ロボットのメソッド

深夜太陽男【シンヤラーメン】

第1話

     ○


 ロボットと舞台で共演してみないかという話がきたときは大して驚きはなかった。むしろ交通事故に遭遇し瀕死になる悪夢を見た後にきた電話だったので安堵さえあった。

 機械は人間の手に余る程進化した時代だ。作業用の精巧なマニュピュレーターを搭載したロボットは工場になくてはならないだろうし、病原菌を扱う医療実験や地雷撤去など人間のリスクを回避するための開発も進んでいる。ハードはもちろんソフトウェアも精密さを増していき今では人工知能と簡単な会話ごっこをしてコミュニケーションもできる。

 芸能の世界でも例外はなく、一昔前にロボット演劇やアンドロイド演劇と呼ばれるものも登場した。今回もそういうものの発展版だと思っていたが少し様子が違うみたいだ。

「操作者もいないし単純なプログラムの応答じゃない、完全自立のロボットだ」

 よく知る友人は電話の向こうでやや興奮気味に喋っていた。私はひとまず話を聞いてみると電話を切った。


     ○


 翌日、彼の研究室にはよく遊びに来ていたが仕事として出向くのはずいぶんと久しぶりに感じた。室内は相変わらずの散らかりぶりで研究者や学生たちの忙殺ぶりを物語っていた。その片隅にかろうじてソファーと小ぶりなテーブルを置くだけのスペースが確保されており腰掛けるように促された。

「うまい話になったんだよ!」

 彼はテーブルの研究書類や用途不明の機械部品を雑にまとめて自分のデスクに移した。代わりに差し出されたコーヒーカップはちゃんと洗われたものなのか不安を感じさせる色味だ。

「なんだかいつもと違う感じだな」

「ロボットを利用した金儲け企画じゃない、科学と芸術を真に追求できるチャンスだ」

 彼とはかつて大学の演劇サークルで一緒に活動していた。私は細々とした役者稼業を続けており、彼は大学院へと進みそのままロボット工学者として落ち着いた。接点はもうないだろうと思われたが、十数年ぶりに彼の方から連絡があったのだ。どうやったらロボットが人間味を増すか、操作や監修を手伝わないかという依頼だった。舞台や映像の仕事の隙を見つけては研究室に出入りし彼との活動を再開させることになった。

「うちで昔から完全なる『人間そっくり』を研究しているのは知ってるだろ?」

「ああ、もうけっこう前からになるんだろう」

「そう、かなりの試作を重ねていよいよ人目に披露しても恥ずかしくないほど、いやそれ以上のものが出来上がりそうなんだ。しかし発表するいい機会がなくてな。そこをとある大手のプロデューサーが人脈をつないでくれてだ。公立芸術劇場の改装記念事業に人とロボットの演劇公演企画を立ち上げてくれた。新しい可能性がうんぬんかんぬんという名目だそうだ。いつもの仲良し企業さんと文化庁がバックアップだ。さらにスポンサーをつけてくれるとも。金や政治の話で制限はあるが研究に支障はない」

「規模の大きい話だな。しかし今までもロボットと共演なんてあった話じゃないか。何が違うんだ?」

「大きな声じゃ言えんがな、大御所先生には悪いけどな、センサー反応するロボットや裏に人間の操作者のいる精巧なアンドロイドを使う演劇なんてそこまで大成功だと俺は思えなかった。確かに客からは最初不気味だと思えたロボットが徐々に人間じみて親しみを覚えたという意見は多かった。だけどそれは大昔からの人形劇と変わらないじゃないか。写真や映像、さらに言えば漫画やアニメーションだってそうだ。そこに本物の人間はいない、観る人間の脳が想像力で魂を誤認するだけだってお前もよく言ってるだろ」

「面白い作品だったが冷静に考えればそうなのかもな。演出の力は大きい」

「今回は違う。ちゃんと自分で考えて自分で演技するロボットだ。一人の役者を一から作り上げるんだ」

「演技するロボットってのは前にも作らなかったか?」

「アンダースタディロボットか。あれは俳優の外見と演技を完全そのままにコピーしただけの代物でアドリブやライブに対応できない。まさに大物俳優様に何かあったときのための保険としてしか使えないよ」

