第9話 Welcome to the sweet dream

 芒雁と弥生が病院で話したその夜。弥生はベッドの上で腕を組んでいた。

「芒雁君、怪しい」

 芒雁は何かを知っている。弥生は確信していた。

「でも現実で芒雁君が話してくれないのなら」

 もう一度芒雁が出てくる夢を見るしかない。しかしそう都合良くいくものだろうか。

「……とりあえず神頼みをしてみるの術」

 ぱんぱん。弥生は正座に座り直し、手を打った。女子高生にしては見事な柏手(かしわで)である。

「これで何とかなるとは思えないけど」

 他にどうしようもないので寝てみることにした。

 ガバッと布団をかぶり、弥生は目をつむった。お見舞いに行ったりなんだりで疲れていたのか、眠気は案外早く訪れた。

 真っ暗な穴の中へ落ちていく。その明確な感覚が弥生には感じられた。いや、落ちるというよりは沈むと言った方がいいのだろうか。重力が十分の一くらいに減って、ゆっくり落ちていくような。まるで今日乗ったエレベーターのようだ。弥生の嫌いな感覚。だがその嫌悪感も落ちていくに連れ、意識とともに徐々に薄れていった。

 次に弥生が意識を取り戻したとき、弥生は床に寝そべっていた。床の冷んやりした感覚が頬を伝わってくる。

「このリアルな感覚……。まさかね」

 弥生は目を開け、ガバッと飛び起きる。そこは先日夢で見たような、廃墟の街ではなかった。

「……廃墟ではないみたいね。それにしても」

 神頼みもしてみるものだなあ、と弥生はしみじみ思った。再びこのリアルな感覚の夢を見ることができたのは祈りが通じたからなのか、はたまた単なる偶然なのか疑問は残ったが。

「……なんかどうにも仕組まれている感じがする」

 弥生は腕を組みながら考えをまとめてみる。

自分がこの不思議な夢をみるようになったこと。さつきを含めた大勢の生徒が覚めない夢を見ていること。そして芒雁と夢と現実の両方で関わるようになったこと。それらすべてがほぼ同時に起こっている。これらが偶然、重なって起きたと考えるのは逆に不自然だ。となればまたこのリアルな夢をみているに理由も、寝る前の柏手一つ以外に何かあるはずだ。しかしその答えを思いつくことはできなかった。

考えるのをやめ、弥生は自分の服を確認してみる。ベッドに入ったときと同じパジャマだった。靴は履いていない。素足だ。

 辺りを見回してみる。真っ白な床がどこまでも続いていた。近くにはなにもないようだったが、遠くに建物か、または何かのオブジェクトのようなものが見えた。とはいえ、模様も何もない床は遠近感を狂わせる。そのオブジェクトがここからどの程度離れているか、よく分からなかった。

「ここでボーっとしててもしょうがないし。行ってみますか」

 弥生は何かが見えた方へ歩きだした。また廃墟でもあるのだろうか。そんなことを考えながら、弥生は歩き続ける。素足だったので、歩くごとにヒンヤリした感覚が足の裏から伝わってきた。


 しばらく歩いた。そして遠くにあった「何か」が何なのか分かった時、弥生は自分の目を疑った。

「……え?」

 前の夢のような廃墟ではなかった。それでもそれは非現実的で、異質だった。目の前の光景が信じられず、弥生は目をゴシゴシとこする。だが目の前の光景は変わらなかった。弥生の見間違いではない。

「……バウムクーヘン? それにあれはマカロン?」

 ケーキ、ゼリー、プリン。クッキーにアイスにマシュマロ。そこら中がお菓子でいっぱいだった。弥生が思いつく限りのありとあらゆるスイーツが、そこいら中に山のように積み上げられていた。いや、文字通り山である。弥生は近くにあったお菓子の山の一つへと近づいていく。山は何ともいえない匂いを発していた。様々な匂いが混然一体となっていたが、甘いという事だけは確かだった。

