが幾重にもつらなる麻姑峰を背景に、水面のさざなみが角度のちがった光を反射させる百蓮池を眼前に見る。水面の光と山のみどりがいつまでも眼底に焼きついて離れない。千数百年を経て、いまなおかわらぬ羅浮の景勝といわれている。

 冲虚古観の左百メートルほどさきに朱明洞がある。

 それこそ、羅浮山十二洞天の筆頭に挙げられる、いわくつきの洞天だ。秦代、安期生がはじめて足をふみ入れたことで知られる至聖の地なのだ。のちに朱霊芝と葛洪があい前後して訪れ、ここで修煉した。その後、多くの修道者がこの地で学び、教え、丹を煉った。「洞」はほんらい水にうがたれた洞穴、あるいは洞窟のことだ。しかし「洞天」といえば仙人の住む世界を意味する。切りたつ山々にかこまれた奥深い山中にありながら、そこだけなだらかで穏やかな地形風土に恵まれた名山景勝の地こそ、まさに仙人の住む「洞天福地」にほかならない。


 早朝のドライブだ。

 広州の市街地を外れると、行く手をさえぎる車はまだまばらだった。比較的スムーズに車は走行した。広州から恵州沿いに広恵高速を走り、羅浮山の収費站ショウフェイジャン(料金所)で高速を下りる。羅浮山南麓の長寧鎮から東回りに羅浮大道を北に進み、途中左折し、いくつかの村を過ぎ、やがて山道にはいる。

 山道は、日光いろは坂を思わせる急カーブの連続だった。登るにつれ路肩から千尋の谷底が大きな口を開けて獲物をまっている光景が、フロントガラスの前面に広がる。対向車がとつぜん飛び出してくるおそれがあるから、カーブのたびに減速する。路肩は弱く、懸崖は落石の危険がある。梁小姐は真剣な眼差しでハンドルを握っている。

 幸い対向車も道ゆく人もほとんどなかったから、十時まえには冲虚古観についていた。ふだんは無駄口をたたく運転手も、さすがにぐったりして声もない。


 梁小姐を冲虚古観の駐車場に残し、わたしは朱明洞の方角に歩みより、すこしいってから冲虚古観に向きなおった。王くんがどちら側からあらわれるか、興味があったからだ。

「おはようございます!」

 案に相違して、聞きなれた王くんのあいさつを背中で受けることになった。下からではなく、上の山から下りてきたようすだ。

 王くんは日焼けした顔をほころばせて、無沙汰をわびた。

「日本に行っていたんだってね」

 わたしのほうから訊ねた。

「ええ、東京中心に何社かまわり、その紹介で欧米の会社にも足を伸ばしてきました」

「会社というと?」

「薬や食品、それに化粧品関連のメーカーなどです、開発に着手しはじめたころから業種ごとに振り分けて、スポンサーになってもらっています」

 ふーんという感じで、わたしはまじまじと王くんの目をのぞいてみた。じょうだんやはったりではなさそうだ。

「例の『老君入山符』はお持ちですね」

「ああ、これだね」

 大騒ぎした霊符だ。きょうの山歩きに備え、持ってきている。落とさないようにと梁小姐が縫ってくれたお守り袋に入れて、首から提げていた。

「じつは挑戦状のことですが、これも決着をつけてきました」

 霊符を見て思い出したように、王くんは静かにいった。気負った風がなかったから、わたしも安心した。新薬の開発にからむ、スポンサーのとり合いのような気がしていた。

「決着って、金でも払ったのかい」

「ええ、今後、利益の二十パーセントを支払うことで、了解してもらいました」

「キミが払うのかね。それともスポンサーが払うのかね」

「スポンサーは複数いますから、計算がめんどうです。それでぼくが、じぶんの売上のなかから払います」

「いったい相手はなにものだい。まさか、マフィアとか秘密結社とかいうんじゃないだろうね」

「まあ、似たようなものです。スタートのときからの支援者ですから、とうぜんの要求といっていいのかもしれません」

 王くんはふつうの調子で答えたが、中国マフィアとは穏やかではない。わたしはあわてて聞き返した。

「おいおい、落ち着いているばあいではないぞ。なにかその、わたしにかかわることではなかっただろうか」

「かれらははじめ誤解したらしいです。これまでは研究開発の段階でしたから、経費の負担割合が問題に上がる程度で、まだ利益配分は問題にならなかったです。それが、試作が成功し製品化の目途が立つと、さすがに利益配分は重要なテーマになります。かれらの誤解というのは、そんな時期にじぶんらを差し置いて、新たに日本人をメンバーにくわえるとは何事か、ということでした。漢方ビジネスには関係ない人だというぼくの説明であらかた誤解は解けましたが、それでも半信半疑だった人もいました」