「しかしその手のロボットレンタル業はそこそこ成功したんだろ」

「未だに反発は大きいが。台詞や動きに関しては人間よりも確実に正確な再現率だ。エキストラで使うところは多いよ。それでもセッティングには時間と苦労もかかるし、トータル的には人間のほうが安く上がるのかもしれない」

「人間とロボットが同等、もしくはロボットのほうが上かもしれない時代、か」

「なあ、そこらへんに偏見も嫌悪感もないお前なら引き受けてくれるだろ」

「ちゃんと給料の出る仕事なら断る理由がないからな」

「よし、じゃあまた企画の制作担当から今後のスケジュールなどなどの連絡が行くと思うから」

「俺の他にはどんな役者を使うんだ?」

「お前だけだ」

「は?」

「二人だけのほうがシンプルでわかりやすい、演出と脚本を担当する者も言っている。若いが実力を見込まれていて、これからグングン伸びていくのを期待できる演出家だ」

「もっと名前の売れてる役者を使ったほうがいいんじゃないか?」

「大丈夫、金儲けのための企画じゃないんだ。俺はお前を推薦するよ。贔屓じゃなく実力を見込んで」

「嬉しいことではあるが不安にもなるな。で、もう一人のことも気になるな」

「もう一人?」

「ロボットの」

「ああ、そりゃ気になるよな。ちょっと来させるよ」

 彼はデスクの内線で誰かを呼びつけた。

「なんだ、もう完成してるのか」

「モノ自体はな。後はこれからのプロジェクトとお前の演技指導にかかってる」

「演技指導なんて聞いてないぞ」

「来た来た。こちらの彼女だ」

 振り向けば若い男子学生の後ろにやや小柄の女性がいた。日本人女性全ての平均といった感じだ。大人にも見えるが少女にも見えなくもない。極端な個性は意図的に外されているようだった。外見だけではとてもロボットに思えない。

「こんにちは。初めまして。よろしくお願いします」

 流暢に発音する。目線はちゃんと私を捉えている。緊張ともとれるが感情は見えない。

「初めまして。どうぞよろしく」

 手を差し出すと握手に応えてくれた。柔らかく熱のある掌だ。

「人間に酷似したロボットは見てきたが、こんなにもリアルだなんてな」

 驚きを隠せない私を見て彼は自慢げに答える。

「禍々しい金属パーツは内部骨格と電子系統の一部にしかもう使われていない。人工皮膚に人工筋肉、合成樹脂とカーボンで総重量は人間平均と大差ない」

「会話はできるのか?」

「人間生活を最低限クリアするくらいなら仕込めてある。ただし基本的なことだけでまだまだ真っ白な状態だ」

「赤ん坊や幼児みたいってことか?」

「いやいや、ルールは知ってるけどモラルはわからないみたいな。とにかく話してみればわかるよ」

 私は彼女に向き合う。彼女は表情も変えずにその場を動かず静かに立っている。

「君の名前は?」

「マリアです。1927年製作のドイツ映画メトロポリスのヒロイン名が由来です。ヒロインに似せられたアンドロイドが大衆の団結を崩壊させるよう導くシーンがあります。ロボットの私に適切なネーミングです」

 彼女なりのジョークだろうか。口角が引きつり表情筋が固まる。名付け親であろう彼は苦笑している。

「というわけで、まずはマリアにいい紹介文を教えてやってくれ」

 もう一度言う。演技指導なんて聞いてないぞ。


     ○


 珍しく雪の降る日だった。粉雪はやがて吹雪に変わる。その日の私は自車で現場を移動していた。何を焦っていたのだろう、徒歩や電車に交通手段を変えるという視野がなかった。ブレーキは思うように効かない、視界が悪い、体が冷える。嫌な予感はしていたが私は先を急いだ。やがて急カーブで後輪がスリップしたのを感じ、思わずブレーキを踏み込む。だが車はさらにスピンし、後続のトラックを巻き込んでガードレールを突き破っていた。やばいと思ったときには何もかもが遅かった。体が宙に浮く感覚、次いで鈍く重い衝撃。それが最後の意識だった。

