第3話 会津藩家老襲撃および壬生浪士組局長副長暗殺未遂事件
◇◇◇
元治元年(西暦 一八六四年)七月一日・八木邸。
相変わらず日は日照り、正直蒸し暑い。
林は盛大に溜息を付きながら、俺を見て笑った。
「今なら脳細胞筋肉男其の一に、こっそりなんていう事は不可能だと理解できるんだが、あの当時のわいも、考えが甘かったんや」
脳細胞筋肉男其の一と、俺のことを呼ぶようになったのは、この男の上司でもある尾形俊太郎の影響が大きい。まあ、自分でも脳細胞筋肉男であることは否定するつもりはないが。
「酷い、そんな本当の事を」
「林。あの犯人の似顔絵……」
林を呼びに、一人の男が俺の部屋に姿を表した。新撰組諸士取調役兼監察方差配・尾形俊太郎。
監察方という組織を束ねあげたのが、この男だ。
もっと言うならば、監察という役割を原型から作り上げたのがこの男と言っても過言ではない。
そのため、古くからの副長助勤や隊士達からこう呼ばれ恐れられていた。
【闇の参謀】
この男を示すのに、もっともふさわしい言葉ではないかと俺は思った。
「ああ、出来上がってますよ。後で確認お願いします」
林の言葉に頷き、尾形は改めて俺を見た。
「何やってんの?左之?」
「報告書の作成。池田屋事件までにあったことの顛末をまとめろと副長様の仰せでな。色々とコイツに話を聞いていた」
俺の言葉に、林も頷いた。
「わい達と原田先生の甘い出会いを話していたところや。尾形さんの予想通り『監視させてもらう』て報告にきた時、思ったんや。『やはり原田は馬鹿だった』」
林の言葉に尾形は笑い、俺は苦い表情を浮かべた。
「一番最初に左之が、俺の所にきたのは壬生寺での稽古の時か。よりによってあの事件当日だものなあ。悪いことをしたよなあ」
「せや。会津御家老と、局長副長暗殺未遂事件当日の昼。副長、わい達に恨みあんの?とマジに思うたわ」
尾形の言葉に林は頷き、やがてその時のことを話し出した。
◇◇◇
文久三年(西暦 一八六三年)五月二日。会津藩家老襲撃および壬生浪士組局長副長暗殺未遂事件発生。
あの事件の日、わいを含めた以下の七人は屯所近くの壬生寺で稽古を行っていた。
尾形俊太郎(副長助勤・隊長)
浅野薫 (副長助勤・伍長)
林信太郎 (伍長)
神田弘幸
石岡橋太郎
木村俊介
新藤進
この当時、すなわち文久三年(西暦 一八六三年)時点の壬生浪士組の職制は以下の通りだった。
局長(三名)ー 副長(二名)ー 副長助勤(十三名)ー 平隊士(凡そ三十名)。
入隊した者は仮同心(今で言う試用期間)の後、各副長助勤の下に、配属される。
そして、平常時は副長助勤とその助勤直属の平隊士を一隊とし、副長助勤の名前で纏められていた。
例を挙げると、尾形俊太郎とその配下の隊士は尾形隊、原田左之助とその配下の隊士は原田隊となる。
例外は浅野薫である。奴は副長助勤であるが隊を率いるのではなく、尾形俊太郎の補佐という形で尾形隊に属していた。
それを受け、尾形さんは伍長という形で浅野とわいに隊士を纏めさせていた。
文久三年(西暦 一八六三年)五月二日 正午。
壬生寺に尾形隊は集結していた。
この寺は、律宗大本山の寺院であり、本尊は地蔵菩薩。中世に再興した円覚上人による「大念仏狂言」(壬生狂言)を伝える寺として有名である。また、壬生浪士組の屯所から近いところにあるため、兵法調練場としての役割があった。
だたし、ここにきて稽古するのは、わい達か副長助勤職の幹部連中ぐらいだが……現在、この壬生寺にいるのは尾形隊だけ。
稽古する隊士の姿はなし。稽古も仕事の一つだろ。仕事しろと言いたい。
尾形さんは、俺達の稽古の様子を確認しつつ、副官である浅野薫と市中巡察の打ち合わせを行っていた。
わいは、他の四人の稽古をつけていた。
四人は四人とも入隊した時よりも、格段に強くなっているとは思う。稽古量は他隊の倍は課しているからだ。
ただし、尾形隊全員、戦闘方法が違う。石岡橋太郎は方天戟、木村俊介は鎖大鎌、神田弘幸は体術、新藤進は剣。ちなみに、わいこと林信太郎が使うのは爆弾および銃。浅野薫が使うのは「斬剛糸」と呼ばれる糸状の刃。そして頭(かしら)である尾形俊太郎は小太刀二刀流。
尾形はんを含め、特殊な戦い方をする奴が揃っていた。
