エピローグ それぞれ、大団円 10月3日午後5時

 大原の手配で、本物の高速機動隊が動き、偽高機はすぐに捕まった。銃を所持していたので、手こずると思われたが、さすがに自分達の名を騙って悪さをしようとしていた連中に憤激したのか、高機は装甲車で追い詰め、体当たりしたのだ。ロシアンマフィアも、全員鞭打ちになり、たちまち投降したらしい。

 そしてもう一つの組織は、アルバイト感覚で企業のホームページを改竄したり、官公庁のホームページをウィルスで悪戯していた大学生達だった。茜がその力を存分に発揮して情報屋達と連携し、彼らの居所を突き止めた。

「僕らは悪い事なんかしていませんよ。ビジネスとして依頼を受け、仕事をしただけです」

 組織のリーダー格の大学四年の男が、警察に踏み込まれた時に吐いた言葉だ。

「そんな子供の言い訳が通るか、馬鹿者!」

 刑事の怒鳴られ、そのバカ大学生はシュンとした。


 美咲はスーツ姿に戻り、警察病院に来ていた。彼女は前回より大きめの花を買い、皆村の病室を訪れた。

「あ」

 美咲は扉を開けようとして、手を止めた。

「もう! 何度言ったらわかるんですか! 全治するまで退院はできません! 少しは大人しくしていて下さいよ」

 女性の声だ。美咲は、その声に聞き覚えがあった。

(確か、最初に皆村さんを訪ねた時、応対してくれた女性だわ)

「お前にそんな事言われる筋合いねえよ。早く帰れ!」

 皆村の声は元気そうで、しかも美咲と話をする時とは違って、飾らない調子だった。

「ええ、帰りますとも! あまり長くいたりすると、署で変な噂を立てられちゃいますからね!」

 相手の女性も、憎まれ口を叩きながらも、決して皆村の事を嫌っているのではないのがわかる。

「何だよ、変な噂って?」

 皆村が尋ねる。女性は、

「皆村さんと付き合ってるっていう、嫌な噂です」

「嫌な噂ってどういう意味だ!?」

 皆村は女性の気持ちに全然気づいていない。美咲はクスッと笑った。

「とことん、不器用なんですね、皆村さんて」

 美咲はそのままナースステーションまで戻り、花を差し出して、

「これ、皆村刑事に渡して下さい」

と頼むと、警察病院を出た。

「振られちゃった、のかな?」

 美咲は少しだけ寂しかったが、

「よし!」

と気合を入れ、葵が待つミニバン「茜号」に向かった。


「あら、もういいの?」

 葵は助手席から顔を出した。美咲は苦笑いして、

「何だか、私、振られたみたいで……」

「はああ。身の程知らずねえ、その刑事」

 葵は目を見開いて驚いている。美咲は運転席に乗り込むと、

「私が勝手にそう思っただけですから」

「そう? じゃ、大丈夫ね」

 葵は微笑んで美咲を見た。美咲もニッコリして、

「はい」

「あんたには、外務省君がいるもんね。あ、それから、国会議員さんもいるか」

 葵はニヤニヤして言った。美咲はムッとして、

「あのお二人は、そういう関係ではありません!」

「そうなのお」

 葵は笑ったままだ。

「それから、今日の締め、私にさせて下さい」

「え?」

 意外な申し出に、葵は笑うのをやめて美咲を見た。美咲は「茜号」をスタートさせて、

「今回は、私にさせて下さい」

 葵は前を見てフッと笑い、

「いいわよ。美咲が一番恨みがあるもんね、あのおっさんには」

「別に怨みはないですけど」

 美咲はハンドルを切りながら、

「公務員の長のはずの人が、公務員を危険に晒すような相手と取引したり、現実に公務員が傷ついたのにも関わらず、自分は無関係だと主張するなんて、長たる資格がありません」

「確かにね。つうか、何であんなろくでなしが首相にまで上り詰めちゃうのかねえ。本当に日本人て、政治に関しては、幼稚園児並みね」

 葵は肩を竦めた。


 その頃篠原は、拉致されていた金村医師と烏丸医師を乗せ、姉の菖蒲が待つ大学病院に向かっていた。二人を新潟の病院で診察させてからの出発だったので、今頃になったのだ。その間、何度も菖蒲からメールや電話があったので、篠原はうんざりしていた。

(せめて、麗奈さんの事務所で会いたいなあ)

 篠原が何故そう思ったのかは言うまでもない。麗奈に菖蒲の相手をさせて、自分は麗奈の事務員である沙希を口説くつもりなのだ。懲りない男である。


 そして、警察庁の大原の部屋。茜がパソコンを高速ブラインドタッチで操作している。

「よし、終了」

 茜は笑顔で大原を見た。大原もニッコリして、

「じゃあ、夕食は夜景の見えるホテルのレストランで」

「え?」

 茜はギクッとして一歩退く。大原はキョトンとして、

「どうしたの、茜ちゃん?」

「ま、まさか、その後、『部屋をとってあるんだ』なんて事にはなりませんよね?」

 茜は顔を赤らめて言う。大原は大笑いをして、

「まさか。だって茜ちゃんはまだ……」

と言いかけ、ハッとして黙る。茜はその言葉にピクッと反応し、大原を睨む。

「まだ? まだってどういう意味ですか、大原さん?」

 大原は冷や汗を垂らしながら、

「あ、いや、別に変な意味じゃないよ。茜ちゃんはまだ僕の恋人じゃないから、そんな事はできないって事さ」

「そうなんですか……」

 茜は答えを聞いてションボリしてしまった。

「あれ、部屋をとった方が良かった?」

 大原が真面目な顔で尋ねる。茜はその顔を見てプッと吹き出し、

「違いますよ!」

と言った。そしてモジモジしながら、

「大原さんは私の恋人だと思ってるんですけど、迷惑ですか?」

「茜ちゃん」

 大原が驚いて茜を見た。茜はニコッとしてドアを開き、

「さ、行きましょ、ホテル!」

「茜ちゃん、その言い方、誤解されるよ!」

 大原は慌てて茜を追いかけた。


「皐月さん」

 篠原の車から金村が降り、最初に言ったのがそれだった。烏丸医師も、妻と子供が待っていて、涙の対面をしていた。

「金村君、みっともないわ」

 菖蒲の第一声がそれだ。篠原も、金村も、そして烏丸達も驚いて彼女を見たほどだ。

「普段から、危機意識を持っていれば、あんな目には遭わなかったのよ」

「おい、姉さん!」

 それは金村さんだけじゃなくて、烏丸さん達にも失礼だろ、と篠原は焦っていた。

「そうだね。ごめん、皐月さん」

 金村はニコッとして頭を掻いた。すると菖蒲は顔を赤らめて、

「わ、わかればいいのよ。これからは気をつけなさいよ」

と言うと、スタスタと歩き出す。

「姉さん、待てよ!」

 篠原が、あまりに身勝手な姉を追いかけようとすると、

「あ、私が行きます」

 金村が言い、菖蒲を追いかける。

「皐月さん」

 金村が隣に立つと、菖蒲が何かを言った。慌てて下がる金村。まるで召し使いのようだ。

「俺には考えられない関係だ」

 菖蒲の一方的な恋だと思っていたのだが、金村は筋金入りの「M」だった。菖蒲に怒鳴られても、ニコニコしている。

「信じられない」

 篠原は肩を竦め、車に戻る。烏丸一家が彼に礼を言い、彼の妻の運転でその場を去って行った。

「さあてと。今夜は沙希ちゃんとデートしたいけど、たまには葵を……」

と言い、ニヤッとして車に乗り込んだ。


 その日の仕事を終えた橋沢龍一郎首相は、進歩党最高顧問の岩戸老人が来ていると聞き、慌てて官邸の執務室に行った。

「やっと来たか、橋沢」

