想いの雫は頬を濡らして

瀧本一哉

君と。

 穏やかな風が木々を揺らし、鳥のさえずりとの合唱を生み出す。雲一つない晴天の下で僕たちは二人並んでベンチに座っていた。

「ねぇリリ、付き合ってどれくらい経ったっけ。」

 隣にいる愛する人に、そんなことを聞いてみる。

「3年4か月。こういうこと覚えるの、レイは本当に苦手だよね。」

 彼女はそうクスクスと笑い、その桜色の長い髪が風の中に舞う。

「3年4か月・・・か。」

 その年月を嚙み締めるように呟く。そうだ、もうすぐ僕がここにきて4年になるんだっけ。

「最初に会ったときは、変な人だと思ったよ。酒場でセクハラしてくる怖そうな男の人に掴みかかって、ボコボコにされてるんだもん。魔法使いなのに杖を出すそぶりもなかったし。」

 リリが、僕と初めて会った時のことを懐かしんで話す。そう、あの時は僕も酔っていて変な正義感から無精髭を生やした男の手首を掴んだんだっけ。

「止めてくれた時はかっこいいと思ったのに、一方的に殴られ続けてたからがっかりしちゃったよ。」

 リリは心底可笑しそうに笑う。

「まぁ、人間相手には魔法を使わないのがポリシーだしね。」

 澄まして答える。

「まだひよっこだったくせに。衛兵さんが来るのが少し遅かったら死んでたんじゃない?」

「多分ね。」

 彼女の的確な指摘に僕は苦笑いする。

 僕にとって酒場で接客をしていたリリは、まるで宝石のように見えた。三つ葉があしらわれたヘアピンで留められたきれいな長い髪と曲線豊かなボディライン。そして輝くような笑顔と心地の良い声。まさに一目惚れだった。

 そんな彼女が酒癖の悪い客に絡まれていたら、まぁ、お酒の力も借りて変な勇気が出たんだな。

「まぁ、正直最初は全く興味なかったんだけどね。でも、いつの間にかレイはうちの店の常連さんになって、いろんなことを話すうちに私も、いつの間にか惹かれてた。」

 そう言い終わるとリリは恥ずかしそうに視線を逸らす。

「初めての恋人がリリでよかったよ。」

「・・・私も。」

 どちらともなく手を繋ぎ合う。

 僕たちは今、幸せだ。

 でもこのままじゃいけない。

 言わなきゃ。


 僕のそんな心を読み取ったのか、リリが顔を覗き込んでくる。

「レイ?」

 意を決してゆっくりと言葉を紡ぐ。

「僕たち、このままじゃいけないと思うんだ。」

「・・・どういう意味?」

 その声は震えていた。僕は冷静を装う。

「恋人として一緒にいるのはもう限界なんだ。」

 彼女の瞳が潤む。彼女が何かを言う前に、僕は手を解く。

「だから」

 ローブのポケットから、“その意味”がいっぱいに詰まった小さな箱を取り出し、彼女の前に膝をつく。そして、思いを打ち明ける。

「僕と、夫婦として、一緒にいてほしい。」

 リリの頬を一筋の涙が零れ落ちる。それはうれし涙

 ではないことを僕は知っている。僕も泣いてしまう。

「嬉しいの、嬉しいけど、受け取れないの。」

 わかってる。そんなことは僕が一番わかってる。だって

「だって。」

 だって君は、

「だって私は、プログラムから生み出された、NPCにすぎないもの・・・!」



 ここは、ヴァーチャル世界「ウィータ」。4年前に開かれたこの世界は現実と切り離された、いわば「別の人生」を歩むことのできる場所だ。この世界にログインすると、容姿や所持金、職業などがすべてランダムに決まる。RPG風な設定で「モンスター」が存在するこの世界には職業として戦士などがいるため、運よく僕のように魔法使いになれる場合もあるが、当然現実にあるような職業になる場合も多い。