壬生浪士組の考え方としては「武士ならば刀で戦え」である。だが、尾形隊はそれに見事に異を唱える集団となってしまった。副長がみたらマジギレする集団だろう。だが、戦では、戦って勝てれば良いのだ。
稽古は乱取り、すなわち実践形式が主だ。
白熱した稽古が行われていた。四人共、手応えを感じているのだろう。
その時だ。一番最初に気づいたのは、新藤だった。
「あれ?原田先生」
新藤の言葉に、全員がそちらへと目を移した。
のそりのそりと、お色気満載の色男こと原田左之助がこちらを見ると、軽く手を上げ、やってきたからだ。
あだ名は『死にぞこねぇの左之』。
一見すると色男で、笑う顔がかわいいと遊郭のお姉様達にも評判であるが、この男、気が短い。
若い頃、伊予松山藩の武家奉公人として、仕事をしていた。その時の上官に「腹の斬り方も知らない下衆」と言われ、この男、腹を切ったそうだ。
これが『死にぞこねぇの左之』のあだ名の由来である。
幸い、傷が浅く命拾いしたが、伊予松山藩を脱藩。流れ流れで江戸の天然理心流に入門したと聞く。そして、現在は壬生浪士組の副長助勤。
すなわち、尾形はんや浅野と同格で、わいよりも役職上はおえらいさん。一応、稽古を止めた。尾形はんや浅野も、原田先生に視線をやる。
「悪いが、お前達を監視することになった」
開口一番、原田はそう言った。それを聞いたわいは思った。
ーーーーやはり原田は馬鹿だった。
◇◇◇
元治元年(西暦 一八六四年)七月一日・八木邸。
俺は尾形と林の二人をジト目で睨みながら言った。
「一応、副長助勤の俺を、賭けの対象するお前達の根性を、俺は褒めてやりたいよ。鬼副長が聞いたら、マジで怒るぞ」
二人は角を生やした鬼副長ことガチギレした新撰組副長・土方歳三を思い浮かべたのだろう。顔を見合わせると二人して苦笑を浮かべた。
「左之センセの性格から考えて、隠し事は不可能だと思ってはいた。じゃあ、どうするか。正面突破だろ?で、俺は林に、隊士達に「左之センセが監視がつくぞ」と伝えておけと言っておいただけだぜ」
「せや。奴らに「左之先生が監視につくことになるぞ」といったら、何故か賭けになってな。あの当時、娯楽少ないからまあ良いかと思っていたんや。賭けの内容も金で無く春画だし。大丈夫や問題ない」
「問題ありすぎるだろう!!」
尾形達と関わるようになってからか、俺は奴の言動に思わずツッコミを入れることが増えたような気がする。
「大丈夫大丈夫。局中法度なんかを見たけど、問題ないからな」
そう言うと林は再び話しだした。
◇◇◇
文久三年(西暦 一八六三年)五月二日・壬生寺。
尾形隊隊士全員が原田先生の言葉にきょとんとした表情を浮かべると、やがて笑いだした。
無理もない。
「はははは。土方先生も面白いなあ」
「ここ最近の巡察結果から考えると、副長、俺らを疑ってくるだろうと思っていたけど、やっぱりな」
「でも、わざわざ乗り込んでくるとは。好きだわ。原田先生」
「尾形組長の一人勝ちですやん。後で春画収集の中でも、イイモン選んでもってきますやさかい、選んでください」
上から、神田、木村、新藤、石岡の言葉である。
昨日、わいから原田先生が監視につくことを告げたが……笑い飛ばすとは肝が座っていやがる。
……隊士の育て方間違えたんかな?わい?
わいは頭を抱えてしまった。隣に視線を向けると、尾形さんの副官であり、わいの相棒である浅野薫は呆れ果てた表情を浮かべていた。
「え?春画?俺もみたい」
春画という単語に即座に反応する原田先生に、隊士達は再び笑い出した。まあ、
男なら反応するやろうな。
尾形さんの隣にいた浅野は、盛大に溜息をついたが、やがて持っていた帳面で原田先生の頭をぶん殴った。
バシィ
痛そうな音が響いたが、大丈夫かな?
思った通り、原田先生はぶん殴られた頭を抑えつつ、浅野を怒鳴りつけた。
「いてぇ!何しやがる!!」
「馬鹿だ馬鹿だと思っていましたが、本当の馬鹿ですか。貴方は。副長の密命をばらす馬鹿がいますか。?お茶目で腹切った時、考えるということも忘れましたか」
怒鳴る原田先生に対して、絶対零度の冷たい口調で、浅野は原田先生に言い返した。
浅野が言っている内容は最もだと、わいも思う。だがな。
浅野、内容が、オカン(母親)の説教やで。懸命にも、わいはそれを口に出さなかった。
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