第8話 Sleeping beauty and the beast
病院はさつきの家から十数分歩いた所にあった。受付で友達の名前を告げると、すぐに病室を教えてくれた。
病室は大部屋であった。さつきの名前が書かれたベッドの元へ行くと、一人の女性がそばに腰掛けていた。きっとさつきの母親だろう。
声をかけるまでもなく自然と目が合ったので、弥生は頭を下げた。物腰の柔らかそうな母親で、弥生を見るとニッコリと笑い、ゆっくりとお辞儀をしてくれた。
「あの私、三桜弥生と言います。学校でさつきちゃんにはお世話になってます」
弥生は緊張した面持ちで自己紹介をする。年の離れた人、しかも初対面の人とこうして話すことなど普段めったにないので、ついカタコトになってしまう。
「まあ、それは。わざわざお見舞いに来てくれてありがとうねえ。ぜひこの子に顔を見せてあげて」
母親はそう言いながら、スッと立ち上がり、ベッドの横を空けてくれた。弥生は先ほどまで母親が座っていたスツールへと静かに腰掛ける。
「……」
さつきの顔をじっと見つめる。さつきは目を瞑り、静かに寝息を立てていた。顔色は悪くない。いつも以上にお人形さんのようだった。ここが病院でなければ、本当にただ眠っているだけのようである。
「お医者さんの話では、どこも悪くないらしいんだけどね。不思議と目を覚まさないの」
後ろから母親が説明してくれた。
「目を、覚まさない?」
弥生はドキリとする。それは単なる噂の一つに過ぎないはずだった。弥生の嫌な予感が的中してしまったことになる。
「特に体に異常が出ている訳ではないし、点滴や流動食で栄養も摂取できているから、このままでも即座に命に別状があるわけではないのだけれど。このままの状態が続くと、やっぱり体を動かさないから、どうしても弱ってしまうわよね」
母親の声は感情を抑えているようだったが、それでも寂しさと不安が弥生にも伝わってきた。弥生は母親の方を向くことができず、ジッとさつきの顔を見つめていた。
「なんでこんなことになったのか、私には見当もつかないのだけれど。弥生ちゃんは何か知ってる?」
弥生はさつきの顔を見たまま首を振る。
「そう」
さつきの母親が呟いた一言は、近くにいた弥生でも聞き逃してしまいそうなほど小さかった。その声に弥生も堪らない気持ちになる。何か教えてあげられる事はないかと思考を巡らせた。
「その……、単なる噂なんですけど。眠ったまま目を覚まさない子、他にもいるみたいです。現にさつきちゃん以外にも学校を休んでいる人、結構な数いるみたいで」
母親は既に知っていたのだろう。弥生の話を聞いても、さして驚いている様子はなかった。
「お医者さんは人を昏倒させるような薬物やウイルスを疑っているみたい。警察の方も捜査に乗り出しているとか」
警察という言葉に、弥生は少なからず気が動転した。弥生が知らなかっただけで、事態はずっと深刻になっているようだ。
しばしの沈黙。やがて母親が気づいたように声をかけた。
「あ、おばさん、ちょっと電話かけて来るから失礼するわね。弥生ちゃん、ゆっくりしていってね」
母親の気遣いに、慌てて弥生は立ち上がる。
「私、もうお暇します。長い時間お邪魔してしまって、申し訳ありませんでした」
母親は、弥生の言葉に再びニコリと笑って見せると、部屋の出口に向かって歩き出す。途中で立ち止まるとくるりと弥生の方を向いた。
「もし弥生ちゃんも何か気づいた事があれば、おばさんに教えてちょうだいね。さつきを助けるヒントになるかもしれないから」
「はい。お役に立てるかは分からないですけど」
そういうと弥生は深々と頭を下げた。頭を上げた時にはもう母親の姿はなかった。
弥生はさつきの枕元にある机にお見舞いの品を置くと、病室から出た。持ってきたお見舞いの品の感想とか、学校であったこととか話そうと思っていたのにすべて無駄になってしまった。その空虚な気持ちが弥生の足取りを速くしていた。
弥生は一階へと降りるためにエレベーターホールへと向かった。ホールでエレベーターを待つ人が一人いる。それが誰なのか分かった時、弥生は驚きの声をあげた。
「芒雁君!?」