 ソファに座っている岩戸老人が言った。その隣には見慣れない若い女性がいる。彼女は微笑んで会釈した。

「遅いわよ、首相」

 彼の席の椅子に座っている女。確か、「月一族」という忍者の組織で一番強いという女だ。

「お、お前は!」

 橋沢は思わずそう言ってしまい、慌てて口を塞ぐ。その女性は立ち上がり、

「はあ? お前? あんたのようなおっさんに、お前呼ばわりされる覚えはないわよ!」

「ひいい!」

 橋沢は思わず岩戸老人の後ろに隠れた。まるで悪戯を見つかった子供である。数ヶ月前のトラウマが甦ったようだ。しかし、彼は甘かった。

「貴方には、一国を任せるだけの度量がありません。すぐに総辞職する事をお奨めします」

 岩戸老人の隣の女性が立ち上がって言う。橋沢はギョッとして彼女を見た。

「そして、これは私の知り合いの公務員の方の痛みのおすそ分けです!」

 橋沢がハッと気づいた時は、もう手遅れだった。女性の平手が彼の顔面を捉え、彼はクルクルッと身体を回転させて床に倒れた。

「行政のトップたるお前が、間接的であれ、その下で働く公務員を危険に晒して何とする、馬鹿者! 美咲ちゃんの言う通り、すぐに総辞職しろ!」

 岩戸老人はド迫力の勢いで橋沢を叱責した。橋沢はポカンとして岩戸老人を見上げた。

「心配するな、橋沢。儂も付き合うよ。引退する」

 岩戸老人の言葉に、二人の女性は驚いたようだ。橋沢も目を見開いた。

「先生、今、何て……」

「潮時だよ。こんな馬鹿者を首相にしてしまった責任を痛感しとるんだ。まあ、それだけではないが、いいきっかけさ」

 岩戸老人はそう言うと、部屋を出て行った。それを追うよう女性二人も続いた。


「岩戸先生、さっきのは……」

 葵は廊下を早足で歩く岩戸老人を追いかけながら言った。美咲も岩戸老人を見ながら歩く。

「本気だよ。儂が自分の首を差し出さなければ、あいつと刺し違える事はできない。あいつの側近共を黙らせるのには、そこまでせんと無理なんだよ」

 岩戸老人はフッと笑い、

「まあ、そろそろ儂のようなジジイは退くべきなのさ。政界には若返りと再編が必要だ」

「先生……」

 葵と美咲は涙ぐんでいた。岩戸老人はそれに気づき、

「ありがとう、二人共。こんな老いぼれのために泣いてくれて」

「先生、今夜は朝まで飲みますか?」

 葵が突然切り出す。

「所長!」

 美咲は驚いてたしなめようとしたが、

「おお、いいねえ。盛大に盛り上がろうかね」

「はい」

 美咲は溜息を吐いたが、岩戸老人がまだまだ元気なのを知ってホッとした。


 岩戸先生を囲む会は、都内の居酒屋で開かれた。岩戸老人の希望だ。

「遅くなりました」

 大原と茜がやって来た。

「おお、もう来たのか、大原。って事は、まだか?」

 妙に嬉しそうに言う篠原に、茜が、

「な、何の事ですか、篠原さん?」

と言い返す。すると岩戸老人が、

「もちろん、あっちの事だよなあ、篠原君」

「あはは」

 岩戸老人がそんな事を言い出すとは思わなかった葵と美咲と茜は、一瞬動きを止めてしまった。

「岩戸先生、お疲れ様でした。これからも、我々を見守って下さい」

 大原がかしこまって言うと、岩戸老人は、

「相変わらず、固い奴だな、君は。そんなんじゃ、茜ちゃんに嫌われるぞ」

「はあ」

 大原は苦笑いして頭を掻く。すると茜が、

「私は、そういう大原さんが好きなんですよ、先生」

 徳利を差し出した。

「おうおう、気が利くね、茜ちゃん」

「どうぞ、お一つ」

 茜が芸者張りの「しな」を作って言ったので、葵が大笑いした。

「まだ間に合ったみたいね」

 麗奈が沙希を連れて現れた。おお、と篠原が身を乗り出す。

「はい、沙希ちゃんはここね」

 葵の隣は岩戸老人と篠原だが、麗奈が篠原を押しのけて沙希を葵の隣に座らせ、自分は美咲の隣に座る。追いやられた篠原は大原の隣に座った。

「麗奈君、久しぶりだな。相変わらず、奇麗だね」

 岩戸老人が言った。麗奈はニコッとして、

「ありがとうございます。先生も変わらず、お若いですわ」

「ハハハ、褒められても付き合えんぞ」

「オホホホ」

 沙希は葵の隣で身体が密着しているので、真っ赤になっている。

「なかなか、複雑な人間模様だな」

 岩戸老人が葵に小声で言った。葵は苦笑いして、

「そうですね」

と答えた。

「姉さん達は?」

 篠原が麗奈に尋ねた。麗奈は肩を竦めて、

「来られないって。全く、協調性がゼロなんだから、あいつ」

「来なくてもいいけどね」

 篠原が笑って言う。麗奈もケラケラ笑って、

「そうね。来ても、座がシラけるだけだしね」

 相変わらず酷い言われようの菖蒲である。

「もしかして、今頃あの二人……」

 茜が呟く。すると篠原が、

「やめてくれ、想像したくないよ」

と言ったので、皆大笑いしてしまった。


 そして、お開きの時間になった。

「皆さん、今日は儂のために集まってくれて、本当にありがとう。感激している」

 岩戸老人は締めの挨拶をしていたが、目が少し潤んでいる。

「国会議員は引退するが、人間を引退する訳ではないし、男をやめる訳でもない」

 岩戸老人はニヤリとして、

「女性陣に言っておこう。男は若さではないぞ。経験と知恵だ。儂には、若い者にはないものがたくさんある」

「はあ?」

 葵達は顔を見合わせた。

「女房に先立たれて随分になるしな。だから、今付き合っている男に飽きたら、いつでも声をかけてくれ。飯くらいはご馳走するぞ」

 岩戸老人は、自分が元気なのをアピールし、葵達を安心させようとしている。篠原にはそれがわかった。

「本当に、今日はありがとう」

 岩戸老人は立ち上がり、深々と頭を下げる。葵達はそれに対して拍手をする。それはしばらく鳴り止まなかった。


 そして、それぞれ帰路に着く。

「何であんたがあぶれるのよ」

 篠原と二人だけになった葵は、剥れていた。

「あのなあ。今回は、俺、随分頑張ったと思うんだけど?」

 篠原は必死にアピールした。しかし葵は、

「元はあんたのお姉さんが発端でしょ? おかげで私達只働きだし」

「あれ? 俺は報酬を払わなくていいの?」

 篠原がニヤッとして言うと、

「身体で払おうとしている報酬を受け取るつもりはないわよ」

 葵はあっさりと言った。

「それに、あんたの頑張りと相殺して、少しお釣りができたから」

「え?」

 篠原は驚いていた。葵がガバッと抱きついて、キスして来たのだ。それもしっかりとしたキスだった。

「はい、これで相殺完了ね」

 葵は照れ臭そうに笑った。篠原は、

「これだけで終わるくらいなら、何もされない方がマシだよお、葵ィ」

と甘えてみたが、葵は素っ気ない。

「調子に乗るな、年中発情男が!」

 プイッと背中を向け、歩き出してしまう。

「ああ、ウソウソ! せめてあと一軒、二人で飲まないか?」

「それくらいならいいけど……。変な薬飲ませて、襲ったりしないでしょうね?」

「しないしない。する訳がない」

 葵は篠原を疑いの眼差しで見て、

「まあ、いいわ。付き合うわよ」

「やったあ!」

 恋人なのか、そうでないのかわからない二人は、繁華街へと繰り出して行った。

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風の葵 黒い救急車 神村律子 @rittannbakkonn

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