第12話 Trauma(トラウマ)
時は少し、芒雁が弥生と別れ、謎の男の元へと向かう頃に遡る。
弥生は芒雁の姿が見えなくなってもしばらくの間、板チョコにしがみついたままの体勢でいた。
「……覚えてる」
芒雁の後ろ姿を見ながら弥生は呟いた。
「この気持ちは……昔の……」
弥生の脳裏に幼い頃の自分が蘇る。普段思い出さない記憶なので場所や時間はあいまいだったが、その時の気持ちはいまだに思い出すだけで顔をしかめてしまうほど、苦く辛いものだった。
目の前に自分よりはるかに大きな女性が二人いる。いや、自分が小さいだけなのだろう。目の前に大人の女性が二人向かい合って立っていた。こちらを向いているのが遠縁の親戚のおばさんで、弥生のそばにいるのが、弥生の母親だ。弥生は母親のスカートの裾をつかんで、陰に隠れるようにしていた。
「あーら、弥生ちゃん大きくなったわねー。いくつになったの?」
こちら側を向いている女性が話しかけてきた。口調は優しかったが、その声はいがらっぽいダミ声で、それだけで幼い弥生をすくませた。
「……」
七歳になりました。そう元気に答えたかった。けれども声が出なかった。
「久しぶりに会ったから緊張してるのかなー。おばさんのこと、忘れちゃった?」
話しかけてきたおばさんは、離れた所に住んでいるので普段会うことはなかった。でも弥生はバッチリ記憶していた。
違う。覚えてる。そう今度は答えようと自分を奮い立たせる。でもやっぱり言葉にならなかった。
仕方なく弥生は代わりにぶんぶんと首を横に振った。
「あ、あら。弥生ったら。ごめんなさいね◯◯さん」
悔しかった。しゃべれなかったことがだろうか。それとも母親にフォローされたことがだろうか。よく分からなかった。ただ母親のスカートをギュッと握ってうつむいていたら、自然と涙がにじんできた。
「あぁ、ごめんね。弥生ちゃん! 困らせるつもりはなかったの。おばさんが悪かったわ」
慰められるたびに惨めな気持ちになって、始めはうるむ程度だった涙が徐々に粒となり、目からボロボロと零れた。
いつ頃の話なのか、どこであった話なのか。もう思い出せないくらい昔だけど、たしかにあった記憶。思い出すだけで、ズキリと胸が痛む。あの頃の私は極度の人見知りで、泣き虫だった。
「このままじゃ。泣き虫の頃の私と同じじゃないか」
弥生はパンっと自分の両頬を叩く。
「決めたんでしょ! 変わるって。私が大好きな私になるってあの時!」
弥生は目をギュッと閉じる。心の中でいつものおまじないをかける。元気な自分になるおまじないを。
次に目を開いた時にはいつもの三桜弥生に戻っていた。
「芒雁君一人を、危ない目に遭わせるわけにはいかないでしょ」
そう言うと弥生は板チョコを優雅に飛び越えると、芒雁の後を追って駆け出した。
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