ホールにいた人が振り返る。気だるそうに立つその後ろ姿だけで誰なのか、振り返らずとも弥生には分かった。弥生は小走りで駆け寄る。その人は弥生の予想通り、芒雁葉だった。今日初めて話した、けれどもここ数日弥生の心を捕らえて離さない事柄の中心にいる人物、芒雁葉だ。
「芒雁君、なんでここに?」
「見舞い」
当たり前か。弥生は自嘲気味に呟いた。芒雁はこの前みたいに愛想笑いはせず、ぶっきらぼうな態度だった。機嫌が悪いのだろうか。そんな雰囲気を感じ、弥生は居住まいを正した。
「ふーん。誰の、お見舞いだったの?」
「……」
弥生が質問しても芒雁が答えなかったので、会話が途切れる。何もしゃべらないまま待っていると、エレベーターが到着した。芒雁がスタスタとエレベーターへと乗り込む。
「……」
弥生は少し戸惑った。この気まずい空気のまま、エレベーターという密室に入るのは多少気後れした。
「なんだよ。三桜は乗らないのか?」
芒雁が早く乗れと合図したので、弥生は慌ててエレベーターに乗り込む。
ドアが閉まると、ガクン、という軽い振動があり、エレベーターは下へ向かって降りはじめた。
弥生はこの慣性が嫌いだった。突然無重力空間に落とされたような、あるいは海の底へ沈んでいくような感覚。まるで体が自分の物でなくなり、別の何かに支配されたようだ。
「みんな眠ったままらしい」
「え?」
突然芒雁が話し始めた。不意を突かれ、弥生は一瞬、誰に話しかけているんだろうと思う。だがエレベーターの中には自分と芒雁の二人しかいない。すぐに自分に対して話したのだと気づいた。
そんな弥生の動揺をよそに、芒雁は構わず話し続けた。
「中には騒ぎに乗じてズル休みしてる奴もいるみたいだが。それでも『真っ当な』事情で休んでいる奴は眠り続けているらしい。少なくとも俺が確認した奴は、みんなそうだった」
「確認って。芒雁君、一体何のために?」
弥生の問いを無視して、芒雁は話し続ける。
「十分な検査設備のある病院に入院した奴は脳波検査を受けたみたいだが、みんなある特徴が見られたそうだ」
「特徴……?」
「みんな、アルファ波が活発だったそうだ。これはレム睡眠時に見られる特徴だ。つまり……」
「つまり?」
「みんな夢を見ている。いつ覚めるとも分からない夢をな」
「また夢……」
弥生はあの夢を思い出す。廃墟になった町を一人歩く自分。そして何者かに襲われそうになった所を助けられる夢。弥生は思い切って芒雁に尋ねてみる。
「あの、芒雁君。私、夢で思い当たることがあるんだけど」
芒雁はチラリと弥生の方を見た。
「何日か前に見た夢なんだけど。とってもリアルな、変な夢だったの」
「……」
「その夢でその、芒雁君が出てきたんだけど。もしかして芒雁君、今回のことで何か知ってる事があるんじゃ?」
芒雁は無表情のまま、軽く首を傾げる。なぜ? というジェスチャーだ。
「だって芒雁君がこの事を調べているのって何か理由があるんでしょ? それに私の見た夢。あの夢ってきっと。この事と無関係じゃ……、ない」
「三桜」
芒雁が弥生の言葉を遮るようにきっぱりと名前を呼ぶと、じっと弥生の方を見た。先日の出来事を思い出し、弥生はドギマギした。
「八ツ橋さつきを助けたいか?」
会話の流れをぶった切る、突然の質問に弥生は理解が追いつかなかった。
「え、そりゃあ。まあ。当然といえば当然……」
ただ思ったことを口にする。その時ガクン、と再び振動があり、エレベーターは減速状態になる。一階が近づいてきたのだ。完全に停止するまでの間、芒雁は弥生を値踏みするように見つめ続けた。エレベーターは結局、一度も途中のフロアで止まることなく、一階へと到着した。
それを合図に、芒雁は弥生を見るのを止める。
「三桜。お前がどんな夢を見たか知らないけど。それは勘違いだ。あんまり考え込まないほうがいいぞ」
そう言い残し、弥生が止める暇もなく芒雁はスタスタと歩いて行ってしまう。一人残された弥生は独り言を呟く。
「関係あるに決まってる。だってこんなに共通点があるんだもの」
一つは夢。欠席した生徒は皆、夢を見ており、弥生も奇妙な夢を見ている。
そしてもう一つが。この事件を調べているのが芒雁葉であり、そして弥生の夢の中で弥生を助けてくれた人物もまた、芒雁葉だったからである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます