第3話 八ツ橋さつき

 朝のホームルーム後の一時限目は特別授業で、弥生たちのクラスは視聴覚室に来ていた。

 授業中の席順は決められていなかったので、弥生たちはいつも通り一番後ろの席に座る。まだ授業前の、自由時間中だったため、まだ視聴覚室内の生徒の数はまばらだった。

「え、芒雁(すすかり)?」

 水無月牡丹が口にしたのは、問い詰められた三桜弥生が指差した男子の名前だ。牡丹は腕を組みながら朝と同じように首を傾げた。

「たしかに芒雁葉(すすかり よう)なの? なんか納得できない。ていうか意味わかんない」

「大丈夫。私も意味分からないから」

 結局この話をするのか。弥生は多少げんなりしながらも、同意するように頷いた。

「芒雁ねえ。何かぱっとしないなあ。例えば学園祭とかで取り立てられたことがあるわけでもないし、運動神経が特別いいわけでもないし。勉強はどうだったっけ。成績はクラスじゃ中の上くらいだったか」

「さすが牡丹姉さん。良く分かってる」

 弥生はそこまで芒雁のことを知らなかった。照れ隠しでもなんでもなく、事実である。

「いや、弥生。あんたが他人に興味なさすぎ」

 牡丹はため息をついた。もちろん本気で呆れているわけではない。

 弥生の、あまり他人に頓着しない、サッパリとした性格。それが弥生の欠点かもしれないが、魅力的なところでもあると牡丹は考えていたからだ。

「はあ。まあ、今ので分かる通り、弥生と親しいわけではない、と。いや、ひょっとしたらこのクラスになってから、一度も話したことがないんじゃない?」

「さあ。どうだろ」

 弥生はとぼけてみせる。けれども、おそらく牡丹姉さんの予想は当たっている。

「しかし、なんで芒雁なのよ。ここで、例えば我がクラスを代表するイケメン、長井君とかの夢を見るならまだ分かるものがあったのに」

 クラスメイトらしいが、長井君がどういう人か弥生は即座に思い浮かべることができなかった。この辺りが他人に無頓着だと言われる由縁なのだろう。

「何で芒雁くんなのか、私だってわかんないよ。むしろこっちが聞きたいくらいだよ」

「でも、ま。ウソじゃないみたいだね。ウソがつけないのが弥生だし」

 そもそもそんなウソをつく理由がない。

「それにいくら弥生でも、どうせならもっとマシなウソつくでしょ」

「……今、軽くバカにしたでしょ」

 牡丹はまたおくびれもせずに頷いた。

 むしろ頭が悪いのは牡丹の方じゃないか。いつもテスト前にノートを貸してあげている恩を忘れやがって。弥生は頬を膨らませた。

「んで、どうするの?」

「……何が?」

「告白」

 弥生は吹き出した。

「ちょ、……え? なんで。どうしてその結論になるの? 牡丹姉さんの思考回路が理解できない」

 今までの会話で告白なんてキーワードが出る流れがあっただろうか(いやない)。

「いやだって。好きなんでしょ。芒雁のこと。夢に見るくらいだし」

 何言ってるんだこの女。弥生はイヤイヤと首を振る。

「牡丹姉さん大丈夫? 頭の中にちゃんと脳みそ詰まってる? 代わりに綿菓子とか入っちゃってたりしないかな?」

 これが女子特有のスイーツ脳というやつなのか。いや違う。そんな言葉で、牡丹姉さんのぶっ飛んだ思考回路を片付けていいわけがない。

「思い立ったら何とやら。乙女は当たって砕けろってね」

「……ごめん。ちょっと何言ってるのか分からない」

「どうした弥生? 肉食系女子がそんなんでどうする?」

「いやいや、肉食系を名乗ったことなんかないし、だいたい芒雁君と話したことすらないし」

 牡丹姉さんの行きたい方向にどんどん話題が引っ張られる。重機のような力技だ。

「牡丹姉さん、なに一人で突っ走っちゃってるんすか。とりあえず落ち着きましょう?」

 さっきから首を横に振ってしかいない弥生であった。

「なるほど。分かりました」

「分かって頂けましたか」

 弥生はホッと胸を撫で下ろす。

「つまり弥生さんはまずお友達から始めたいと。……ってわけでお~い、芒雁く~ん」

 牡丹が教室の前の方にいた芒雁に向かって、大きく手を振りながら呼びかける。

「わ~っ! 牡丹、ちょっとタイム、タイム!」

 もうすぐ授業が始まるので、先ほどまではまばらだった教室内も、今はクラスメイトのほぼ全員が揃っていた。その視線がいっせいに牡丹と弥生に集まる。弥生が慌てて牡丹の頭にしがみついて押さえ付ける。