「うわ、大きい……」

 弥生は積み上げられたお菓子からビー玉のような球体を拾い上げる。ビー玉と言ったが大きさはビーチボールくらいある。ピンク色のビー玉は大きさに見合った重量感があった。

「まさか、ね」

 弥生は拾い上げたビー玉を床にガラス玉をぶつけてみた。ハイヒールで大理石の床を踏みしめたような、心地良い音がした。そのままラッコが貝を割るかのように、何度かぶつけているとガラス玉が欠け、小さいカケラが散らばる。弥生はその一つを頬張ってみた。

「甘い。イチゴ味だわ」

 キャンディだ。と言ってもこんなに大きなキャンディ、弥生は見たことはなかった。他のお菓子もことごとく巨大だった。お菓子自体は普段見慣れている物だけに、遠近感がよく分からなくなる。見回しているだけで目がチカチカしてきた。

 感覚は現実的だが、光景はあまりに非現実的だ。やはり夢の中なのだろうか。

「これが夢だとして。確かに女子憧れのシチュエーションではあるけれども。これが私の潜在的欲求?」

「だとしたら、ずいぶん欲求を溜め込んでるな。ダイエット中か?」

 弥生の独り言に後ろから返答がある。ビックリして振り返ると、そこには芒雁葉がいた。

「きゃあ!」

 芒雁との距離が思った以上に近かったので、弥生は跳ねるように距離をとった。芒雁はばつが悪そうに頭をかいた。

 弥生には芒雁の気配を感じることができなかった。実際に見るまで、芒雁がそこにいることが分からなかった。

「なんでここに三桜がいるんだ?」

 弥生がいることに芒雁も驚いている様子だった。

「そ、そんなこと私が知るわけ……。あ、もしかしてお祈り効果!?」

「お祈り?」

「あぁ、いやいやこっちのはなし」

 弥生は両手をぶんぶんと振り、適当な事を言いながら誤魔化した。

「……っていうか、ここ本当に夢の中なの? なんていうか、こう。あまりにもリアル過ぎて、夢って気が全然しないんだけど……」

「俺にもよくわからないけど。夢の中には違いないみたいだ。というかこの状況、ありえないだろ」

 そういうと芒雁は近くにあったビスケットをコンコンと叩く。たしかに、と弥生も同意する。

「でも芒雁君、やけに落ち着いてない?」

 弥生の質問に芒雁はよどみなく答える。

「まあ、初めてじゃないしな」

「え、それって……」

 初めてじゃない。つまり以前にも経験がある。それがひょっとしなくても弥生がずっと気になっている、あの廃墟の夢のことなのは明白だった。

「やっぱり、芒雁君か……」

 一つ納得がいったが、それでも弥生にはまだ分からないことだらけだった。

「……でも! それならなんで病院で会った時、とぼけるような事言ったの?」

「まさか三桜とまた夢で会うなんて思わなかったからな。余計な情報を教えない方がいいと思ったんだ」

 それに、と芒雁は付け加えた。

「俺だって何が正しいかなんて分からない」

「それはそうかもしれないけど……」

 でもそれなら正しいかは分からないと付け加えればいいだけで、説明しない理由にはならない。やっぱり何も説明しないのはズルい。弥生は内心で思っただけのつもりだったが、その表情はふくれっ面だった。誰が見ても思ってることがバレバレである。

 そんな弥生の不機嫌顔を見て、芒雁は少し慌てた。

「ああ、でも確実だと分かっていることもある」

 芒雁がピッと人差し指を立てる。

「一つ目。これが人為的なものだということ」

「え!?」

「なんでこんな夢を作り出しているのか。そして俺らはなぜここにいるのか。それは分からないけれど、これが誰かの仕業だとは思う」

「どういうこと? なんでそう思うの?」

 芒雁はまあまあと弥生をなだめ、二本目の指を立てた。

「二つ目。夢の中だと言っても現実世界とあまり変わらないということ。夢の中だからと言って俺らは空を飛べるわけでもないし、魔法を使えるわけでもない。まあ感覚が妙にリアルな割りには、痛みは感じないみたいだけどな」

