第三章 仙人ランキング


 もう飲めないと思うと、なお飲みたいと思うのが人情のしからしめるところだが、いつまでもそれに連綿と執着していたのでは男がすたる。どこかできっぱりとケジメをつけるべきだ。

 愛しい酒を忘れるためには、べつのことに集中すればよい。酒にかわる新しい嗜好物か、あるいは熱中できるものを見つければいい。

 ――木刀を振るか、ボールを蹴るか、なにかやってみるか。

 いずれもむかしとった杵柄だ。

 なにを隠そう、わたしは古武道神道夢想流杖術の遣い手にして、もと高校サッカーでインター杯の地区代表選手候補の手前までいった往年の名スラッガーだ、などと暇にまかせてなに気なしに思い出しはしたが、いまさら四十数年まえの隠し芸でもあるまい。

 これではとうてい集中できそうもなかったので、早々と白旗を掲げ、新たな課題をひねくりだすことにした。

 連想は必要の母だ。過去のうるわしい思い出に浸った勢いで、連想が連想を生んだ。

 ――そうだ、神道だ、神仙道だ、仙人だ!

 まず当面の対象物の本質、実態を知る必要がある。

 ――仙人とはなんぞや。

 じつに的を射た至極の研究テーマといえるだろう。このテーマに集中して、記憶から酒を消してみよう。神をもおそれぬわたしは、不敵な決心をしたものだ。

「ところで仙人って、いったいなにものだい」

 わたしは王くんに向かって、素朴な疑問を口にした。

 わたしの思惑とはべつに王くんは、「福地の仙人修行による肥満体型改造計画」を長期プロジェクトとして、まともに実行する気になっている。わたしの書棚からさまざまな参考書やら資料やらを引っ張りだして、しばらく怖い顔をして黙考していたが、やおら向きなおると堂々たる開陳におよんだ。

「そもそも『仙人』とは、大辞林によれば『中国の神仙思想や道教の理想とする人間像で、人間界を離れて山のなかに住み、不老不死の術を修め、神通力を得たもの』とあります。ええとそれから、『世俗的な常識にとらわれない、無欲な人』とも書いてあります。あれ、これなんか、そのまんまで福地先生にあてはまるんじゃありませんか」

「メタボ判定で基準該当だから、日本の医者からは、まず痩せることを警告されているんだ。こんどのことは冗談じゃなく、命のかかった減量作戦だとこころえている。花に水をさすのは歓迎だが、やる気に水はささないでくれ」

 わたしは怒ったふりをしてみせた。禁酒宣言の腹いせもある。しかし王くんはあっさり無視して、かわりに首をひねった。

「メタボってなんですか」

 王くんにも分からない日本語があるらしい。ことにカタカナ略語は苦手だ。わたしもこのところ日本を留守にして久しいから、流行語や若者ことばは意味不明のことが多く、お手上げだ。ただ嬉しいことに「メタボ」だけはつい最近、医者から聞かされ知っていた。

 わたしは老師時代に戻って、とうとうと語りだした。

「メタボというのは、メタボリックシンドローム、代謝症候群のことさ。内臓肥満・腹部肥満など内臓脂肪型肥満に高血糖・高血圧・高脂血症のうち、ふたつ以上を合併した状態をいう。とりわけ動脈硬化性疾患の発生リスクが高いから、ことに注意を要する。わたしは医者から基準該当の判定をうけ、とにかく体重を落としなさいと厳命されている」

 確かにひとごとじゃない。わたしは、背筋の冷える緊張感で短い講義を終えると、王くんに宿題を課した。

「抽象的な話を聞いても莫名モーミン其妙チィミァオ、チンプンカンプンでさっぱり分からん。それよりも、『これが仙人だ』という具体的な人の名前を聞いたほうが、理解しやすいだろう。どうだろう、ひとつこれでまとめてみてくれないか」

 かくいうわたしの提案は、気楽なものだ。

 わたしの思いつきの原点には、役小角えんのおづね久米仙人くめのせんにん自来也じらいやうんぬんという、こども時代に聞いた日本昔話の記憶に基づいている。葛城山中を一本歯の高下駄で駆けまわり、飛行術を会得した妖術使い役小角。空中遊泳中、吉野川の岸辺で衣を洗う若いむすめの白い脛にみとれて操縦を誤り地上に転落した久米仙人。エロチックな情景を想像し、こどもながらに興奮したのを覚えている。それから大きな蝦蟇の背中に乗った自来也。巻物を口にくわえ、印を結ぶ。デレンデレデレ、たちまち白煙が立ち込め、自来也は姿を消す。これが仙人だ。いや幻術使いだったか、だれがどっちか忘れたが、名前を出せば、たしかに分かりやすい。

