第35話 最終決戦

 師桐を目の前にして、芒雁は臨戦体制をとった。

 弥生は心配そうに二人を見ている。

「本当に師桐に勝つことができるのかな?」

 お菓子の世界では弥生が乱入してきて、ゴタゴタしている間に世界が終わってしまったので引き分け。でも芒雁が一人で戦っている間は芒雁の惨敗だった。

 芒雁の世界では芒雁が自分で閉じ込めていた獏の本性を曝されて、芒雁の負けであった。というか、弥生が助けに来ていなければあやうく再起不能になるところだった。そもそもそれ以前のやりとりでも、芒雁は師桐に組み伏せられている。

「芒雁、お前が俺に勝てない根拠を一つ教えてやろう」

 師桐は余裕の笑みを浮かべながら、組んでいた腕をゆっくりと解く。

「『フロイト』……。ライセンスはこれから先、様々なものが見出されるだろう。だがおそらく『フロイト』に比類するものは未来永劫現れないだろう。僕の『ソクラテス』も含めてな。物理的にも社会への影響力的にも間違いなく最強のライセンス。それを抑えるというのは自我に相当な負担をかけているだろう」

 師桐は語りながら、芒雁との距離をゆっくりと詰めて行く。

「お前は自分の夢で獏に自我を乗っ取られただろう? アレが何者なのかは分からないが、ライセンスがあそこまで自我を侵食し得るとは驚きだ。あいつが今もお前の中にいるんだろ? 今は抑え込んでいるけれども、油断すればまたお前の夢での出来事の再現になるんじゃないのか?」

「それでも勝てるさ」

「……ふん。虚勢を」

「芒雁。ここがどこか分かるか?」

 芒雁はジッと師桐を睨みつけたまま、何も答えなかった。

「ギリシア最古の神託所があったと言われるデルポイの劇場だ。神託所とは神の言葉を受け取る場所。人の運命を決めるならば、これ以上相応しい場所はないと思わないか?」

「いくぞ!」

 先に仕掛けたのは芒雁の方だった。左手でボクシングのジャブさながらに連続で拳を繰り出す。

「芒雁、お前が僕に勝てると思っているのか?」

 師桐は芒雁が出すパンチのすべてを平手で受け止めていく。それも片手で。

「『フロイト』は俺のライセンスだ。だから夢の世界では俺の方に分があるはずだ」

 芒雁はジャブで牽制しつつ、右足での下段蹴り、右ストレートと次々と攻撃を繰り出す。

「それはどうかな? この世界のマスターは僕だ。この世界の事象は何より僕の意思が優先される」

 師桐は芒雁の蹴りを飛び上がってかわすと、右ストレートを腕でガードして受け止め、そのまま後ろへ吹き飛んだ。

「マスターの方が強いとは限らないことは、俺の夢で実証済みだ」

「それはお前が自分を否定していたからだろう? この世界では意思の力がすべてだ。だから自分に自信を持てないお前はたとえ『フロイト』の持ち主であろうと、誰よりも弱い」

 ゆうに五メートルは飛ばされたであろう師桐だったが、姿勢を崩すことなく優雅に地面に降り立った。いや、飛ばされたのではない。自ら飛んだのだ。

 芒雁も殴ったことには殴ったが、その感触はとても軽いものだった。のれんか柳を殴ったかのような軽さであった。

「慣れてしまえば自分の体重をコントロールするくらい、造作もないことだ」

「……」

「イメージとそれを疑わない自身。大切なのはこの二つだ。それがあればこういうこともできる」

 そういうと師桐は先ほど芒雁に殴られた腕、服の袖の部分を見せる。いつの間にか袖には、学生服とは思えないほど、びっしりとトゲが生えていた。

「おや。こんなトゲを殴りつけて芒雁、お前の手は大丈夫なのかな?」

 師桐がクイッと顎をしゃくる。促されるように芒雁は自分の右手を見る。

「う、うああああああ!」

 右手は無惨な姿だった。骨は砕け、血が吹き出している。しかしもっと恐ろしいことは、こんなに傷ついているのにまったく痛みがないことだった。ダメージというよりは驚きのため、芒雁は膝をつく。

「そしてこんなことだって。できる」

 師桐は片手で地面を叩く。その衝撃で師桐の後方の地面がいくつかのコブとなって隆起していく。芒雁はとっさにその数を数える。二、四、六……。その数は三十六にものぼった。

 ボコボコボコッ!

