第23話 Free fall
先ほどまではかなりの早足で歩いていた芒雁だが、弥生の必死の説得で、今は弥生でもついて行くことのできるスピードで歩いてくれていた。
文字通り必死の説得だった、と弥生は思った。ただお願いするだけでは、芒雁は全然聞く耳を持たなかったので、後半の方では女の子には相応しくない言葉で大分罵ることになってしまった。芒雁の強情さも大抵な物だ。
そんなこんなで歩いて行くと、どこまでも続くと思われた草原だったがふつりと終わり、崖にぶつかった。
「あれ、行き止まり?」
歩く先が行き止まりなので、弥生は歩くスピードを落とし、前方の芒雁へ大声で呼びかける。
「芒雁君、どうする? 向こうの方、崖になってるみたいだけど」
芒雁は振り返らず、弥生に聞こえるように大声で返答した。
「いや、このまま進んで大丈夫……のはずだ!」
「え? あ、ちょっと。置いてかないでよー!」
芒雁がそのままのペースで歩いていた。弥生は遅れた分、また走らなければならなかった。
弥生が芒雁に追いついた時には、芒雁は既に崖まで辿り着いていた。崖の先端で佇んでいる。
「はあ、はあ。やっぱり崖じゃない。迂回しなきゃだね。芒雁君、どっち進むの? 右、それとも左?」
弥生が膝に手を当て、肩で息をしながら尋ねる。
「いや、前」
芒雁の答えはそのどちらでなかった。
「はあ。なに……なんて言ったの?」
予想していた答えではない返答だったので、一瞬で理解できず、聞き返してしまう。
「だから前だって。いいから見てみなよ」
芒雁が崖の下を指差す。弥生は芒雁の隣まで来ると膝を地面につき、下を覗き込んだ。
「何か見える……。赤い……。あれは屋根?」
崖は世界の終わりではなかった。崖の下には同じような草原があり、そこには赤い屋根の家が一軒、ポツンと建っていた。崖の下まではそこそこの高さがあり、とても飛び降りれそうにはなかった。
「たしかに家がある……。どうするの? あそこまで行ってみる?」
弥生が芒雁の方を見ながら尋ねる。芒雁は無言でゆっくりと頷いた。
「でも、降りるとしても。相当大回りしないといけないかもね。降りれそうな斜面になっている所が全然ないんだもの」
近辺の崖を眺めてみる。崖は文字通り断崖絶壁であり、フリークライミングの覚えがあるならいざ知らず、そうではない弥生では降りることなど到底不可能だった。
「……いや」
芒雁は小さく呟くと、す、と弥生の横にしゃがんだ。
「降りられる場所を探している時間が惜しい」
その言葉を聞いた途端、弥生は自分のお腹に何かが当たるのを感じた。
「……ん?」
次の瞬間、体がぐんと上がった。
「えぇ!? ぐええ」
いきなり腹部が圧迫されたものだから、弥生はカエルが潰された時のような声を出してしまう。
弥生は芒雁に肩から担がれていた。
「ちょ、ちょっと! 芒雁君、何してんの?」
「こっからいくぞ」
「き……」
そして次に弥生が感じたものは、無重力感だった。フリーフォール。
「きゃあああああぁぁ!」
地面に着くまでたっぷり五秒は叫んでいられる猶予があった。
すと。地面に降り立った時の感触はあまりに優しいものだった。階段の二段目くらいから飛び降りた程度の衝撃しかなく、とても高所から落下したとは思えなかった。芒雁も、もちろん弥生もどこにもケガをしていない。
「重力加速度を九.八メートル毎秒毎秒だとして。五秒ほど落下したから、等加速度運動の公式から……。高さ百二十メートル ってとこか。結構高かったな?」
「……なんの、はなし……?」
叫びすぎて酸欠気味なのか、かすれた声しか出なかった。突然の落下体験のせいなのか目がグルグルと回った。
「……とりあえず、降ろしてもらえる?」
「ん? あ、あぁ」
芒雁が肩に担いでいた段ボール箱を置くかのようにひょいっと弥生を地面へと降ろした。降ろされた弥生は静かに服のシワを整える。
「……芒雁君。一ついいかな?」
「ん?」
「いきなりなにしてんの!?」
弥生が芒雁に掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った。
「飛び降りるなら降りるって一言くらい言ってくれてもいいんじゃないの!?」
弥生の目はちょっと涙でうるんでいた。
「いや……。言ったら反対されると思って」
「するに決まってるでしょ!」
声を荒げながら、弥生は両手で芒雁の服に掴みかかった。
「だいたいあの持ち方はなんなの!?」
「なんなのって……。どうすればよかったのさ」
「どうすればって……。例えば……」
続きを言ってやろうかと思ったけれど、弥生はすんでのところで堪えた。
「……もういい!」
そう言って家の方へずんずんと歩いていく。芒雁はどう宥めたものかな、と考えながら頭をかいた。
「まったく。芒雁は!」
などと一人で愚痴っていた弥生だが、別に芒雁に対して怒っているわけではなかった。初めにイライラしていたのはたしかに芒雁の配慮のない行動の方だったけれど、今はどちらかというと自分の方にイラついていた。最後まで言わなかったから、この程度のイライラで済んでいるが、うっかり言ってしまっていたら、きっと自分は自分を許せなかっただろうな、と弥生は思った。
「どうせ抱っこされるならお姫様抱っこの方が良かった、なんてセリフ。もし言っていたら自殺できるレベルだわ」
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