「中国の仙人も、似たようなものだろう」

 ひとり合点で納得したわたしは、早くもビールのセンを抜いていた。

「福地先生、減肥するんじゃなかったですか。ビールはダイエットの大敵ですよ」

 たちまち王くんから非難の声が上がる。

「うーん、明日、明日からスタートだ。きょうはこれから前祝いといこう」


 久しぶりに仕事の依頼があり、二泊三日の広西南寧出張から戻ったわたしの到着をまって、王くんが駆けつけてくれた。仙人名簿ができあがったらしい。

「中国四千年いや五千年の歴史のなかで、仙人と目された人は相当数に上っていると思われますが、現在まで名前が伝わっているのは、そのうちの一部でしかありません。とりあえず、『列仙伝』『神仙伝』などの神仙列伝集に明記されている二百人弱をランキングの対象にしましょう。もっともこのなかから神仙の代表選手を絞り込んだ、いわゆる神仙の番付表はすでに存在します。『中国神仙排行榜はいこうぼう』です。直訳すると、神仙評価順位掲示板とでもいいましょうか。時代によって評価が異なりますし、人によっても賛否は分かれますが、ほぼ中国を代表する神仙と見てよいでしょう。時代べつに実物を挙げると、こうなります。日本人にはあまりなじみのない名前もありますから、すこし注釈つきで説明します」

 ひと呼吸おいて、王くんは別紙に記した一覧表を示しながら、説明をはじめた。


 先秦時代;一位黄帝、二位帝俊、三位西王母、四位顓頊せんぎょく

 秦漢時代;一位伏羲・女媧、二位西王母、三位老子(太上老君)、四位黄帝。

 三国魏晋南北朝時代;一位盤古ばんこ、二位太上老君(老子)、三位西王母。

 唐宋元明清時代;一位玉皇大帝、二位王母娘娘(西王母)、三位関聖帝君(関羽)。

 

 このメンバーの説明となると、壮大なる中国の神話伝説物語が展開される。わたしも神妙な顔つきで、謹んで拝聴した。解説は、順位とはべつに時代の古い順に語られる。理解するのに便利なように、番付以外の仙人にも話はおよぶ。


「盤古は元始天王または元始天尊と敬われる万物の始祖で、中国の天地開闢かいびゃく神話に登場する最古の神仙です。『三五暦記』『述異記』『五運暦年記』などに説話が残されています」


 太古のむかし、靄の立ちこめる宇宙のなかで、天と地は卵の中身のように混沌としていた。やがてその混沌のなかから盤古が生まれた。そして一万八千年後、天地は開かれ、明るく清い部分は天となり、暗く濁った部分は地となった。盤古は天と地のはざまにあって、一日に九回変化した。天では神、地では聖となった。天は一日に一丈(約三メートル)高くなり、地は一日に一丈厚くなり、盤古は一日に一丈身長が伸びた。かくて一万八千年後、天はかぎりなく高く、地はかぎりなく深くなり、盤古もまた大きく成長したのだった。

 盤古は天地を支えつづけた。天地がふたたび過去の混沌に戻らないように全身で支えつづけた。盤古は孤独だった。天地を開いてからずっと、天と地のあいだにはかれひとりしかいなかった。天地は盤古の感情の趣くままに変化した。

 盤古が喜べば大空は晴れわたり、怒れば天気はかき曇った。泣けばたちまち雨となり、河川・湖沼・大海となった。嘆けば大地には狂風が吹き荒れ、眼を瞬けば天空に電光が閃き、鼾をかけば空中に雷鳴が轟いた。

 やがて盤古に死が訪れた。いまわの吐息は風と雲になり、末期まつごの叫びは大地を震わせた。左眼は太陽、右眼は月になり、手足とからだは四極(四方の果て)と五岳(泰山・華山・衡山・恒山・嵩山)になった。血は河川、筋と血管は道、皮膚は田畑、髪とひげは星、体毛は草木、歯と骨は金属と岩石、精髄は珠玉、汗は雨露に、それぞれ変化したのだ。からだのなかに巣くっていた虫たちは風に乗って思うままに飛んでゆき、生きとし生けるすべての民草(人びと)に生まれかわったという。