 コブはどんどん高くなっていく。コブが師桐の身長と同じくらいの高さにまで伸びると、ドザザっと音を立てて、コブから土の塊が落とされた。

 コブの中から表れたのは、ボウガンを備えた自動砲台だった。ボウガンには人を殺傷する目的としては明らかに過剰なサイズの矢が装填されている。

「死ねっ、芒雁っ!」

 師桐はもう一度地面を叩く。同じ衝撃が起こり、三十六の砲台から一斉に矢が芒雁めがけて放たれる。

「くっ!」

 芒雁は後方へ飛び退く。瞬間、わずかに早く放たれた矢が二、三本、芒雁がいた地面をえぐった。同時に砂ぼこりが巻き上がり、芒雁の姿を隠した。それは同時に芒雁の視界が遮られていることを意味する。そして残りの矢が、芒雁がいるであろう砂ぼこり目がけて次々と打ち込まれていく。

「芒雁君っ!」

 弥生の位置からでも芒雁の姿は確認できなかった。ただ砂ぼこりを通過して後方に飛んでいった矢は一つもなかった。つまり矢は砂ぼこりの中にある地面か、それ以外の「なにか」に当たったことになる。

「くたばったか?」

 師桐は右腕で宙を右から左へ大きくかいた。師桐の動きに呼応するかのように突風が起こる。弥生は思わず目をつぶった。突風はホールに起こった砂ぼこりを取り払っていく。

「芒雁君……、やられちゃってないよね?」

 目を開けられるくらいにまで風が収まったので、弥生は恐る恐る芒雁の姿を探す。

「……?」

 芒雁のいた場所には壁がそびえ立っていた。先ほどまではなかった壁だ。その壁には師桐が放った矢がいくつも突き刺さっている。その光景を見て、師桐はニヤリと笑い、再度地面を叩く。その動作に呼応するように地面が揺れる。しかし今度は矢を放った時ほど強くはない衝撃だった。それにより、矢が刺さった壁がガラガラと音を立てて崩れていく。

「……だいぶ、この世界に慣れてきたみたいじゃないか」

 壁の向こう側から芒雁の姿が現れる。

「芒雁君!」

 弥生が喜びの声をあげる。しかし喜んだのも束の間、弥生はハッと息を飲んだ。芒雁の体には何本かの矢がいくつも突き刺さっていたのだ。致命傷こそ避けたものの、肩や腿、腕に矢は深々と突き刺さっていた。

「あの短時間で壁を作り上げたのは見事だったが、強度を十分なものにするには時間が足りなかったようだな」

 芒雁は大きく息を吐いて肩の矢を一本抜いた。ドロリと赤黒い血が流れ出すが、致命傷にはなっていない。貫通したとはいえ、壁がいくらかの防御にはなっていたのだ。

 もし、壁で威力が減衰していなければ、矢は芒雁の体を容易にえぐり取っていただろう。

 芒雁は立ち膝の体勢でうつろな目をしていた。体は既にボロボロだった。痛みこそないので失神せずにすんでいるが、見るも無惨な姿だ。そんな姿を師桐は満足そうに見つめている。

「ひょっとして、夢の世界だから死の概念がないと思っているわけじゃないだろうな?」

「……」

 芒雁の意識は朦朧としていた。

「この世界の肉体は精神と同義だ。この世界で肉体が傷つくことは、精神が傷つくのと同じなのだよ。もしこの世界で死に値するほどのダメージを受けたら、精神がどうなってしまうか。お前でも想像がつくだろう?」

 そんなこと今さら言われなくたって。そう言葉にしたかったのだが、そんな余裕は芒雁にはなかった。自分と世界との境界が曖昧になっていくのを感じる。油断すると自分というものが何なのか、分からなくなっていく。

 自我を保つのに芒雁は必死だった。

「……」

 意識がぼんやりとする。師桐が近づいてくるのが見えるが焦点が合わない。視界が色を失い、ぐにゃりと歪み始めた。師桐の動作がとてもゆっくりしている。

 遠くで誰かが叫ぶ声が聞こえる。弥生の声だ。そう呟こうとした時、芒雁の視界は真っ白になった。

「芒雁君!」

 弥生が芒雁の名を叫ぶ。叫ぶと同時に弥生は芒雁の方へ駆け出していた。

 ゆっくりではあるが、師桐も芒雁の方へ近づいているのが、走りながらでも弥生には見えた。きっととどめを刺すつもりだろう。

 師桐が日本刀を右手に具現化させる。

「刀には古来から破魔の力があると信じられてきた」

 師桐の持つ刀は日本刀独特の美しい曲線を描いていた。そしてその刀身には燃え盛る炎のような刃紋が浮かび上がっている。

「武器は命のやりとりをするための道具だ。そういった生き死にに関わる道具には自然と破魔の力が宿るものだが……」

 師桐が刀を頭上へと構える。一撃必殺の上段の構え。この世界のルールを完全に理解している師桐が具現化させた刀だ。切れ味は現実に存在するどんな刀よりも鋭いだろう。

「とどめだ」

「待って!」

 弥生は既に石段を降り終えていた。しかし芒雁を助けに行くにはまだ遠すぎた。

 師桐が芒雁を袈裟斬りしようと刀を振り下ろす。

「芒雁君!」

 弥生が叫ぶ。

 弥生にはその瞬間がスローモーションに見えた。

 ゆっくりとした時間の中で芒雁と目が合う。

 弥生はハッと息を飲む。

 芒雁の目は語っていた。俺を信じてくれと。弥生はぎゅっと手を握りしめる。

 師桐が芒雁を斬り払い、斬り祓った。

 師桐が刀を振り下ろしてから数瞬遅れて、芒雁の上体が下半身から離れ、滑り落ちていく。

 遠くからでも何が起こったかはっきりと分かった。

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