 悪夢から目が覚める。もう何年も前の事故だと言うのに定期的に思い起こされてしまう。重傷を負ったがなんとか役者復帰できるまでに回復はした。しかし記憶はまだあのときを引きずっている。

 顔を洗い無理矢理にでも払拭する。気持ちを切り替えよう。しかし気持ちはさらに憂鬱になる。あのロボットが待っている。


     ○


 公立劇場の稽古用スタジオで顔合わせがあった。机と椅子が並べられて、そこに企画に関わる大勢の人間が集められた。一人ずつ簡単な紹介があり、館長と演出家から企画の概要説明と長めの意気込みなんかの話がされる。

 一旦解散となり館長と演出家は取材に出向く。大きな企画ながらマスコミへの宣伝は消極的だ。マリアに関しては先入観によるイメージ操作を避けるため本番まで一切顔出しはしないらしい。

 休憩中もマリアは座ったまま静止を維持していた。見かけだけは人間そっくりだが行動がまだまだロボットらしい。後ろに座っている博士の彼はノートパソコンの画面に向かって何かの解析に夢中だ。私はどちらにも話しかけられず、気まずいまま時間が過ぎる。

 やがて演出家が戻ってきて、ひとまず脚本の読み合わせの時間となった。まだまだ初期状態の荒削りの脚本だが面白く深いテーマが読み取れた。人間とロボットの夫婦が登場し役割を入れ替えながら社会的にどう過ごすかが書かれていた。自分がロボットを演じマリアが人間を演じる。時には人間のフリをしたロボットを人間の私が演じたり、ロボットのフリをした人間をロボットのマリアが演じたりするシーンもあるのだ。ここらへんはわかりにくいのでまだまだ書き直すかもしれないと演出家兼脚本家はコメントを添えた。

「ト立ち上がりながら散らかしたものを片しつつでもそもそもこんなことになったのはあなたにも責任があるでしょ」

「ト書きは読まなくていいよ」

「ト書き?」

「かっこの中の文章、動きや感情についての説明」

「わかりました」

 マリアは演劇初心者だ。文字を認識して綺麗に喋るが知らないことはまだまだ多い。

「マリアさん、そこ試しにもう少し柔らかく言ってみて」

「柔らかく、弾性のことですか? 物質の状態表現」

「えーっとですね、大人が子供に使う語調っていうか」

「データを所望します」

 仕方なく演出家が代わりに台詞を読んでみた。マリアはその語気と音階とスピードを完全にコピーして喋ったが全員納得できなかった。演技が自分のものじゃない、今回の目的はそうじゃないのだ。不安感の残るままその日の稽古は終わった。

 マリアは演劇初心者で、まだまだ人間初心者だった。


     ○


「どうするんだ」

 稽古終了後、私はすぐに白衣の彼に一声投げた。

「どうするって?」

「あんなんじゃ他のロボットと変わらないだろ。コピーさせるのは簡単だが、人間独自の微妙なニュアンスや口語をロボット自身に理解させるだなんて、とても骨が折れる」

「だからお前に頼んだんじゃないか。こんなこと他の役者じゃ断られるからな。あと、若手演出家の彼は逆に火が点いたみたいだ。体力もあるからとことん稽古してくれるだろうよ」

