第4話 新任教師 師桐限
もうすぐ始業のベルが鳴ろうかという頃、教壇には二人の先生が立っていた。一人は弥生達のクラス担任のおじいちゃん先生。そしてもう一人は長身の若い先生。弥生は二人を見比べた。二人の年齢は確実に倍は離れているだろう。
始業のチャイムが鳴ると、担任の先生が眠くなる地声で若い先生を紹介した。
「えー、先日自己紹介してもらったばかりなので、みんなは知ってるとは思いますが、教育実習で勉強に来られた、師桐限(もろきり かぎり)先生です。師桐先生にとってはこれが人生初の授業になるので、みんな協力するように。えー」
それでは、と前置くと、おじいちゃん先生は中央を師桐先生へと譲り、教室の端へと退いた。師桐先生は一度生徒全員の顔をぐるりと見渡し、呼吸を整えた。
「師桐です。最初の紹介の時に話しましたが、先生は倫理の授業を担当します。拙い授業になるかもしれませんが、その時は皆さんどうか、笑って許してやってください」
快活な声だった。おじいちゃん先生は人生初の授業だと言っていたが、なかなかどうして堂が入っている。ハキハキとしゃべるその姿は、師桐先生が自身に満ち溢れているのを如実に物語っていた。おじいちゃん先生の、のんびりとしたしゃべり方と比較するとより際立つ。
「あー、やっぱりいいわねえ。若い男って」
牡丹を見るとウットリと師桐を見ていた。
「牡丹姉さん。さすがにその感想はゲスい」
先ほどのさつきではないが、流石に弥生も突っ込まずにはいられなかった。
「なによ。弥生だってそう思うでしょ? それともなに。弥生はおっさんの方が好み?」
「いやまあ。どっちかと言われれば、ねえ?」
「二人とも、ちょっと声大きいかも……」
声の大きさというよりは、どちらかというと内容の方で注意されないか心配で、さつきは弥生の袖の端を掴んだ。
師桐は弥生たちをチラリと見たが、構わず話し続けた。
「今日は一回目の授業ということで、教科書から少し離れて、夢について学びたいと思います。それではプリントを配るので前から順に……」
「なんで倫理の授業で夢? ってか倫理ってなに? 社会? 国語?」
牡丹が頭の上にはてなマークをいっぱい出しながらブツブツ呟くが、弥生の耳には入らなかった。
「……夢」
弥生はポツリと呟く。その言葉で思い出すのは自分が昨晩見た夢であった。
誰もいない町。崩れた建物。何かの焦げる臭い。そして謎の男。なんて不気味な夢。今までそんな夢など見たことがなかった。
「夢という言葉で辞書を開いてみると、大きく三つの意味があることが分かります。一つ目は夢や幻。二つ目は将来叶えたい夢。そして三つ目は寝ている最中に見る夢です。三つの意味はそれぞれ別のものを指していますが、共通点があります。それは見ている者の願望が含まれる、という点です。寝ている時に見る夢について分析し、療法に役立てようとした人がいました……」
弥生は配られたプリントに目をやる。プリントの冒頭には、師桐先生がついさっき口頭で説明した内容が、分かりやすくまとめてあった。弥生はさらに読み進めていく。途中である一文が弥生の目に留まった。
「……夢が表しているのは深層心理である。その人の、本来は深く眠っている潜在的な意識や欲求が、夢という形で浮かび上がってくる……か」
もし昨日の夢を潜在的な願望だと解釈するなら。廃墟は破壊願望か何かの象徴なのだろうか。そして芒雁が現れたことも、何らかの願望を表しているのだろうか。
「これは弥生さんが、誰かさんにピンチを助けてもらうっていう、ヒロイックなシチュエーションに憧れてるということになりますなあ」
牡丹が顎に手をやりながら、フムフムと弥生の夢の分析を述べる。
「んで、そのお相手が芒雁と」
牡丹の発言に弥生はギョッとした。
「牡丹姉さん。なんで私の考えていることが分かるの?」
「まあ、弥生は単純だから」
「うぐ。うー」
牡丹はフフン、と鼻を鳴らした。弥生は即座に否定したかったが、考えていたことを牡丹に見事に言い当てられたのは事実である。弥生は悔しがることしかできなかった。
「弥生ちゃん。考えていることが声に出てる」
さつきが弥生にそっと耳打ちする。
「え、うそ。本当に?」
さつきはうんうんと頷いた。牡丹を見ると残念そうな顔をしていた。まるで「ネタバレするのはもう少し楽しんでからでもいいのにー」とでも言いたげだ。
「単純には違いないでしょ」
小憎い。じつに小憎らしい態度である。
「て言うか、牡丹姉さん。いい加減、芒雁君のネタを引っ張るの、やめてくれない?」
「見くびらないでもらいたいなぁ。弥生には私が、せっかく手に入れたオモチャをそう簡単に手放すような女に見えるの?」
「ちょっと二人とも、ふざけすぎなんじゃない?」
突然、ドスの効いた声が牡丹と弥生を注意した。ビックリした二人は、声がした方へゆっくりと向く。振り向かなくてもそこに誰がいるのかは分かっていた。だってすぐ隣なのだから。
声の聞こえた所にいるのはさつきだった。
「こちとら授業聞きにきとんじゃ。あんまりふざけが過ぎるようやったら、いてこますぞ」
二人は我に返った。ヒトは理解できないものに恐怖する。お人形のような可愛らしい女の子が、ヤクザばりの広島弁で恫喝するなど、誰が理解できるだろうか。
二人に残された選択肢はただ謝る。それ以外にはなかった。
「「すいませんでした」」
「分かればええんじゃ」
ちなみにさつきの広島弁も、牡丹と同様にエセである。それでもその破壊力たるや、本場にも引けを取らないのではないだろうか。
おふざけの後、三人は再び教育実習中の先生の、新米らしからぬ授業へ意識を傾けた。
「……でも、心の治療のために思いついた夢の分析なのに、女子高生にしたら単なる恋バナのネタの一つにしかならないなんて。このドイツのお医者さんもガッカリだろうね」
さつきはそう言うと、ペロッと舌を出して見せた。さっき注意した時の厳しさは、みじんも感じられない。
この三人の中で一番大人なのは、やっぱりさつきなんだろうなあ。弥生は改めてそう思うのだった。
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