「かれらというと何人もいるのかね。いったいどんな人たちだい」

「三合会というのは聞いたことありますか」

「さんごうかい?どこかで聞いたことがある。中国の秘密結社にそんな名があったと思う」

「むかし、十七世紀後半くらいでしょうか。清の王朝に反対する漢人が『反シンミン』をスローガンに天地会という秘密結社を組織し、反政府運動で抵抗したことがあります。その天地会の会員が、広東一帯で分派を結成し、三合会を名乗ったのです。孫文の革命にも積極的にかかわったので歴史的にも評価されています。その流れを組む人たちがいまも存在し、そのうちの一部の人が、当初、漢方ビジネスの立ち上げに力を貸してくれたのです」

「でも、マフィアはマフィアだろう。どんないわれがあるかは聞かないが、付き合いはほどほどにしておいた方が、よいのではないだろうか」

 わたしは、ごく常識的に王くんをたしなめた。

「麻薬とか銃の密輸とか、そんなイメージで見ておられると思いますが、その人たちに限っていえば、そのイメージは誤りです。かれらはもと羅浮山の道士だった人たちで、いまも武術修行をつづけているのです。日本へ行って、太極拳や中国武術の指導をしている人もいます。代表者は鄭志竜といいます。今回日本では、この人たちのグループとも会って来ました」

 王くんは、まったくかれらを信じきっている口ぶりだったので、わたしがそれ以上、なにをいう必要もなかった。

「それで、かれらをどうやって説得したんだい」

 むしろ興味はそちらの方にあった。

「先生を尾行したり、警告したりしていた当事者のなかに頑固な人がいて、どうしても認めようとしなかったので、失礼かとは思いましたが、先生の苗字をかれらに示しました」


「その日本人は福地という人です」

 王くんがそういったとたん、かれらの態度がかわったのだ。

「福地、よもやそのかたは――」

 鄭志竜は絶句したという。


 王くんの製薬工房は羅浮山の中腹にある。山道から外れていて徒歩でしかゆけず、もどるまで二、三日かかるかもしれないというので、車はさきに帰した。

「山中では携帯電話の信号がとどかないところもありますから、連絡はこちらからします。二、三日消息不明でも、心配しないでください」

 王くんは白話バイホワ(広東語)で梁小姐に説明していた。さいきんでこそ、わたしもこの白話に慣れたが、広州に来た当座は面食らったものだ。香港でもそうだったが、普通話という標準語がまったく通じない人がけっこういたのだ。それはともあれ、

 ――深山幽谷の神仙境か!

 携帯電話が使えないと聞いて、久しぶりに感動した。

 ――そうさ、われわれが若いころには、携帯電話なんていう代物しろものはなかったのだ。


 東晋の時期、葛洪は一族挙げて南遷し、羅浮山に庵をむすび、還丹せんたん煉成の道に入った。羅浮山を選んだのは、丹砂を入手するのに立地が有利だったためだ。

 広州刺史鄧岳とうがくの援助のもと麻姑峰に南庵を築き、都虚観と名づけた。その後、羅浮山の東・西・北面に東庵九天観・西庵黄竜観・北庵酥醪そろう観を建てた。

 ちなみに酥醪の酥は乳製の汁(乳酒、バター・ミルク類)のことだ。柔らかくてふっくらした味がする。醪はにごり酒のことだ。二字あわせて酥醪といえば、奥深く微妙な香りがただよう甘露酒、長寿のうま酒を意味する。

 かつて安期生は酥醪洞で神女と会い、延齢の祝杯を挙げたという。酥醪洞は「桃源洞」の異名をもつ、平和な別天地だ。


 葛洪は羅浮山で病気治療の薬草を採取し、煉丹の竈を築き、弟子の教育に尽力した。

 都虚観は葛洪の昇仙後、各王朝によって祀られ、ときに改名された。「葛洪祠」は東晋の安帝より、「葛仙祠」は唐の玄宗よりその名を賜った。「冲虚観」は宋の哲宗より賜った名であり、いまは「冲虚古観」といわれている。

 冲虚は奥深くむなしいこと。雑念を去って心を空虚にすること。心にわだかまりのない落ち着いた気持ち、一方に偏った愛憎の念がなく公平な態度、虚心坦懐を意味する。

 冲虚古観は羅浮山東麓の朱明洞にある。

 山麓は深く美しい。道院は歳月を経て重厚な趣に満ちている。山門の上に掲げられた扁額には、「冲虚古観」の四文字が刻まれ、山門には対聯がある。


  典午てんご三清苑さんせいえん

  朱明七洞天


 上聯の「典午」は馬のことをつかさどる官、馬は司馬、つまり晋王を指す。「三清」は、「玉清・上清・太清」の仙境をいう。下聯の「朱明」は道家の太陽を示す。この句の大意は、朱明洞が全国三十六洞天の第七位につけていることを誇示するものだ。

 冲虚古観の山門をくぐると内側は大きな庭になっている。

 石段の上は三清殿だ。殿の幅五間、殿の棟の陶飾、軒下の木彫り装飾、どれもみな精緻がこらされている。中央に玉清元始天尊・左に上清霊宝天尊・右に太清道徳天尊の三天尊、すなわち三清を供奉する殿閣だ。