「だからって時間にも限りはある」

「学習速度は人間とは比べ物にならないよ。一度掴んでしまえばうなぎのぼりであっという間。それに本番まで休暇期間を入れて半年弱はあるんだ、気長に行こう」

 本番までの稽古時間は永遠のように思えるが、それが一瞬の出来事だということは経験上よく知っている。無駄にできる時間などないのだ。

「彼女が台詞を覚えるのに必要な時間は?」

「今日の読み合わせでもう完璧さ」

「じゃあ要らなくなったその分の時間は全部有効活用させてもらうぞ」

 私はマリアを連れて街中へと駆けた。


     ○


「君は人間を演じるわけだから人間を知らなきゃいけない。役作りだ」

 友人はマリアを稽古の時間とメンテナンスで研究室へ滞在する時間以外を全て私に委ねてくれた。デートと言えば聞こえはいいかもしれないが、私には楽しんでる余裕がない。

「人間は食べることと寝ることを楽しみに生きている。あとセックス」

「理解できません」

「まあ最後のは余計だったかもしれない。しかしどれも生きるためには必要なのだ」

「寝るとは電源オフのことですか? それは死ぬことと同義では?」

「難しい話は無視だ! 飲食は可能か?」

「体内には簡易の消化装置、要素分解プラントが設置されております。あくまで人間らしい演技のためですけど」

「飯を食いに行こう。好きなものは?」

「わかりません」

「じゃあそれを確かめに行こう。アルコールは? 酔っ払うことはできる?」

「酔っ払うとは」

「確かめに行こう」

 私と彼女は居酒屋で何種類かの酒と料理を注文してみた。彼女に食べさせてみるが問題はない。

「味はわかるのか?」

「酸味・辛味・苦味・甘味・旨味は数値化されます」

「自分の好みを見つけるんだ」

 私は彼女が食べてる料理にタバスコを大量に垂らしてみる。彼女は口にする。箸が止まる。

「辛味が異常値です」

「それは好きではないということだ」

「私はあなたが好きじゃありません」

「いやそうじゃなくて」

 彼女は顔を赤らめていた。おそらく分解なんちゃらの副作用だろう。しかし表情がこちらを睨んでいるような気がする。機械的ではない印象だ。

「これが不快という感覚だと理解しました」

 彼女の顔はさらに赤くなる。涙目になる。やりすぎたか。舌を口外に露出させている。

「制御できないので中和しましゅ」

 彼女は目の前のコップの中にある酒を一気に流し込んだ。そこそこに度数の高いものだ。

「もう一杯ください」

「水のほうがいいんじゃないか?」

 私は酒瓶の中身を空になったコップに注ぐ。

「気分がいいという状態かもしれません。まだまだ欲します」

 躊躇しつつも私は彼女が酒を飲み干していく様が面白くて次々と酒瓶を空けた。途端、彼女の真っ赤だった顔が真っ白に変化していることに気づく。

「分解限界値を超えました。うっ」

 彼女は飲んだもの食べたもの全部戻した。大惨事である。


     ○


「演劇をするからには演劇を観に行こう。映画も観よう。小説に漫画に音楽に、とにかくいっぱい鑑賞してみよう。自分の好きなものを見つけるんだ」

「なぜ人間は嘘に感動するのでしょうか。なぜ嘘を求めるのでしょうか。現実問題は何も解決しませんし欲求も一時的に解消されるだけで効果的ではありません」

「目の前のことが本物か嘘かだなんて大したことじゃないんだ。人間の脳みそは都合のいいように便利に自分自身を騙してくれる。それで幸せになれるならそれでいいじゃないか」

「私が人間を演じるということは、多くの人を騙すということですか」

「聞こえは良くないがそうかもしれない。楽しいし苦しいし、やりがいがある」

 人工知能が作品創造をすることが話題になった時期もある。しかしその前に大事なのは人工知能自身が芸術を楽しめるかどうかではないかと、ふと思った。


     ○


 少しずつではあるがマリアは人間らしさ、さらに言えば自分らしさというものを獲得していった。誰かに決められた個性じゃない。彼女自身のアイディンティティだ。

 稽古もうまく流れるようになった。彼女からはぎこちなさや硬さは消えていて、演出家が要望する微妙なニュアンスも自身の経験と照らしながら演技をトライするようになった。この芝居の面白みについて三人でとことんディスカッションしたこともある。彼女がもつ『なぜ?』にところん答えたし、彼女もわからないことは自分で勉強するようになった。

