第2話 会津藩家老襲撃および壬生浪士組局長副長暗殺未遂事件
池田屋事件。
元治元年(西暦 一八六四年)六月五日に、京都三条木屋町の旅館・池田屋に船腹していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を京都守護職配下の治安維持組織である新撰組が襲撃した事件である。
この事件により、新撰組は一躍有名になった。
しかし、この事件の裏に、様々な死闘があったことを、俺、原田左之助はそれを此処に記す。
◇◇◇
嘉永六年(西暦 一八五三年)、アメリカ合衆国が派遣したペリー提督率いる四艘の黒船が浦賀沖に来航、江戸幕府に開国を迫る大統領国書をもたらした。
此処から、動乱の時代である幕末は始まる。
それから九年後である文久二年(西暦 一八六二年)。
京都は政治の中心地となり、諸藩から尊皇攘夷・倒幕運動の過激派志士が集まり、治安が悪化した。
従来から京都の治安維持組織である京都所司代、京都町奉行所だけでは防ぎきれないと判断した幕府は、最高治安機関として京都守護職を新設し、会津藩藩主・松平容保を就任させた。
その翌年 文久三年(西暦 一八六三年)二月。
江戸幕府将軍・徳川家茂上洛に伴い将軍警護のために作られた浪士組が発足された。
発案者は清河八郎。
だが、清川は浪士組を幕府から切り離した組織にし、急進的な尊王活動に利用してしまおうと攘夷を唱え、江戸へ帰還するよう説得したが、これに二十四名の者が異を唱え、ある組織を結成した。
その名は、壬生浪士組。後にこの組織が新撰組と名を変え、幕末の動乱を戦っていくこととなる。
◇◇◇
俺がこれからここに書き記そうかと思うこの話は、新撰組が壬生浪士組と呼ばれていた頃にまで遡る。
あれは池田屋事件から一年以上も前の文久三年(西暦 一八六三年)五月一日のことだった。
壬生浪士組屯所・前川邸一室にて、この男が告げた言葉が、俺、原田左之助にとっての始まりだった
「情報が、漏れているな」
俺の目の前には、眉間に皺を寄せて考え込む壬生浪士組副長・土方歳三の姿があった。
黒く肩まで伸びた髪に、氷のような冷たい瞳。江戸にいた頃はよく笑う愛嬌のある男だったが。この男が最後に笑ったのは何時だろうかと思いながら、俺は土方さんの話を黙って聞いていた。
「確かにな」
壬生浪士組が市中巡察に出れば、必ずと言っていいほど、巡察経路とは離れた場所で事件が起こる。
副長である土方さんが間者、すなわちこの当時の敵である過激派浪士と繋がりがある者の存在を疑うのも理解はできるが……
「内部に間者がいる可能性が高い。疑わしいものは何人かいるが、おまえはこいつを調べてくれ」
土方から渡された資料に、俺は目を通した。
「尾形俊太郎?」
「ああ、俺はこいつが一番怪しいと見ている。肥後浪人ということ以外、詳しいことはわかっていない。優秀な男だが、何を考えているのか、まったくわからん」
俺は、縁側の日向で寝こける尾形の姿を思い出した。
黒の紬を纏い、腰までの白髪を赤い組み紐で束ね、眼鏡を書けた一見すると学者を思わせるような男。言動も少々巫山戯ているといった印象だ。
だが、時折見せる鋭い目つきに俺は、ただ者ではないと思っていた。
「尾形配下の連中も怪しいものばかりだ。一緒に調べてもらいたい」
資料には以下の名前があった。
浅野薫
林信太郎
神田弘幸
石岡橋太郎
木村俊介
新藤進
いずれも、他の副長助勤の下に所属していたことのある連中だが、問題を起こし、尾形預かりということになっている連中である。
いうならば、危険取り扱い注意と言われるような人物が揃った集団と思って間違いない。
「危ない奴は一つに纏めた方が効率がいいだろう」
ニヤリと人の悪い笑みを浮かべた土方さんの言葉に、俺は溜め息をついた。
今思えば、その命令が俺とあいつが出会うきっかけだった。
◇◇◇
元治元年(西暦 一八六四年)七月一日。
ムンムンと蒸し暑い日の事だ。新撰組屯所・八木邸で俺は文机の帳面とにらめっこしながら、報告書を作成していた。
「今思えば、尾形に嵌められたようなもんだなあ」
此処まで記載して、俺は一息ついた。正直、書くのは嫌いではないが。
「左之先生。何やっとんの?」
現れたのは、新撰組監察方・林信太郎。これから俺が書こうとしている男達の一人である。
この男もまた、あいつの……新撰組隊士から【闇の参謀】と恐れられる尾形俊太郎の部下の一人である。
「報告書。土方さんから、池田屋事件までの顛末を一切合切報告書にまとめろとご命令が下ったの……」
「脳細胞筋肉男其の一に、報告書作成って、何の嫌がらせや?」
林は笑いながら、俺の隣に座り茶を淹れた。手には団子がある。
「一つどう?」
「おう。コレに酒があればもっと良いんだがな」
