第24話 A house

 芒雁と弥生は崖の下にある家までたどり着いた。切り立った崖に囲まれているせいで、崖下はずいぶん薄暗かった。けれども不安感はあまり煽られなかった。むしろ崖上でも感じていた穏やかな雰囲気がより増したような。一層の静寂が辺りを包んでいた。

 上から眺めていた時はよくわからなかったが、近くまで来てみると家のその様子がよく分かる。

 壁はうっすらとベージュかかった白色で、傷一つなかった。屋根は良くある三角屋根で赤色をしていた。外観からして一階建てのようだ。そこまで観察して、弥生はある違和感に気づく。

「あれ? そういえばこの家、窓が全然ないね」

 窓だけでなく換気扇や縁側など、住居にあって当然の設備が、その家には備わっていなかった。住居というよりは倉庫のような印象を受ける。

「窓どころか、入り口もちょっと見当たらないね。芒雁君どうする? ぐるっと反対側まで行ってみようか?」

「……」

「……。芒雁君?」

 芒雁は家を見つめたまま、硬直してしまっていた。視線も何かを見ているのではなく宙空をさまよっている。弥生が不思議そうに芒雁の目の前で手を降る。そこから二回ほど呼びかけて、ようやく芒雁は我に帰った。

「え、あ……なんだって?」

「いやだから。家の反対側まで回ってみようかって」

「あ、あぁ……。そうだな」

 芒雁が曖昧な返事をするので、弥生は不思議そうに首を傾げる。

「芒雁君、大丈夫? さっきから様子がおかしいけど……」

「大丈夫、大丈夫」

 そう言いながら歩く芒雁の足取りはおぼつかなかった。

 さっきまで何ともなかったのに、なぜ急にぼんやりしだしたのだろう。何か考え事だろうか。

 何を。弥生は腕を組み、芒雁の歩く姿を後ろから観察してみる。芒雁は先ほどと同じように、ぼんやりと家を眺めながら歩いている。

「……」

 芒雁の様子がおかしくなった理由は分かりそうになかった。芒雁との距離がそこそこ開いたので弥生は仕方なしに歩き出す。

 家は一般的な一軒屋と変わらない大きさだった。なので大した時間をかけずに、二人は家の反対側まで来ることができた。

「あったね。入口」

 反対側の壁にはきちんとドアがあった。ノブ付きの、これまた何の変哲もない扉。余計な装飾の一切ない、とてもシンプルなデザインだった。

「芒雁君、どうしようか?」

「……」

 芒雁は何も答えなかった。ただ、さっきと違って弥生の言葉はきちんと届いているようだ。何か言うために何度か口を開く動作をしていた。

「ドア、開けてみようか?」

 弥生がドアに向かって一歩踏み出そうとする。芒雁は突然、弥生の肩を掴んでそれを止めた。

「待て」

 命令口調だったが語気は弱かった。弥生は反射的にびくっと体を強張らせた。

「え?」

 弥生はゆっくりと振り返る。弥生を掴んでいる芒雁は一見平静を保っているようだったが、しかし顔は悲痛さが滲んでいた。

「待ってくれ。頼むから」

 頼むからだって。芒雁の様子がおかしかった。普段のどこか余裕のある感じや、ふてぶてしさが今の芒雁からはまったく感じられない。弥生を掴んでいた芒雁の手が弱々しく離れる。

「どうしたの? このドア、開けるのまずいのかな。芒雁君は何か嫌な感じがする?」

「いや、そういうわけじゃないんだが……」

 煮え切らない芒雁を見て、今度は逆に弥生が芒雁に掴みかかる。

「しっかりして! 何かあったの? 体調が悪いのか何なのか知らないけど……。ちゃんと言葉にしてくれなきゃ分からないよ」

 その時、突風が弥生と芒雁を襲った。

「きゃ」

 突然の風に弥生は驚いたが、反して芒雁は薄い反応だった。弥生はとっさに頭を抱えてしゃがみこんだ。たっぷり十秒は吹きつけていただろうか。風がおさまると弥生は上を眺める。切り立った崖があるせいで、風がビル風のように吹き込んでくる構造にでもなっているのかもしれない。

「三桜」

 声が背後からしたので、弥生はビックリして振り返る。そこには芒雁がいた。倉庫のような家の扉から中に入り、今まさに閉めようとしている。先ほどまで目の前にいたはずなのに、いつ間に移動したのだろう。

「三桜はここで待っててくれ」

「芒雁君待って!」

 弥生は芒雁の元へ駆け出す。だが、芒雁はゆっくりと扉を閉めていく。

「俺なら大丈夫だから」

 そう言い残し、扉を完全に締める。数瞬遅れて弥生が扉に手をかけ、ノブをガチャガチャっと回すが、鍵でもかかっているかのように扉は開かなかった。弥生はしばらく扉と格闘していたが、扉はまるでびくともしない。そのうちに疲れ、膝から崩れ落ちた。

「芒雁君。また自分だけ危険な所に行くつもり? これじゃあ、昨日の夢とまったく同じ状況じゃない……」

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