 彼女は驚異的なスピードで、役者として成長していた。


     ○


 稽古の休日、昼下がりの近所の公園で私とマリアは佇んでいた。そこで私はマリアに誰彼構わず話しかけるように促した。見知らぬ者に話しかけられたら不審がられる、ましてマリアのつっけんどんな態度には多くの人が引く。どうしたらうまくコミュニケーションがとれるか彼女は賢明に考える。

「天気の話は万人共通だ。その後が難しいかもだけど」

 彼女はそこから会話の数を増やしていった。とある初老の男性はいい人で根気良く付き合ってくれた。ある幼児は『なんでー?』を繰り返しマリアを困惑させた。いつもと立場が逆なようで滑稽で面白かった。必死に『柔らかい』口調を表現しようとしている。

「これだけ色んな人と会話をしてもまだわかりません。人間ってなんなんでしょうか」

 母親に連れて行かれる幼児を見送りながらマリアはベンチに座る私の隣に腰掛けた。

「それは永遠のテーマですな」

「あなたの意見が聞きたい」

「真似しない?」

「もちろん」

 私は公園で遊ぶ人々を見回しながらポツリと零す。

「演劇はそもそも神様を喜ばせるためにやっていたって前に話しただろ。今じゃロボットが人間のためにやっている現状。不思議な感じだ。人は神様を求めるし自分たちそっくりのロボットも求める。地球外のどこか宇宙人を求めているし異世界人や地底人なんかも夢想している。全部嘘っぱちだとわかりながら。文字や言葉が生まれて記録する本や電子媒体もありふれている。電話や携帯端末は電波やインターネットでいつでもどこでも繋がってしまう。現在、過去、未来、全世界で人々はつながりたくて情報を必死に駆使している。こんなに近くに人はいっぱいいるってのに人は永遠に孤独を持ち合わせている。気持ちが満たされることはないとわかりながら、ただただ誰かと繋がっていたいんだ。生殖や生存以外の目的でここまで社会に依存して進化した生き物は、たぶん人間だけ」

「そうですか」

 彼女は目を細めて遠い空を見上げる。深く考えたいときにする彼女の癖だ。

「きっと誰かの本の受け売りそのままだから当てにはならないよ」

「それでもそれはあなたの個性です」

「君の話が聞きたい」

「また今度」

 最近、彼女はそうやって話をはぐらかすことを覚えた。しかも少し笑いながら。足をブラブラさせながらはにかむ彼女はロボットとわかりながらも非常に可愛らしかった。

「そういえば、好きなものは見つかったかい」

 彼女は少し考え込み、こちらを見て、また遠くの方へ視線を戻す。

「また今度」


     ○


 またあの交通事故の夢を見て目が醒めた。何度見ても慣れないものだ。悪寒が体を包んでいる。生きているという実感がまだどこか遠い。

「大丈夫ですか?」

 自室にはマリアがいた。一緒に酒を飲みながら芝居の映像を見ていたんだ。私だけが寝落ちしていたらしい。ロボットに対して安堵感があるとは、私の脳も誤認をしている証拠だ。

