第10話 Encounting
弥生と芒雁はしばらくの間、お菓子に囲まれた道を弥生の勘を頼りに歩いた。
どれぐらい歩いたのだろうか。周りは最初と変わらず、お菓子の山がどこまでも続いている。匂いも相まって胸焼けしそうだった。
景色があまりにも代わり映えしないので、どれだけの距離や時間歩いたのか、既に分からなくなっていた。夢とはいえ、感覚は現実と変わりないので、疲労はたまる。
「ねえ、芒雁君。これ……どこまで続くのかな……」
「さあ。俺に聞かれても」
「こっちで方向、合ってたのかな」
「だから俺に聞くなよ……」
先行して歩いてた弥生が足を踏みしめ立ち止まった。何かあったのかと不思議に思った芒雁が声をかける暇もなく、弥生はくるりと芒雁の方を向く。
「ちょっと芒雁君! さっきから何なの! 会話する気あるの!?」
弥生は二歩三歩と芒雁に詰め寄る。何の気も遣えない目の前の男に、こちらだけ我慢して愛想よく接する気なんてさらさらなかった。
「会話っていうか……、ただグチりたいだけだろ。三桜は」
芒雁は面倒くさそうにため息をついた。その態度と図星を突かれたことで、弥生は思わず芒雁を引っ叩きたい衝動に駆られた。だが、すんでの所でこらえた。
「それでも、もっとこう……。言い方ってもんがあるんじゃないの?」
「分かったから。疲れてるからってヒステリー起こすなよ」
「誰がヒスってるって!?」
「いや、だから……」
芒雁が何かに気づいた。
「あれ? 三桜、ちょっと黙って」
「なに? うるさいっていうの?」
「違うって。とりあえず静かにしろって」
芒雁は弥生を抑え込むと口を塞いだ。
「ちょ、フガ」
弥生は不満そうにうなり声をあげる。
「ムー……」
「誰か人の気配がする」
芒雁の緊張感が声から伝わってきた。芒雁が口ゲンカをしている場合ではない何かに気づいたことを、弥生もすぐに察した。弥生を押さえていた芒雁の手をゆっくりとどけると、弥生は芒雁と共に姿勢を低くして、目の前の板チョコの陰に隠れた。 さっきまでの怒りなどすっかりどこかにいっていた。
「人の気配? 誰かいるの? どこに?」
「今は首をあまり出さないで。まだ静かに。こちらの存在を気取られたくない」
「なんで? なんか危険かもしれないってこと?」
「さあ。そうかもしれないし、違うかもしれない。それは相手の出方次第」
弥生と会話しつつも、芒雁は向こうの様子を探ることに神経を集中させていた。弥生もこっそり覗いて見る。
芒雁が見つめる先には真っ黒な人が立っていた。そしてその前に誰か跪いている。跪いた姿はまるで祈りを捧げているようだ。跪いているのが誰なのか、弥生達が隠れている所からでは分からなかった。しかし立っている方、その真っ黒な姿は、弥生にも見覚えがあった。
「……あいつだ」
廃墟の夢で弥生を襲った、あの人物だ。身体的特徴が分かるわけでもないのにそうだと言えるのは、独特のたたずまいというか、間違いようのない気配を感じたからだった。
真っ黒い人は何か呟いているようだった。内容までは、弥生には聞き取れなかった。
「……声の低さからみて、男だな」
「うそ。芒雁君、聞き取れたの?」
芒雁は無言で頷いた。
しばらくすると男の右手が光りだした。廃虚の夢で弥生がされたことと同じだ。つまりあの跪いた人も弥生同様襲われているのだろうか。
「ねえ、芒雁君。あれってマズイんじゃ……? アレってアレだよね。私の時と同じ……。助けたほうがいいのかな」
男が発する光は、始めは弱い光だったのに、次第に光の強さが増していく。
弥生は芒雁に判断を求めた。芒雁は目をつむり少し悩んでいたが、やがて覚悟を決めたように目を開いた。
「行くしかないか」
芒雁は弥生の方を向き、指で弥生の額を押した。
「いいか。三桜はここで待ってるんだ。絶対に来るんじゃねえぞ」
芒雁が押したのは額だけでなく、念もだった。
そう言って芒雁が立ち上がろうとした時だった。
「そこにいるんだろ? 近くまで来ているのは分かってるよ!」
右手を差し出したポーズのまま男が大声で叫んだ。弥生はビックリして叫んでしまいそうになったが、口を抑えて堪えた。
「……気づかれてたのか」
芒雁と弥生は顔を見合わせた。
「歓迎するよ、芒雁君。話をしようじゃないか」
男ははっきりと芒雁達の方を向いて叫んでいた。弥生は心配そうな顔で芒雁を見る。
「……どうやらご指名みたいだ」
芒雁は首をすくめるようなポーズをとる。
「呼ばれているのは俺だけだ。三桜も出て行く必要はないな」
「でも……」
私にもできることがあるかもしれない。そう言いたかったが、その気持ちは言葉にならなかった。言葉にできなかったのは、そういい切れる自信がなかったからだった。心の中でもう一人の弥生が反論する。
できることが本当にあると言うのか。右も左も分からないこの世界で。しかも相手は男。実力行使に出られた時に女の私がいたのではどう考えても不利だ。芒雁君一人で行かせた方が、芒雁君のためになるのではないか。
葛藤を抱えた弥生はじっと芒雁を見つめることしかできなかった。
「何だよ。そんな目で見て。俺に任せるのがそんなに不安か?」
弥生の葛藤に芒雁はまったく気がつかない。そればかりか弥生が思ってもいないことを言い出す始末だった。
「ち、違う! そうじゃなくて」
それ以上の言葉が見つからず、弥生はぱっと視線をそらす。
何か、何か言わなければ。
「す、芒雁君が短気を起こして暴力的な行為にでないかとか……。そういうのが心配なだけ!」
伝えたい気持ちも口にしたい言葉も、胸のうちにはたしかにあった。けれども実際に出た言葉は、これっぽっちも思ってなかったものだった。まったく本心になかったので、言った弥生本人もビックリしてしまう。
暴力は必要悪だと弥生は思っていた。そりゃあ暴力に頼らずに物事が解決できるならば、その方が良いに決まっている。国だって警察という暴力装置を用いて治安維持を行っているし、戦争という暴力が、交渉の一つとして利用されることもある。歴史が既に証明しているのだ。そのことを理解しているからこそ、非暴力だけでこの世のすべての問題が解決できると思えるほど、夢見がちにはなれなかった。
もっとも、変わった思想を持っていると誤解されそうだったので、今まで誰かに話したことはなかったし、これからも話すつもりはなかった。
だからこそ。自分の信条と逆のことを言ってしまった自分にビックリしたのだった。
「……」
弥生の言葉に芒雁は数瞬当惑した。だがやがて。
「三桜の心配することじゃねーよ。バーカ」
そう言うと弥生の頭にポンと手を乗せた。弥生は思わずビクリと反応してしまう。
「まあ、上手くやるさ。三桜はそこら辺のお菓子でもかじって待ってな」
そう言い残して、芒雁は目の前にあったチョコの塀をひらりと飛び越えていった。
残された弥生は面食らった顔で、しばらくへたり込んでいた。
「な、何よ! 人がせっかく心配して……」
とまで言いかけて弥生ははっと気づく。
「それらしい言葉、かけてやれてないじゃん、私……」
チョコからひょいと顔を出し、芒雁の後ろ姿を見つめた。
「無事に帰ってきてね、くらいの一言。言えれば良かったな」
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