 そしてこの世界には僕ら人間だけでなく、プログラムから僕らのログインとまったく同じようにランダムな組み合わせから生み出された「NPC」が存在する。この世界の中で「NPC」は「僕ら」と何ら変わりない住民の一人であり、僕らはともに働き、暮らし、時には恋をする。

 しかし、「人間」と「NPC」の恋愛は認められても、結婚は認められない。この世界で認められるのは「人間」と「人間」どうし、または「NPC」どうしの結婚のみ。そしてそれなら、あくまでこの世界の中だけだが、子供も生まれる。

「人間」と「NPC」が結婚すること、生涯のパートナーとなることが許されない理由はただ一つ。「人間」はあくまで現実世界に生存する“生物”であり、「NPC」はプログラムによる“非生物”に過ぎないからだ。


 でも、

「だから、なんだっていうんだ。」

「え?」

 涙を流して震えるリリをゆっくりと抱きしめる。

「現実世界だろうが、仮想世界だろうが、人間だろうが、NPCだろうが変わりない。僕はリリを愛してる。ずっと一緒にいたいんだ。」

 僕の声も震えていた。こうやってリリを抱きしめている。間違いなくリリはここにいる。

「レイ。聞いて。」

 リリの声はまっすぐ、しゃんとしていた。

「レイには、帰るべき場所があるんじゃないの?・・・私だってレイとずっと一緒にいたいよ。でも、レイは人間なの。現実ですべきことがきっとあるはずだよ。」

 そう言いながら腰に回された腕には力がこもっていく。

「わからないよ。自分が現実でどんな人間だったのかなんて。幸せな今を手放すのは怖いんだ。」

 そう、僕ら人間は現実世界の記憶を持たない。この世界へのログインは一度きりで、死ぬかログアウトするか、人間と結婚をしないまま4年経過すれば現実世界に戻り、二度とここには戻れない。人間の居場所は、あくまで現実世界だからだ。そうでなくとも「ウィータ」で人間どうしが結婚すると、その人たちは現実世界に戻った時に、この世界でのことを忘れてしまうように作られている。あくまで、仮想世界はかりそめの存在でしかないのだ。

「レイ。不安なのはよくわかる。でもね、あなたはここにずっといちゃいけないの。元の世界があるんだから。」

 リリがなだめるように僕に言い、二人の体が離れる。リリは小箱を受け取り、中のリングを僕に渡す。僕はリリの左手を取り、薬指にはめる。細かな装飾が施されたそれはリリの華奢な指によく似合う。

「いつか、この日が来るってわかってた。私も、我慢できなかったもの。」

 僕らは今、一番幸せだ。

「だから、私にあんな魔法を始めに教えたんでしょ?」

 悪戯っぽく、でも寂しそうに笑う彼女に僕はただ頷き、魔法使いの命ともいえる杖を差し出す。細いながらも何かを感じさせるその杖を愛おしそうに眺める彼女。最後に名前を呼ぼう。

「リリ。」

 顔を上げた彼女の唇に僕を唇をそっと重ね、離す。僕も、彼女も、泣いていた。

「大好きだ。」

「私もよ。」

 ずっと一緒にいることが叶わないのなら。

 さようなら。愛した人よ。この世界よ。

「「ERUPTIO爆ぜよ」」















 ・・・見慣れた天井で目を覚ます。あぁ、朝か。なんだか随分と長く寝ていたような気がする。

 机の上のスマホが鳴り響く。朝のアラームだ。気だるいながらも身を起こし、それを止めに行く。スマホの画面には新着メールの文字。ロックを解除してメールボックスを開く

「件名:ご利用ありがとうございました。」

 差出人は・・・ライフ?心当たりがない。

 ワンクリック詐欺の類だろうと開封せずにスマホをポケットにしまう。

 その時、あることに気付く。独り暮らしで、彼女もいない僕の部屋にあるはずのないもの。

「ヘアピン?」

 机の上には、三つ葉があしらわれたヘアピンが置かれていた。

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想いの雫は頬を濡らして 瀧本一哉 @kazuya-t

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