「へえ……」

 弥生は素直に感心する。

「詳しいのね。でもなんでそんなこと知ってるの?」

「俺も三桜と同じ被害者だからな。でも俺の方がちょっと経験が多いみたいだけど」

 被害者。その言葉の使い方が妙に気になった。それに経験が多い。つまり芒雁はこのリアルな夢の世界に、もう何回も来ているということなのか。

「三桜だって覚えてないか? 今のような奇妙な世界のこと。誰かに襲われそうになっただろ?」

「うん」

 忘れるわけがない。ここ数日、夢が弥生を苛んでいる。さつきのこと、生徒が大勢欠席していること、そして今だって。すべてがおかしくなりだしたのは、あの夢を見てからだ。

「三桜を狙ったあいつ。あいつが手掛かりだ。俺たちの知らない何かを、あいつなら知ってるんじ「ないか」

「うん」

 その点については弥生もそうだと思った。理由は、と聞かれれば直感としか答えられないが。

「……で、二つ目は?」

「二つ目?」

「そう、二つ目。痛みを感じないうんぬんはともかく、なんで空を飛べないって分かったわけ?」

 芒雁は後頭部をぽりぽりとかいた。

「あ、今視線逸らした」

「してない」

 芒雁は即座に否定する。芒雁も弥生に負けず劣らず、隠し事が苦手らしい。

「隠し事してるでしょ。なに、なんで空を飛べないって分かったわけ?」

「……たから」

 芒雁は小さな声で呟いた。言いたくなさそうだ。

「へ? 何か言った?」

「いや、だから試したから」

 どうやって。弥生は想像してみた。どこぞのカートゥーンアニメみたいに羽ばたきながら崖を飛び降りたのだろうか。もしくはシュワッチとか言いながら両手を天に突き出してみたり? いやいや、空を飛ぶ呪文を唱えたのかもしれない。いずれにせよ芒雁がやるとは想像できなかった。

「……意外に可愛いとこあるのね」

「あ、何か言ったか?」

 芒雁が弥生をじーっと睨む。

「あぁ、いやいやこっちの話」

「なんかとんでもない誤解をされてそうなんだが……」

 芒雁はまだ疑り深く弥生を睨んでいた。

「そ、それよりも。これからどうするの?」

「あー、とりあえずアイツを探そうと思ってる。多分今回もどこかにいるだろうから」

「探すって言ったって。手がかりはあるの? ここ、バカみたいに広いわよ」

 辺りはお菓子の山がいくつか積み上がっているだけ。似たような景色が延々と続いており、他に何の目じるしも見当たらない。迷わずに歩き回るのは至難の業だろう。もっとも飢え死ぬことはなさそうだが。

「手がかり? そんなものはない。でもだからってジッとしててもしょうがないだろ」

 たしかに芒雁の言う通りだ。

「え、と。じゃあ……」

 弥生は左右をキョロキョロ見回した。やがて一つの方向を指差す。

「こっち。とりあえずこっちに行ってみましょ」

「はあ? 行ってみましょって。三桜も?」

「何よ。置いて行く気だったの?」

「あぁ、いや……」

 芒雁は頭をかいた。

「でも三桜はなんでそっちに行くって決めたんだ? 何か心当たりでも?」

「カン」

「カン……って。勘か!?」

「あら、ひょっとして女の勘を信じてないの? アテなんかないんでしょ。だったらいいじゃない」

 弥生は先ほど指差した方向へスタスタと歩き出す。

「どうしたの? 早く行きましょ」

「あ、あぁ」

 芒雁も弥生の後をついて行く。

「ところで芒雁君。『アイツ』って何者なの?」

 芒雁は首を振った。

「わからない」

「わからない、って。知らない人だとしても、ほら外見とか年齢とか性別とか。ちょっとくらい手掛かりあるんじゃ?」

「なんていうか。どんな魔法を使っているか分からないけれど、外見が黒づくめでまったく分からないんだ」

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