まごめさかのぼり

俵伊 航平

さかのぼる話

 この街は坂が多過ぎる。

 散歩を始めて20分、すでに5回以上も坂の上下を繰り返している。なんという位置エネルギーの無駄づかいであろうか。そんなことを連れの柴犬に話しかけたが、当然返事はない。彼はただいま駅前の縄張り争いに必死である。


 犬が電柱のマーキングに満足するまでの間、改札口をぼんやりと眺めて待つ。しかしまあ、駅の出口からはびっくりするほど誰も出てこない。

 だが、それも仕方のないことか。ここ都営浅草線・西馬込にしまごめ駅は、乗り換えや連結する路線が一切ない最果さいはての終点駅である。複雑に絡み合う蜘蛛の巣のような路線図の中で、ぽつねんとたたずむその姿は、さながら本流からはみ出してしまった盲腸のようだ。


 朝の通勤ラッシュにはめっぽう強く、どんなに混む時間帯でも始発で優雅に座席を確保できる点はありがたい。しかし、利用客が少なめなせいか、駅前には商店街がない。チェーンの牛丼屋もない。本屋も服屋もない。ただしなぜかコンビニは3つもある。

 そんな、都内なのに少し辺境感が漂う馬込だが、実は江戸城の築城候補地だったという逸話が残っている。こんな話だ。



 馬込は昔から起伏が激しく谷がたくさんある土地柄で知られていたようで『馬込九十九つくもだに』という少し大げさな別名を持っていたそうな。

 そこへやって来たのが築城の達人、太田道灌おおたどうかん。彼は江戸城を造るに際して、適した場所を探して関東各地を巡っていた。道灌は馬込の山に登ると、攻められにくく、守りやすい凸凹した地形をたいそう気に入った。そこでこの地を候補地にしようと、近くにいた村人に地名を尋ねたところ

「九十九谷と申します」

 という答えが返ってきた。これに道灌は不満顔。どうやら九十九くじゅうく苦重苦くじゅうくに繋がるのが気に食わないらしい。

「百に一つ足りぬ」

 と言って結局、験担げんかつぎのために築城候補地から外してしまったそうな。



 なんとも残念な話だ。もっと縁起の良い数で答えていたら馬込ははなのお江戸の本拠地として栄えて、今は皇居のあるロイヤルおしゃれな街になっていたかもしれない。皇居ランナーはやたらとアップダウンが激しい周回コースを走ることになり、日本人の体力アップに一役買っていたのではなかろうか。きっと駅前には牛丼屋や本屋はもちろん、コーヒー屋や百貨店なども出来ていただろう。


 嗚呼ああ、もしも私が過去にタイムスリップできたのならば地名を答えた村人を足止めして、代わりに私が

「ここは百谷です!」

 と答えてみたいものだ。もっと縁起良く「七七七谷」ぐらい盛ってしまうのも良いかもしれない。



 そんなくだらないことを考えているうちにぼちぼち犬が歩き出した。どうやら電柱チェックに満足したらしい。彼は駅の裏手を進み、尻をふりふり、また長い坂を上りだした。リードを犬に引っ張られ、私はその後ろを小走りで追いかける。


 この長い坂のふもとと頂上には古ぼけた杭の標識が置いてあり、坂のざっくりした解説文が書かれている。内容は以下のようなものだ。


『この坂道は、馬込の八幡はちまん神社付近の南坂を通り、旧池上村根方ねかた方面に向かう古い道である。』


 実にあっさりとした説明である。とりあえず、古くからある道なんだなあということだけは分かる。しかし古いと言ってもどれくらい昔からあるのだろうか。戦国時代にもあったのならば、もしかすると大田道灌もこの道を上ったのかもしれない。今と違ってコンクリート塗装されていないだろうから、この傾斜を上るのは結構大変だったんじゃなかろうか。坂を上りながら、そんな風に昔との繋がりを想像してみる。


 昔といえば、戦国時代ほど古い話ではないが、大正から昭和にかけて馬込にはやたらと作家が集まっていた時期があったらしい。尾崎士郎や宇野千代、北原白秋、川端康成など総勢40人ほどが住んでいたそうで、馬込文士村と呼ばれていた。

 その頃の面影を残す物は今となってはあまりないが、ご近所には三島由紀夫の住んでいた家がいまだにあるらしい。あとは、室生犀星むろうさいせいが作詞した校歌を小学校で歌っていた記憶があるぐらいか。


 正直な話こんな坂だらけで住みづらそうな土地に、なぜ作家が集まったのであろうか。その理由の一端として、馬込に住んでいた詩人のひとり、萩原朔太郎はぎわらさくたろうが『坂』というタイトルの散文詩で以下のように書いている。


『坂のある風景は、ふしぎに浪漫的で、の感じをあたへるものだ。坂を見てゐると、その風景の向うに、別の遥かな地平があるやうに思はれる。特に遠方から、透視的に見る場合がさうである。(中略) 我我は、坂を登ることによつて、それの眼界にひらけるであらう所の、別の地平線に属する世界を想像し、未知のものへの浪漫的なを呼び起す。』