「……阿呆」
笑う林に俺は聞いた。
「そういえば、お前さん、あの連中に俺が監視につくことに決まったのを知ったのはいつだ?」
あの連中とは、浅野薫、神田弘幸、石岡橋太郎、木村俊介、新藤進の五人のことであり、あの当時、土方さんが尾形とともに要注意人物と見ていた連中のことである。
俺の問に、林はからりと笑うといった。
「原田先生が土方先生から俺達を監視しろって命令しているの、上で聞いていたんや」
「上?」
「天井裏から、土方さんを見張っていた」
俺は林が天井を指差したのを見て、そのまま視線を上に向けた。
「なんで上にいた?」
「護衛代わりや。過激派浪士に近藤局長や土方、山南両副長が狙われていると知った尾形さんは早い段階で護衛するよう、わい達に命じていたんや。で、わいは、土方さんの護衛として、天井裏から護衛していた」
その言葉に、俺は唖然としてしまった。俺の様子に林はカラカラ笑うといった。
「あの当時は幹部を含めて、馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、此処まで新撰組が大きくなって、おじちゃんは嬉しいでぇ」
そう言うと、林は話しだした。
◇◇◇
文久三年(西暦 一八六三年)五月一日・深夜のことである。わいはある人物の命令で、天井裏に潜んでいた。
下で交わされている土方副長と原田副長助勤の話を聞いたわいは、軽く米神あたりをおさえ、盛大に呆れ果てていた。
それにしても、ここまで馬鹿やったとは計算違いやったなあ。
何故、わいがこんな所にいるかから説明しよう。
話は簡単だ。現在、この下の部屋に土方副長の護衛である。
先日、わいは、島原にて壬生浪士組の幹部である近藤勇、山南敬助、そして現在、下にいる土方歳三が狙われていという情報を掴んだ。
情報を聞いたわいの上司・尾形さんは、この連中の護衛と情報の真偽を確かめるように、わいを含めた六人の部下に、護衛を指示したというわけである。
確かに、土方副長の言う通り、尾形俊太郎という男は尊皇攘夷思想が強い肥後の出身である。だが、それがどうした?出身より働きだろうが……下での彼らの話を聞いて、頭が痛くなった。
副長ともあろうものが、出身だけで人を疑うバカにしか見えないからだ。
とりあえず、尾形さんに報告しておこか。副長助勤の原田もいることだし、少し離れていても大丈夫だろう。そう考えると、わいは天井裏を経由して尾形さんの部屋へ向かった。
◇◇◇
元治元年(西暦 一八六四年)七月一日。新撰組屯所・八木邸。
「というわけや。早い段階で局長副長の襲撃情報が入っていたんで、わい、副長を張り込んでいたんや」
団子を食いながら、林から説明を受けて、俺は盛大に溜息をついた。
だが、あの当時の俺に言いたい。何故、こいつらの気配を感じなかったんだぁ。少しは気づけよ。俺。
「で、わいは尾形さんに報告に向かった」
◇◇◇
文久三年(西暦 一八六三年)五月一日・深夜。
わいは、天井を経由して、尾形さんがいる部屋に向かった。
文机に本を起き、目を通していた男の後ろに、わいは天井から音も立てず飛び降りた。
本を読んでいた男は、わいの気配に即座に気づいたのだろう。地面に着地すると同時に、こちらに視線を向けた。
「ご苦労。林」
「土方はんが、わい達のことを間者と疑っているようでっせ」
わいの言葉を聞いた目の前にいる男は、きょとんとした表情を浮かべた。
男の名は尾形俊太郎。
この男が、土方から間者の疑いをかけられている張本人である。
白く長い髪を赤い組紐で束ね、黒の紬を纏っており、メガネをかけ、一見すると学者を思わせるような男である。
だが侮るべからず。こう見えて、副長助勤を務めているのだ。
まあ、隊内に真しやかに流れる噂に、一番弱い副長助勤と言われているが。
やがて尾形さんは、くつくつと喉を振るわせ、笑いだした。
「土方先生が、俺達を?」
無理もない。話を聞いていた わいでさえ、笑撃を感じたからだ。
笑いを堪えるのに、ホント、苦労したで。
「ようやく疑うことを覚えたか。で、監視役は?」
「原田先生や」
「よりによって『死にぞこねぇの左之助』が俺達の監視か?アイツのことだから、「監視させてもらう」とかわざわざ言いに来るんじゃないか?」
あり得るだろうな。
原田左之助という男の性格から考えてその可能性はあるだろう。だが、土方副長の密命をわざわざばらすバカはいるだろうか?
「賭けしてみません?わいは、原田が密命をバラさないに一票」
「おう、お前さん秘蔵の春画収集が賭けの対象だぜ。俺はバラすに一票だ」
穏やかに笑う尾形さんに、わいは少しだけ肩の力を抜いた。
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