第5話 First impression

「芒雁君、ちょっといいかな」

 師桐先生の授業後、水無月牡丹は芒雁葉に話しかけていた。牡丹の右手にはしっかりと三桜弥生の手が握られている。その弥生はすっかり諦め顔だ。さつきは友人の暴走を、完全に他人事で遠くから見て楽しんでいた。

「はは、水無月さんは相変わらずだなぁ」

 芒雁は牡丹と弥生の様子を見て、微笑ましそうに笑った。その笑いには、弥生に対する憐れみとか同情の意味も結構含まれている。

それが弥生にすら分かるだけに余計いたたまれなかった。

「いや、実はさ。やよ……三桜さんが話したいことがあるみたいで」

 そこまで言うと牡丹は弥生をグイ、と引っ張ると自分と芒雁の間に置いた。まるでスカートについたひっつき虫を取るような、あるいは人形を舞台に設置したような、そんな動作だった。もはや物扱いだった。

「じゃあ、後は若い人達同士で……」

 言い終わるかしないか、牡丹は音速で遠ざかっていった。その横ではさつきがキャーキャー言って喜んでいた。

「何なのよアレ。二人とも、絶対自分が楽しみたいだけなんだわ」

 牡丹が遠ざかりながら浮かべていた笑み。ごほうびをもらった時の猫みたいな顔だった。いわんや無邪気。

後できっと根掘り葉掘り聞かれることになるのだろう。

「あの。三桜、さん?」

 芒雁はおずおずと弥生の様子をうかがう。弥生は自分のおかれた状況を思い出し、はっと芒雁の方を見た。

「はは……」

 芒雁の笑いは、さっきと変わらず微笑ましそうだった。微笑ましそうな顔をしながら、全力で引いていた。弥生の顔がさっと青ざめる。どうにかしなければ。弥生の頭は今日一番の回転を見せていた。

「え、と。なんかごめんなさい」

 とりあえず弥生は頭を下げることにした。

「ん、何が?」

「いや、騒がしくしちゃったこととか、急に話しかけちゃったこととか、友達がおせっかいすぎることとか……ごにょごにょ」

 弥生は髪をいじりながら言葉を探した。その姿を見て、芒雁は苦笑した。せわしなく動く手を見るだけで、弥生がどれだけ焦っているか手に取るように分かったからだ。

「あー、よく分からないけど気にすんなよ。少なくても俺は見てて楽しかったし。お前らの漫才」

 漫才って。それを聞いて思わず弥生はコケる。

「それよりも。何か俺と話したいことがあるんだろ? さっき水無月さんもそう言ってたし」

「あー、うん。あったような、なかったような……」

 告白する。それは却下だ。できるわけがない。他に何か、と考えて弥生は授業の夢のことを思い出す。当たり障りがなく、それでいて話したいことに当たらずとも遠からずな話題だ。さすがにいきなり自分の夢の話をする気にはなれなかったので、そういった意味でも話題としてちょうど良い。

「そ、そういえば。師桐先生の授業。中々変わってたね。ホラ、夢は潜在意識の表れだとかなんとか。芒雁君はどう思った?」

 芒雁は怪訝な顔をする。

「それが俺と話したかったこと?」

 (やっぱり違和感だらけだったか!)

「ああ! やっぱなんでもない。忘れて」

 弥生は質問を取り消して逃げ出そうとしたが、芒雁は慌てて制止した。

「いやいや、別に構わないって。ただとうして、どう思った、なんて曖昧な言い方をしたのかなと。そう思っただけ」

 そう言って芒雁はまた笑った。

「茶化さないで」

 と弥生が言おうとしたが、芒雁にそんな気はないようで、まじめに答えてくれた。

「夢は無意識の表出だというのは正しいと思うよ。たしか実際の心療内科での心理分析にも使われることがあるはずだし」

芒雁の言う通りならば、今朝のあの夢は。

「やっぱり私の願望……」

 なのだろうか。でも、それじゃあ。

「牡丹姉さんの分析はズバリその通りで、その相手は……」

 弥生は自分の想像に耐えきれず、頭を抱える。無意識に好いているかもしれない相手と、そうと分かった日にいきなり初めて会話していて。しかもそれが会話の相手の夢を見た、なんて恥ずかしくて死んでしまいそうな事実スレスレの話題で。こんなの頭を抱えるしかないじゃないか。

「ん、三桜。どうかした?」

 芒雁が心配そうに顔を覗き込んできたので、弥生は我に返った。

「うわっひゃあ! なんでもない、なんでもない」

 びっくりして奇声をあげてしまう。勢いで距離を置いた。何か弁解しようと芒雁の顔を見ようとしたが、目が合わせられず、ぷいっとそっぽを向くしかなかった。

顔が火照っているのを感じ、自分でも赤面しているのが分かった。

「まあ、でもそれは解釈の一つであって。他に言われるのが、その日見たこと、学んだこと……、短期記憶って言うんだけど。これを大脳が処理している際に見る映像が夢だっていう説もあるな。言ってみりゃ、データの整理中に、そのデータをリピート再生してるってとこだな」

 弥生はまだ赤面中だったので、仕方なくそっぽを向いたまま相槌を打った。

「そ、それは心当たりがあるかも。ショッキングなものを見たときに『夢に出てくる』ってよく言うし。私もテスト前に化学の勉強してて、夢でボイルとシャルルが出てきてうなされたことあるもの」

 弥生はうなされたと言っているが、そこだけ聞いたら、なんだか楽しそうな夢だ、と芒雁は思った。

「そうやって整理されたデータは長期記憶となって、なかなか忘れないらしい。だからテストで良い点とりたかったら、三桜さんみたいに、うなされるくらい勉強した方がいいのかもしれないな。三桜さんのこの前の化学のテスト、結構良い点とったんじゃ?」

「いや、ははは……」

 弥生は苦笑いを返すしかなかった。理系教科はさっぱりな弥生である。

「……まあ、夢は短期記憶の出来事そのものだったり、深層心理をそのまま映し出すものではないけれどね。脳がその情報を処理する段階で、イメージの抽象化や置き換えが起きるそうだから。三桜さんが変な夢を見たとしても、あんまり気にしなくていいと思うけど」

「ああ、うん」

 気にする必要はないと芒雁は言っているが、弥生には無視できない問題だ。というか赤面が治まらず、芒雁の方を見れなかった。

 微妙な沈黙が流れる。弥生はそろそろ限界だった。

「あ、私もう行かないと! じゃあね、芒雁君」

 一方的に会話を終わらすと、弥生はダッシュでその場を後にした。走りながら弥生は思った。

「なんだこれ。なんだこれ。会話すらしたことなかった相手とこんな話をするなんて。どんな罰ゲームだ!」

 このうっぷんをどうしてやろうか。とりあえず牡丹に文句を言って晴らそうと思った。弥生はダッシュを止め、トボトボを歩き始める。

「ああ、でも。なんでこんなに気になるのかしら。たかが夢なのに」

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