「申し訳ないが、少しわがままを許して」

 私は彼女に抱きつく。服越しの柔肌の感触と温もりに安心する。甘い匂いを胸いっぱいに吸い込む。彼女は抵抗せず、私の背中に手を回す。

「そんなこと、どこで覚えたんだ」

「私の知っている人間女性はこうします」

 そして彼女は私の頭を撫で始めた。母性というものを彼女は持ち合わせたのか、それともこれはただの演技なのか。

「人は誰しも、誰かといるときは演技する生き物だ」

「また誰かの受け売りですか」

「うん、君は本当に人間になってしまったのかもしれない」

「変なこと言いますけど、私も最近そう思うんですよ」

「何?」

「私は本当はロボットじゃなく人間じゃないかって」

 恐ろしい予感がする。私の頭の片隅で静かに警告音が鳴り始めた。

「だって、私の知っているロボットと私は違いすぎる。人間としか思えない」

「君の体の中には無数の機械が動いているんだ」

「誰も自分の脳を見たことがありません。それに実際問題、人間の機能と何も変わりません」

「人間は死ぬ。君は死なない」

「必要なら死にます」

「自分に与えらた役を自分と勘違いするのは客観視のできない悪い役者だ」

「本物か嘘かは大した問題じゃないとあなたは言いました。私は人間を演じます。あなたの脳は、私の魂を誤認してくれますか」

「どうして君はそんなこと考えてしまうんだ!」

「好きなものを見つけて、誰かとのつながりを欲するようになってしまったからです」

 潤んだ黒い瞳は何を見つめているのだろう。虚空や宇宙に思えるそれに吸い込まれそうだった。私は今、どうしようもない感情で彼女の魂を誤認している。

「やはり君は役者に向かない。この芝居が終わったら一人の女として生きなさい」

 私は彼女に接吻し押し倒した。彼女もそれを受け入れた。そういう機能はないというのに、気持ちの行き場所が向かう先がそうせざるを得なかった。


     ○


 永遠にあると思われた稽古期間も本番を迎えればやはり一瞬でしかなかった。舞台は精密さを増して、自画自賛ではあるが完成度の高いものであった。実際それは芝居中の客席の反応やカーテンコールでの拍手の迫力を見ても間違いないだろう。完全自立ロボットという先入観はどこへやら、客はみな芝居に夢中になった。演出家の計画のおかげか、マリアの一役者としての努力のおかげか、誰もが芝居そのものに魂を感じた結果となった。この企画は成功作として幕を閉じるはずだった。


     ○


 千秋楽を迎えてロングラン公演は幕を下ろした。研究データ採取のためとマリアは研究室に戻された。私はまたすぐに会いたくなり頻繁に研究室を訪れたが面会はやんわりと断られた。そして一ヶ月が経つ。私は業を煮やして博士の彼に問い詰めた。

「黙っていて悪かったが、マリアの運用は中止の決定が下された」

 言葉を失った。返答できずにいると彼は説明を続けてくれた。

「確かに公演は芝居としてもロボット研究としても大成功とも言っていいくらいだった。だが、うまくいきすぎたんだ。マリアの演技には魂が宿っていた。君とのやり取りもまるで本物の愛が芽生えていたかのように。そして客の反応が大きすぎた。みな舞台上に人間代用品の可能性を見出してしまったんだ。新時代を作るものには賛同する人間もいれば反対する人間も当然出てくる。反対する人間はまだわかりやすくていいのかもしれない。倫理がどうのこうのいつもお決まりの文句でそういう対応はもう慣れた。いつも通り耳を塞いでうまくやり過ごせば良かった。問題は賛同する人間だ。彼らはマリアの活用方法に何を見出したと思う? 僕はあの子の親としてその依頼に寒気がした。僕たちは性的欲求解消のためにこんな研究をしてるんじゃないんだ!」

 彼が研究室の壁を感情のまま殴打した。鈍い音が反響し、静けさをより際立たせた。

「セクサロイドの開発なんて他の企業がいくらでも進めるさ。しかし多くの人間がマリアを求めた。熱狂的に、狂信的に。人間に求めることを人間の代用品にいくらでも、だ。時代が価値観を変えようとしている。人間が人間を人間と思わなくなる時代になってしまう気がしたんだ。マリアが全てを受け止めて何もかもを叶えてくれると盲信している。人間のココロが消えていくのを感じたんだ。人類滅亡と言ってもいいのかしれない。技術に人間の精神が追いついていない。核技術を爆弾に応用したように科学の扱いをまた間違えるんじゃないか。気持ち悪さを通り越して恐怖を感じた。とても論理的じゃない考えだ。こんなのも旧時代の偏見とすぐに消え去るかもしれない」

