第11話 Face to face
男は芒雁の方をまっすぐ向いていた。芒雁も、もう身を隠そうとはしなかった。そんなことはもはや無意味だ。堂々と男の前へ姿を現す。
「やあ、こうして会うことができて嬉しいよ。今まですれ違うことはあっても、こうして面と向かって会話するのは初めてだからね」
芒雁は男から十メートル手前で歩みを止める。
「面と向かって……ね」
男の姿は以前芒雁が言っていたように真っ黒だった。まるで影そのものが本体としてそこにあるような。あるいは黒い霧が男の周りにうずまいているような。それがかろうじて人の輪郭を保っていることがわかるだけで、芒雁には声がなければそれが男なのか女なのか、それすらも分からないのであった。
「その姿で面と向かい合っていると言えるのか? 俺にはお前の顔、姿がさっぱり分からんぜ」
「それが認識できない、ということだよ」
男は大仰に両腕を振り上げる。
「例えば、空気。空気は無色透明だから目でその存在を確認することはできない。けれどもこの世界でもキミは空気を吸い、そして吐くことができる。それは空気がここに存在しているからではない。芒雁君、キミが空気の存在を認識しているからだ。しかし私の存在はそうではない。ただそれだけのこと。この世界は現実世界とは違うルールで成り立っているということを、まずは理解して欲しい」
男は片手をぐるぐるっと回し、空気をかき混ぜるようなモーションをとった。
「大事なのは情報だよ。あるいは知識」
「つまりお前の正体を俺は知らないから、お前のことを影としてしか見ることができない、そう言いたいのか?」
男は数秒間沈黙した。まるで芒雁のことを値踏みするような間だった。
「さて、芒雁。前回聞きそびれた返答はいただけそうかな?」
「……やはり俺には、お前が評価しているほど、他人より自分が優れているとは思えない」
「まだ自覚していないのか? キミには他にない、優れた能力がある」
男は断言した。
「……能力?」
単に優秀だと言いたいだけなのか。その言い回しに芒雁は引っかかるものを感じた。
「そうだ」
「……」
芒雁は考える仕草をする。相手のペースに飲まれないよう、時間を稼ぎたかった。
「さて、いい返答はいただけそうか?」
「それよりも」
芒雁が男の足元にいる人物に目配せをする。先ほどまで跪いていた人だ。そちらは男と違ってきちんとその姿を見ることができた。しかし今は男の後ろにいるため、顔は確認できない。服のカンジからすると、どうやら女性のようだった。
「無事なんだろうな?」
男は鼻で軽く笑った。
「自分で確かめてみるといい。彼女の姿なら、キミでも見えるんじゃないかな?」
男がす、と横に立ち退く。倒れている少女の顔を見て、芒雁は目を見開いた。
「八ツ橋さつき……!」
それは弥生の友人の、そして今日芒雁が病院へお見舞いという名目で調査に行った、あのさつきだった。よく見ればその服も、今日さつきがベッドで着ていたパジャマだった。
「ご覧の通り、眠っているだけだ。夢の中で眠っている。と言うと、表現がフラクタル構造化していて滑稽ではあるが」
「……」
芒雁はさつきを見つめながら、じっと考えていた。そしてゆっくりと男を見据えた。
「お前が何の目的があってこんなことをしているか知らないが」
芒雁の目には決意が宿っていた。
「それがそこの八ツ橋さつきのように、誰かを犠牲にして成そうとしていることなら。俺は見過ごすわけにはいかないな」
「仲間にならないばかりか、私の邪魔をすると?」
カチリ、とスイッチが切り替わったように男の声音から柔らかさが消える。先ほどまでの、話に興じようという温かさは一切なくなり、冷たい威圧感が芒雁を突き刺した。
「芒雁。キミは何も理解していない。私に刃向かうという意味も、他人を巻き込んで犠牲にしているのはどっちかということも」
「どういうことだ?」
男は芒雁がやってきた方向を指差す。
「連れてきているんだろ。もう一人」
どきり、と。芒雁は自分の心臓がひときわ大きく鼓動した。
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