「司馬遷の『史記』は、『五帝本紀』からはじまります。五帝は、黄帝・顓頊・帝嚳ていこくぎょうしゅんの五聖王をいいます。帝俊は舜のことです。五帝につぐ王朝をひらき、商(殷)・周の歴史時代へ導きます。司馬遷は不確かな説話として『本紀』にはあえて採用しませんでしたが、五帝に先行して三皇がいました。三皇は、伏羲ふっき女媧じょか・神農の有徳三王のことで、女媧のかわりに燧人すいじんを入れる説もあります。燧人は木をすり合せて火をおこすことを人に教えたといわれます」


 伏羲は、燧人から天下をひきついだ木徳の王だ。人首蛇身で、八卦・文字・しつ(中国古代の弦楽器)を考案し、婚姻の礼を定めた。また網を作って漁労の作業を指導し、火種をあたえて動物の肉を焼くことを教えた。洪水が起こりすべてのものが流されたあと、妹とも妻ともいわれる女媧とともに生き残り、人類の祖先になったと伝えられている。


 女媧も伏羲と同じ人首蛇身だ。伏羲のあと王位を継ぐ。黄土をまるめて人をつくり、壊れた天を補修し、天を支える柱を立て、蘆の灰を積んで洪水を止めたといわれる。

 伏羲と女媧は三皇五帝の時代、中原を中心とする一帯で存亡を競い合った原始中華民族ともいうべき、三大民族集団のひとつ苗蛮みょうばん族ではなかったかと推測される。苗蛮は三苗ともいい、江淮こうわい荊州けいしゅうの地にいたらしい。長江と淮河のあいだの江淮と荊州といえば、いまの安徽・湖北にあたる。まさに中原の南方周辺ではないか。他の二族は、華夏族と東夷族だ。「華」は文華、「夏」は大を意味し、「華夏」は文化の開けた地、中国人が自らを誇っていう中国の古称。華夏族は、炎帝と黄帝を始祖と仰ぎ、渭河流域と黄河中流域に棲んだ。

 東夷族は、山東半島と安徽省に発源し、のち西と南に遷り、長江中下流域に棲んだ。商(殷)ひとは、自らを夷人と称し、帝俊ら東方の上帝を崇拝した。


 女媧のあと立った神農は、火徳をもって王となったので炎帝ともいう。牛首人身、鍬などの農具を発明し、五穀をまいて人類に農業を教え、また百草をなめて薬草を見分け、医薬の道をひらいたと伝えられる。農業と医薬の開祖なのだ。赤い色の鞭をふるってあまたの草木を打ち、それぞれについて毒性の有無、食したときに生じる寒熱の気などの薬性、あるいは五味といわれる酸鹹苦甘辛の薬味としての適否を知りつくしたうえで、各種の穀物の種子をまいた。それで天下の人びとはかれを神農と崇めた。


 黄帝は炎帝の後裔にあたる。姓は公孫、名は軒轅けんえん。炎帝とならんで華夏民族(のちの漢民族)の祖先と称えられている。涿鹿たくろくの戦で東夷族の蚩尤しゆうを滅ぼして天子になったが、この戦で西王母は九天玄女を遣わして黄帝に加勢し、霊宝五符などの武器を授けたといわれる。黄帝は晩年多くの神仙方士に接して方術を学び、さいごに羽化昇天を果たしたという。


 顓頊は、黄帝の孫。鬼神を敬い、尊卑の別を明確にし、万民を教化した。日月の照らすところ、みな平らいで帝徳に服した。


 堯は、舜・禹にならぶ聖王。仁智に満ち、かつ温和で謙虚。百官の制度を整え、万国を協和させ、万民に農作を教え、暦を正した。民間からの人材登用に積極的で、舜に帝位を禅譲した。


 帝俊は、舜とも書く。先帝堯の治世をうけ天下がもっともよく治まった黄金時代とされる。歳二十のとき親孝行で知られ、三十のとき堯に用いられる。五十で堯帝の摂政をつとめ、六十一で帝位を践み、三十年後に蒼梧そうご(広西蒼梧県)の野で崩じ、九疑山(湖南)に葬られたという。堯にならい、禹に帝位を禅譲したことでも知られる。