 この詩の続きでは、街の郊外で坂に上った際の出来事がつづられるが、これは馬込の坂での出来事らしい。どうやら朔太郎さんは坂にロマンとノスタルジアを感じていたようだ。他の作家がどう思っていたかは定かでないが、確かに坂を上り切った先に見える景色を期待して、わくわくしてしまう気持ちは私もちょっと分かる気がする。


 この詩を読んで気になったのはノスタルジアという単語だ。この言葉には『遠く離れた時間や場所を想像して懐かしむ』というニュアンスがあると思う。朔太郎さんの詩の中では懐かしむという意味合いは薄く感じるが、実際に坂を歩いていると私は『懐古・追憶』の気持ちを覚えることがある。


 私がこの街に住んでかれこれ20年以上になるが、その間にも馬込の景色は大きく変わった。補助輪を付けて自転車に乗る練習をした廃工場は、今ではモダンな中高一貫校に建て替わった。犬が勝手に糞をして農家のおじさんに怒られたニンジン畑には今では高層マンションが植えられている。雨の日に庭でカエルが歌うことも無くなり、晴れの日に餌を運ぶアリの行列も久しく見ていない。時代は流れ、すべては過去に消えていく。

 それでも、子供の頃にひいひい言いながら上った坂は、今も同じ急勾配で待ち構えていて、私をぜえぜえ言わせる。きっと100年前の朔太郎さんも同じように息を切らしていただろうし、500年前の太田道灌も……いや、道灌さんは体力がありそうなので余裕で上りきったかもしれない。

 坂道は建物と比べてそうそう簡単には無くならず長生きだ。だからこそ坂を上る時、同じ坂を上って来たであろう人々を身近に感じて、過去に思いをせやすいのかもしれない。


「坂を上ると、気持ちも過去にさかのぼる」

 そんなくだらない言葉遊びにほくそみながら、犬をお供に坂を上っていくと、やっとこさ頂上に着いた。


 ぐるりと360度、一面に空が広がる。ここは馬込の中でも特に標高が高い。


 この坂の頂上には古びた鉄橋が架かっており、橋から下をのぞき込むと谷底を東海道本線が走っている。この線路は地平線の彼方までまっすぐに続いているため、線路を視界の中心に置いて遠くを眺めると高層ビルに邪魔されることなく広い空を一望可能だ。


 ここからは快晴日に富士山の姿を見ることができる。ちなみに富士山から視線を左にずらすと、お茶碗をひっくり返したような形の屋根の給水塔がふたつ並んで建っている。これが仰向あおむけに寝た女性の乳房のように見えるため、小学生の頃の私は富士山より、この巨人の巨乳を見てテンションを上げていた。


 話が脱線してしまったが、私はこの坂から見える夕方の富士山が好きだ。さらに言えれば夜が近い黄昏時たそがれどきが良い。天頂には夜の藍色が広がり、地平線に向かって青から水色、黄色、燃えるような茜色へとグラデーションしていく空を背景に、富士山の影が大きく立ち上がるのが美しい。

 このタイミングになると、どこからともなく坂に人が集まってきて、皆、遠い目をして富士山を眺める。私もつい足を止めて富士山に見入みいってしまうが、犬はやれやれといった感じで渋々待っていてくれる。


 きっと昔の人たちもこうやって坂の上に集まって富士山を眺めていたのだろうと思う。昔は今よりも空気が澄んでいて、高い建物も無かっただろうから、もっと綺麗な景色を拝めていたのかもと考えると少しうらやましい。


 坂は長生きだが、富士山にいたってはさらに上をいく不死の山だ。かぐや姫の渡した不老不死の霊薬は富士山で燃やされ、今も噴火口から煙が立ち昇っているという。現実的な話としても、富士山はまだ若い活火山だから、あと50万年は活動できるらしい。


 坂や富士山と比べると人の命はとても短い。萩原朔太郎は肺炎をこじらせ50代で死んでしまったし、太田道灌は風呂上がりの丸腰すっぽんぽんタイムに暗殺された。

 しかし、彼らの生み出した作品はいまもまだ生きているように感じる。私は朔太郎さんの詩を読み、疲れるだけと思っていた坂道が少し好きになった。道灌さんの建てた江戸城は皇居となり今も皇族の皆様が暮らしている。お堀では鳥が泳ぎ、周囲の緑地では今日もたくさんの人がジョギングに励んでいるだろう。


 これらのような偉大な業績とは比較するのもおこがましいが、インターネットへと放流したこの文章も、坂のように長い年月を生きてくれるのだろうか。


 もしも21世紀から遠い未来で馬込に住む人が、電子の海底からこの文章をサルベージして読んでくれたのならば実に愉快だ。給水塔や東海道線はもうその時代には残っていないかもしれない。それでも坂の頂上から眺望する富士山は、きっと私の眺めた景色と同じ美しいものだと想像しているが、どうだろうか。


 


 ふわぁと、気の抜ける声で犬が大あくびをした。夕暮れの富士山を眺めていたら、いつの間にか結構な時間が経っており、いい加減飽きてしまったようだ。待っていてくれてありがとうと、軽くおでこをなでてから家路につく。

 黄昏時の虹色の空は次第に明度を下げていき、富士の影も闇の中に溶けてゆく。かわりに東の空に上った月が今日もまた、馬込の坂を照らし始めた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

まごめさかのぼり 俵伊 航平 @tawarai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