第2話 三桜弥生と水無月牡丹
掛け布団を跳ね飛ばしながら、三桜弥生(みさくら やよい)は目を覚ました。
周りの気配を探るように、起き上がった姿勢のまま、弥生はジッとしていた。カーテンを閉めきった部屋は薄暗かったが、カーテンな隙間からは明かりが漏れており、既に朝を迎えていることが分かった。部屋は静かで、自分の乱れた呼吸と時計が時を刻む音以外は何も聞こえない。
無意識に額を拭った。そこで初めて寝汗をびっしょりとかいていることに気づいた。胸に手を当てると、心臓もばくばくと音を立てていた。
弥生は落ち着くために、二、三度大きく息を吸った。
「今のは……夢か」
弥生は独りごちた。弥生は夢の内容を覚えていることなど滅多になかった。ましてや夢でうなされるなど初めての経験だった。
弥生の場合、夢の内容など目覚めた直後は覚えているつもりでも、頭が覚醒するに連れて急激に薄れるものだった。きっと弥生に限らず、普通の人は皆そうであろう。
だが今日の夢は違った。
何より空気、というのだろうか。あの臨場感。夢にしてはやけに生々しかった。
なぜあんな夢を見たのだろうか。弥生はボーッと宙空を見続けながら、思考を巡らそうとした。単なる夢だとは、弥生にはどうしても思えなかったからだ。
「……」
そして至った結論は。
「……シャワー浴びなきゃ」
さっぱりしてから考える、というとても現実的なものだった。弥生は伸びをしながら一度あくびをすると、もそもそとベッドから這い出した。
ベットから出ながら、いつも通りの慣れた手つきで卓上の目覚まし時計のアラームをオフにする。ついでに時刻に目をやると、五時を少し回ったとこだった。いくら高校生でも体育会系の部活動をしていて、さらに朝練でもなければ、起きることなんてまずない時間だった。
こんな時は「早起きは三文の徳」あらため、得をしたと思えばいいのか。それとも睡眠時間を損したと思えばいいのか。ボンヤリした頭ではそんな不毛な、意味のないことをつい考えてしまう。悪いクセだ、と弥生は思った。
「ふぁ~」
学校の自分の机に辿り着くなり、弥生は大きなあくびをした。
「あれ、弥生。またそんな大きなあくびして」
後ろの席の水無月牡丹(みなづき ぼたん)が目ざとく指摘する。
弥生と牡丹とは友達である。今年のクラス替えで初めて出会い、すぐに友達になった。友達になってからの年月はまだ浅く一ヶ月と少しだが、既に牡丹とは親友と言っても過言ではない程意気投合していた。
牡丹は席を立つと弥生の前方に回り込んだ。面と向かって話したかったらしい。弥生の目の前には牡丹の太ももが並んだ。座っている弥生の目線の高さと同じ長さの足、ということだ。
「相変わらず足は長いわ、背は高いわ胸はでかいわで。相変わらず、ある意味暴力みたいな身体してるのね」
牡丹の太ももを割と力をこめて鷲掴みする。
「ちょ、イタタタ。何よ急に」
もちろん本気で嫉妬しているわけではない。挨拶がわりの軽いジョークだ。それも牡丹のスタイルだから成立するのだ。牡丹は同性から見ても、色気があった。
牡丹は髪は校則に引っかからない程度に茶色に染め、これまた校則に引っかからない程度にゆるいウェーブをかけていた。まさに年上のお姉さんという言葉がよく似合う。
そんなイメージと、あとほんのちょっぴりの皮肉の意味も込めて、弥生は彼女のことを牡丹姉さんと呼んでいた。
「何か不機嫌そうな感じね。 ひょっとして寝不足? なんかあったの?」
「ん~、ちょっとね」
「恋の悩みで夜も眠れないってか。よし、牡丹姉さんが相談に乗ってあげよう」
机に寝そべる弥生の前に牡丹が仁王立ちする。牡丹は背が高いので、ちょっとした威圧感があった。牡丹の立ち姿を見ながら、弥生は夢の中で感じた威圧感を思い出していた。
牡丹姉さんから感じているものと、夢の中で出会った人物から感じたものを比べてみる。
(……違うな。)
やはりあの夢は相当異質だということが分かる。
そこまで考えて、弥生は牡丹の発言の違和感に気づいた。
「ん? 今牡丹姉さん、恋の悩みって言った?」
「言った」
牡丹はおくびれもせずに頷く。
「ちょっと、なんで寝不足だと恋してることになるのよ」
「ドキドキして夜も眠れないとか?」
「何それ。ちょっと変な夢見ちゃって、いつもより早く目が覚めただけだってば」
「ほほう、夢とな。どんなどんな?」
牡丹は目をキラキラ輝かせた。そう言えば聞こえはいいが、理由はずいぶんと下世話なものだ。それを踏まえれば、飢えたハイエナのような目とも言える。