 西王母は崑崙山に住み、不老不死の薬をもつ女仙の最高神だ。人の姿ながら虎の顔をもち豹の尾があったとも、上品で気高く和やかな最高至上の女神だったともいう。

周のぼく王が西に巡狩したとき瑤池で宴をひらき、酒を勧めて親しく歌をとりかわした。ために穆王は帰るのを忘れてしまったと伝えられる。

 また不老長生を願う漢の武帝の宮殿に降臨した西王母は、天界の珍味、仙桃をあたえた。仙桃は三千年にいちど花が咲き、実がなるという得がたい養生の果実だ。

 武帝の求めに応じ、西王母は成仙の極意を授けた。「淫乱・殺伐などを戒めれば、地仙にはなれよう」。しかし武帝はついに戒律を守れず、地仙にもなれなかった。

 女神西王母は、王母娘娘ニャンニャンとも呼ばれる。


 老子(太上老君)は黄帝や荘子とともに、黄老の道、老荘思想など道家の祖と目されている。太上老君とは、老子を神格化し、道教の最高神とした尊称だ。

 孔子は老子を評して、「つかみどころがない竜のようだ」といった。

 函谷関の関守役人尹喜いんきは老子のたぐいまれな才能を察知し、ぜひにもと著述を請うた。老子は求めに応じ、「道」の字からはじまる上編と「徳」の字からはじまる下編の二編に分けて書き上げ、尹喜に贈った。これが『老子』あるいは『道徳経』とよばれる老子の著作だ。

 著作中の小気味よい名句は人口に膾炙し、いまにいたるも日常的に用いられる。

「上善は水の如し」

「怨みに報ゆるに徳をもってす」

「足るを知るものは富む」

 老子は享年百六十余歳、あるいは二百歳だったともいう。百回以上も度世どせいし、真人になったと伝えられる。度世とは尸解しかいのことにほかならない。

母が懐妊して七十二年後にようやく生まれたとか、生まれながらの白髪だったとか神秘的なエピソードにことかかない。無為自然、無為無欲、無道徳といった、人為を捨てて得られる自然状態への回帰を理想とした。

『老子伝鉛汞えんぐ仙丹の道図』がある。

 絵図のなかで、老子は崖下の石の台上に坐している。老子の面前には丹を煉るための三足の鼎が置かれ、鼎の蓋には小さなあながあいている、孔から一条の黄色い光の火柱が放出している。黄色い光のなかにひと粒の金丹が浮かんでいる。ひとりの弟子が炉のまえに立って、老子の説く煉丹の道に耳を傾けている。


 玉皇大帝は、民間信仰の最高神だ。

 むかし光厳妙楽という国があった。国王は高齢だったが跡継ぎに恵まれなかった。そこで国王は国中の道士をあつめて宮中で法会を設け、嗣子を賜るよう祈祷した。半年後、王后は夢に太上大道君が嬰児を抱いて王宮の府邸に降り立つのを見た。王后は嬰児を受け取りわが胸にかき抱いた。そこで夢から覚めた。それからほどなくして王后は身ごもり、一年後、太子を生んだ。太子は生まれながらに聡明で、長じて仁徳の人となる。国王が崩御し、太子は王位を継ぐが、やがて王位を捨てて普明香厳山で修行し得道成仙する。

 長い長い時間がすぎた。かれはしばしば人間界に降りてきて、多くの人民を災害や病気から救った。「国を捨て、道を学ぶ」ことがいくどにもおよんだので、天地大道感動し、元始天尊の知るところとなった。最後に最高神に化身し、玉皇大帝となったのだ。


『三国志』の英雄関羽は関帝廟に祀られ、関公・関聖帝君などと呼ばれ親しまれている。関羽は山西運城の解州出身だが、曹操との戦に敗れ処刑されたあと、遺体は湖北当陽の関陵に、そして首級は河南洛陽の関林に埋葬された。陵や林の命名は、皇帝や聖人と同格にあつかわれていることを示している。歴代王朝から忠義の象徴として顕彰され、護国の神として崇められたのだ。信義の人・関羽の大衆人気は抜群で、商売の基本は信用にあるということから、やがて商売繁盛の商業の神として尊ばれるようになる。

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