 全国にある六大三清殿閣中、羅浮山冲虚古観三清殿は、北京白雲観・山西永楽宮・江西竜虎山天師府につぐ四番目の三清殿にかぞえられる。ちなみに五、六番目に位置するのは、四川青羊宮無極殿・雲南昆明西山三清殿だ。


 冲虚古観に「三奇」といわれるものがある。「三不思議」のことだ。

 冲虚古観の主殿のまわりは欝蒼たる大木にかこまれている。しかし樹木の葉は宮観の屋根瓦のうえにはまったく落ちていない。一目瞭然、不思議の一だ。

 宮観内全体のいずこを見渡しても蜘蛛の巣が見られない。これが不思議の二だ。

 三清殿の左側、食事をとる斎堂のなかにひと口千年といわれる古井戸がある。長生の井戸だ。この井戸の水は、長年使っても枯れることがない。きれいに澄んだ甘くておいしい水なのだ。あっさりした味わいで清々しい香りさえ感じる。四季いずれをとっても、二メートル前後の水深を保っている。葛洪は毎日この井戸水を飲んで飛昇成仙した。しかも葛洪は丹を煉るのにこの井戸の泉水を汲んで用いていた。これが不思議の三だ。


 冲虚古観のさきに朱明洞があり、「葛洪煉丹炉」はその一角にある。

 煉丹のかまどは高さが三・六メートルあり、基礎は八角形の花崗岩で築かれている。八角形は方位や自然などを示す。けんこんしんそんかんごん八卦はっけの図形だ。順に方位なら西北・西南・東・東南・北・南・東北・西を示し、自然なら天・地・雷・風(木)・水(雨)・火(日)・山・沢を表わす。礎石の表面には鶴や麒麟などの珍鳥霊獣が彫ってあり、古色蒼然たる趣をかもしだしている。さらに青・黄・赤・白・黒の五色に分けて彩りされた雲竜の浮彫りが、四角い石柱に生けるがごとくにからみついている。

 その当時、葛洪は丹・鉛丹・雄黄・硝石・雲母・赤石脂など二十数種類の薬物を竈のなかで鍛冶たんや燃焼し、昇華・蒸留などの方法を駆使して丹を溶かし煉成して、「丹砂を焼いて水銀にし、積変または還成して丹砂に」したのだ。この種の「金丹は有毒成分を含むから内服してはならない」のだが、吐瀉としゃ・消毒・収斂の用にあてることができた。葛洪の煉丹の妙処は万寿無彊の薬ではなく、重要な化学原理と方法の発見にあった。

 丹竈たんそうのかたわらには、もとは唐代の蘇東坡の直筆で「葛洪丹竈」の四文字があったが惜しくも消滅したという。いまは「稚川丹竈」の四文字が新たに刻まれてあるのみだ。それでも清代乾隆年間の作だから、二百五十年もまえのことになる。


 丹竈のそばに八角形の溜池がある。これこそ葛洪がみずから使用した洗薬池だ。

 ――羅浮の十八面、面々珍宝がある。菖蒲がとれずとも、黄連と甘草がとれる。

 羅浮山が薬山だという民謡だ。当時、粤東四市のひとつの薬市が羅浮山冲虚古観の左側で開かれていた。洞天薬市の名で呼ばれていた。

 現代の研究でも羅浮山の薬用植物は千二百余種に達し、自然の中草薬の宝庫といわれている。何首烏ツルドクダミ土伏苓サンキライ・両面針・絞股藍などが、あたり一面どこにでもあった。

 葛洪はいつも民衆のために薬草を採取した。この池がその薬草を洗ったところだ。

 清代の詩人丘逢甲は葛洪を追憶して洗薬池ほとりの巨石のうえに詩を彫った。


「仙人薬を洗う池、ときに薬香をかぐ、仙人去って還らず、古池は梅花月を冷たく浸す」


 羅浮山で生産する薬はいまや全国に知れわたっている。「羅浮山百草油」や「羅浮山風湿薬膏(リューマチ膏薬)」などの大衆薬は、ことのほか老百姓ラオバイシン(民衆)に喜ばれている。


 山道に沿って登ってゆくと「胡蝶洞天」にゆきあたる。ここは葛洪が羽化登仙した成仙洞天だ。

 毎年、春夏の季節のかわり目には、美しく彩られた手の平ほどの胡蝶がついになって、なん対も林間の木々の梢や葉のあいだを飛び抜ける。


 伝説では、胡蝶は葛洪の道服から変化へんげする。

 葛洪は、多年にわたり世のためにつくしてきた。薬草を採って治療を施し、羅浮の山民に慕われていた。人々は葛洪が登仙するのを聞き、あちらこちらから見送りにでてきた。そしてかれらは、葛洪の残した道服が、にわかに幾千もの七色の胡蝶にかわるのを見た。

 それは、さながら天空にかかるひとすじの虹のように、七色の架け橋となって天と地をひとつに結んだのだ。

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