「ちょっと牡丹姉さん! あなたバカなの!? 思いついたら即行動て。猪突猛進。イノシシか。イノシシ女なのか」

「まったく。そんなんじゃいつまでたっても彼氏なんかできないぞ」

「くっ。アンタにだけは言われたくない……」

 悪びれる風もなく、牡丹はフンスと鼻を鳴らした。

「二人とも朝から元気そうだね」

 一人の女子が微笑ましそうに笑いながら、弥生達に近づいてくる。弥生と牡丹が大騒ぎしている様子をみてもまったく動じる気配がない。

「お、やっと来たかさつき。おはよう」

「おはよう、さつき」

「うん。おはよう」

 彼女は八ツ橋さつき(やつはし さつき)と言い、弥生と牡丹の友達だった。この三人で一緒にいることが多かった。

 さつきが弥生の隣にの席に座る。座ったさつきは弥生と比べ、一回りも二回りも小さかった。対して牡丹姉さんは弥生よりも一回りも二回りも大きいので、三人が弥生を中心にして並ぶとマトリョーシカ人形を並べたようなサイズ感になる。

 八ツ橋さつきを表す言葉は可愛らしい、この一言に尽きる。線も細く、座っている姿などまるでお人形さんのようだ。弥生としては同じ女子として、牡丹姉さんとは逆の意味で、やっぱり羨ましいところである。

「ちょっとさつき。面白い話があるの。弥生の話なんだけどさあ……」

 牡丹は弥生越しにさつきの方へズズイ、と身を乗り出した。

「牡丹姉さん。さつきにある事ない事話そうとしてるでしょ。ちょっともうやめてよ」

 弥生は牡丹の頭を押さえて、侵攻を食い止める。

「知ってるよ。牡丹姉さん、さっき手を振りながら大声出してたじゃない」

 さつきのしゃべり方はいつも通り、落ち着いた様子だ。牡丹のそれとはまったく正反対である。

「さつきも弥生に教えてやってよ。男の良さってやつをさ」

「牡丹姉さん。その表現の仕方は女の子としてちょっとどうかと」

 さつきが牡丹をたしなめる。その様子は慌てず騒がず。優雅そのものだ。ともすればお高くとまっているようにも見られかねないが、少なくとも弥生の知るところでは、さつきがそういう印象を持たれている様子はなかった。つまりこれが要領がいい、というやつなのだろう。

 要領の良い証拠、になるのかは分からないが、さつきには年上の彼氏がいた。さつきに彼氏がいることは、弥生も牡丹も知っている。先ほどの牡丹の発言もそれを前提としたものだった。

「んんー? さつきちゃんはそんな顔して何を想像したのかなー?」

「か、顔は関係ないでしょ。顔は!」

 さつきが顔を赤くして、牡丹に反論する。

(か、かわいい……)

 弥生の率直な感想であった。こういう反応を素でやっちゃうからずるいよなぁ、と二人の様子を観察して弥生が冷静に分析をする。

 さつきは童顔だった。有り体に言えばロリである。弥生と比べて見ても到底同い年には見えなかった。だが、内面は三人の内の誰よりもしっかりとしていた。

 自分の意見はしっかりと持っているのに、無理に我を通すようなことはしない。話を聞くのも上手で、一言で言えば包容力があった。

 そんな大人な内面と子供な外面のギャップもあいまってか、一部の男子からは絶大な人気があるようだ。

 性格は三人でバラバラだけど、それがちょうどパズルのピースのようにピタリとはまった。そんな気が合った二人に挟まれて、弥生はこれまたいつも通り、とても居心地が良いのだった。

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