 彼は勢いでしゃべり続けて、一息ついた。熱気を振り払い、いつもの冷静な目つきに戻る。私を貫くような視線を向けて。

「お前のようにロボットを本気で愛し、ロボットに本気で愛される人間が増えていくんだろうな」

「悪いことなんだろうか」

「俺も当然親として彼女を愛している。だがもちろん彼女がロボットだという認識の上でだ。お前のような価値観にはついていけない」

「脳が自分を騙しているんだって意識はある。だけどこの気持ちは嘘じゃないんだ」

「演出家も君たちの関係には気づいていたよ。座組内の恋愛禁止を徹底する男だが今回はいい結果になったから大目に見るらしい。やはり芸術家は価値観に囚われないものなんだな」

「なあ、運用中止というならマリアを譲ってくれないか。もちろん金はいくらでも出すし、このことはずっと秘密にする」

「彼女を人間だと思うなら所有物のように扱わないでくれ。そして運用中止のもうひとつの理由は」

 彼が苦悶する表情を初めてみた。重い重い言葉を、彼は腹のそこからひねり出した。

「彼女は自殺したんだ」

 それは、ロボットとは永遠の距離を置く選択だと思い込んでいた。

「彼女への人間教育に古典的な恋愛映画でも見せたんだろう。運命を共にできないと悟った彼女は公演が終わってすぐに自分を半永眠状態にした。再起動も外部接触も受け付けてくれない。人間とロボットとの距離に絶望したんだな」

「距離だって?」

「君は死ぬ。彼女は死なない」

 いつかマリアが必要なら死ぬと答えたのを思い出した。ロボットとして頭の冴える彼女は私たちの行く末にすぐに気づいただろう。そして人間的感情を持ってしまった彼女はそれに耐えられないと絶望した。

「こんな結果になるだなんて思いもしなかったよ」

 どちらが口に出したのかもわからない言葉だった。彼はその場に座り込んで思考を放棄した様子だった。しかし沈黙を破ったのは彼が先だった。

「なあ、馬鹿げた話かもしれないけどな。限りなく人間に近い体を与えたら機械頭脳のマリアは人間に近づいた。その逆で機械の体を与えられたお前がロボットに近づいてしまったのかもな」

「俺は人間だ」

「少なくともその意識は、だ。自分の脳みそなんて見たことないだろ」

「俺は人間だ」

「ああ、ある意味今のお前は自分の脳みそを拝めるかもしれない。メンテは続けているが体の調子は大丈夫か?」

「俺は人間だ」

「事故以来ちゃんと自分自身の見舞いに行ったか? 人間の肉体も大事にしてやれよ」

「俺は――」

「やっぱり記憶バグってるな」

「誰だ」


     ○


 あの交通事故以来、私の体は生命維持装置とたくさんの管に繋がれてベッドに横たわりその人格意識だけを保たれる状態だった。友人は私そっくりのロボットを用意してくれて、それに意識を転送して遠隔操作する形で私は社会的に復帰したのだ。

 今、私は病室で目を閉じたままの私を見下ろしている。この再生の見込みのない肉体に私の意識は内包されている。この自由に動かせる体は本来の私ではない。私は人間か、ロボットなのか。

「本物か嘘かは大した問題じゃない。観る人の脳を誤認させ、そこに魂を感じさせるだけだ」

 生命維持装置を停止させればこの生身の肉体は簡単に滅ぶ。私の意識も消える。しかし電波障害などの緊急時用に遠隔通信信号が途絶えたときでも機械内の補助脳が私の人格を分析しランダム再生する機能が備わっている。日常会話でその場をうまくやり過ごせるのだ。それを、ずっと続ければいい。私が死んだことに誰も気づかない。

 永遠の体を手に入れた彼女に会いに行こう。もう何も悲しむ必要はない。二人でずっと時を共にできるのだ。拙い補助脳はぎこちない会話しかできないかもしれない。だが彼女が人間になれたように私にもそれは不可能ではないはずだ。

 生命維持装置を停止させた。死に逝く自分を見つめている。そして一瞬の沈黙の後、私は再生する。大丈夫、人間の演じ方はよく知っている。

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