「牡丹姉さん。多分、というか絶対そのテの話題に飢えてるだけでしょ」
弥生はうんざりした。弥生も女の端くれなので、恋愛に関する話が嫌いなわけではない。むしろ好きな部類だ。けれども朝っぱらから、それも自分の話をするのは油っこいというか、少し胃がもたれる気持ちだった。対して牡丹はそんなことはまったく思っていないようだ。弥生とは頭の作りからして違うらしい。牡丹が恋バナ大好きスイーツモードになってしまうことは、まれに良くあった。
「そうだよ。だからどうした。ほら早く話しちゃいな YO☆」
弥生とは対照的に牡丹のテンションは高い。釈然としないながらも未だにはっきりと覚えている夢のことを、弥生は牡丹に話すことにした。
「私がこの学校に向かって歩いている夢なんだけど、街の何もかもがボロボロで。私はそれが通学路だって初めは分かってなかったんだ」
「ふんふん。それで?」
「しばらく歩いてると学校に着くんだけど、そこで何者かに襲われちゃうの」
「何者って、何よ」
期待していた話と違ったからか、はっきりと分かるほどに牡丹のテンションは落ちていた。
「だから、分からないんだって。逆光っていうのか、光の加減でちょうど顔が見えなかったのよ」
あぁ、でもスラックスにYシャツを着ていて。サラリーマンみたいな格好で。それに背も結構高かった方かも。牡丹に説明しながら、弥生はぼんやりと思った。
「で、もうダメ。何かされる……って時に、空から誰かが颯爽と飛びおりて助けにきてくれて助かった……って話」
「なんやそら。そないなハナシ、恋のアドバイスはおろか、ボケもできひんやないか」
ズビシ。牡丹のチョップが弥生の頭にめり込む。
「ぎゃっ! いったー」
弥生は牡丹にチョップされた頭をなでる。ボケは無理でも、どうやらツッコミはできたらしい。
ちなみに牡丹は関西人のような口調でしゃべっていたが、ネイティブではない。エセである。
その場のノリで生きている証拠だ。
「オチもないし、まるでおもろない。じゃあその助けに来た人も誰だか分かんないわけ?」
「……いや、それは分かるけど」
弥生がボソッと呟く。そこに気がつくとは。さすが牡丹姉さん。ハイエナの嗅覚だ。
「ほう、誰やったんや?」
牡丹の問いに弥生はぷい、と顔を横に向ける。弥生のリアクションを見て、牡丹がニヤぁと笑みを浮かべる。どうやら好物を見つけたようだった。
「お、なに。言えないの? 黙秘権の行使ですか、弥生さん? あなたにそんな、人間的な権利が与えられていると思って?」
「い、いやちょっと待ってよ。……って私は家畜かなにかか!」
必死の反論も牡丹姉さんの耳にはまったく入っていなかった。
「ふんふん。弥生さんはよほど私の尋問を受けてみたいと見える」
弥生は身の危険を感じ、とっさに椅子から立ち上がり、牡丹との距離をとる。またもや野生の勘、発動である。
この展開はマズイ。そう、何かその、乙女的なものとかが。牡丹の手が触手のようにワキワキと動いていた。
「何も隠し事なんてしてないって!」
一歩。弥生が距離をとると、牡丹がその分だけ詰めた。
「そう、その人も本当は顔が見えなかったの!」
また一歩。取り繕うも、時すでに遅し。こんな見え見えのウソでは牡丹を止めることはできなかった。
「いや~、残念だなあ。ぜひ牡丹さんに面白い話を提供してあげたかったのに!」
さらに一歩。弥生の背中が教室の壁に当たる。
「……牡丹さん?」
もう逃げ場はなかった。
「ッッッッッ!!!!!!!!!!!!」
牡丹な魔の手が弥生を襲う、もとい愛でた。弥生の悲鳴とも、嬌声ともとれる声が教室にこだました。
一分後。
「はあっ、はあ。どう弥生、話す気になった?」
「……アン、ヒッ……」
弥生はまだ息が荒く、ときおり痙攣していた。かなり騒がしくしていたので、その時教室にいたクラスメイト達は弥生達のやり取りの一部始終を見ていた。悶える弥生の様子を見て、ガッツポーズしたり、ありがたく手を合わせたりした男子生徒達がいたとかいなかったとか。
「その助けに来てくれた王子様は、結局誰だったの?」
弥生はしばらくまともに動けない状態だったが、何とかクラスにいる一人の男子生徒を指差した。
「え、あいつ……?」
弥生が指差した人物を見て、牡丹は首を傾げた。
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