第十八章 リベンジ合戦 10月3日午前6時

 葵達の乗る通称「茜号」は、関越自動車道を一路新潟へと走っていた。

「所長、連中はNシステム(顔認識システム)を警戒して、脇道を走っているはずです。高速で行くのって、間違ってませんか?」

 茜が意見した。すると葵の代わりに美咲が、

「そうじゃないのよ、茜ちゃん。あの人達の行く先がわかっているから、先回りするの」

「え? 行く先がわかっているんですか?」

 茜はキョトンとした。葵は欠伸をしながら、

「護が突き止めてくれたのよ。木偶の坊が二人、泣きながら教えてくれたようよ」

「は? デクノボウですか?」

 茜はますますチンプンカンプンだ。

「連中、まさか私達が先に着いているなんて夢にも思わないでしょうから、楽しみよ」

 葵は嬉しそうだ。茜はウンザリ顔で、

「そうですか」

とだけ言い、シートにもたれた。


 一方、逃げるエクセル達は、一般道、それも国道の旧道を乗り継ぎながら、新潟を目指していた。

「追尾して来る車はいないな?」

 エクセルは部下に尋ねた。

「はい。どの車も、ついて来ていません」

「念のためだ、その道を右折しろ」

「はい」

 車は右折したが、後続車は直進して行った。

「よし」

 エクセルはニヤリとした。

「この私に泥水を舐めさせた事、たっぷりと後悔させてやるぞ、忍者共め」

 彼のところには、篠原に締め上げられた大男から連絡が入り、行き先を告げた事を知っていた。

「罠とも知らずに、さぞ、急いでおるだろうな、愚か者達が」

 エクセルは高笑いをした。


 美咲が速度を気にしながら、葵に尋ねる。

「所長、罠の臭いがするのですが?」

「ああ。それはわかってる。でもね、罠とは知らずに近づくのと、知ってて近づくのとでは、全然違うわよ」

 葵は後部座席を見て、

「で、茜、首尾はどう?」

 茜はミニパソコンから顔を上げて、

「バッチリです、所長。情報屋さんから、どこのおバカさん達が連中に手を貸しているのか、全部教えてもらいました」

「名前を教えて。お歳暮を贈るって連絡するから」

 葵がニヤッとして言うと、美咲と茜はビクッとした。

「所長、あまりやり過ぎない方が……」

 美咲は前を向いたままで話す。葵は助手席にふんぞり返って、

「心配しなくても、程々にしとくわよ。地元の警察にちょっと密告のメールを送るだけだから」

「……」

 葵の陰険な作戦に、美咲と茜はルームミラー越しに顔を見合わせてしまった。

「それにしても、あの元国王、何を血迷ってリベンジ仕掛けてきたんだか。死ぬほど後悔してもらうわ」

 葵は嬉しそうだ。茜は思った。間違ってもこの人とだけは敵対してはいけないと。

「はい」

 ご機嫌な葵は、篠原からの電話にも愛想良く出た。

「どうした、具合でも悪いのか?」

「何でよ!?」

 葵は途端に機嫌が悪くなる。篠原さん、もうちょっと所長の扱い方、勉強して欲しい。美咲は溜息を吐いてそう思った。

「いや、お前のご機嫌な声を聞いたのは、あの夜以来だからさ」

「あの夜って、どの夜よ!」

 ますます機嫌が悪くなる。篠原は笑って、

「まあ、冗談はともかく、エクセルの奴、Nシステムに全く引っかかっていないらしい。どこに向かっているのか、探り直した方が良さそうだぞ」

「そんな事はあんたに言われなくても承知してるわよ。あいつらがどこに向かっていようと、私達は絶対に逃がさないわ」

「ほォ。珍しく、気合入ってるな?」

 また余計な事を……。茜も篠原の「所長操縦法」は零点だと思った。しかし篠原も、茜にはあれこれ言われたくないだろう。

「珍しくって何よ!? 私達が誰のせいで不眠不休で働いてると思ってるの!?」

 遂に葵は怒り出した。篠原は、姉である菖蒲の事を持ち出されると、一言もない。

「悪かったよ。その事に関しては、本当に申し訳ないと思ってる」

「わかればよろしい」

 葵はニコッとした。

「今回の報酬は、護が払ってくれるんだしね」

「え?」

 篠原が黙り込む。

「電話で寝たふりしても伝わらないわよ、護」

 葵は軽蔑の眼差しで言った。篠原はまた笑って、

「わかったよ。分割でいいか? でないと、さすがの俺も身体が保たないからさ」

「何で払うつもり!? 切るわよ!」

 葵は憎しみを込めて携帯を切った。

「全く、あのエロ男爵が!」

 葵は携帯を忍び装束の袂にしまうと、シートにもたれかかった。


 そして、その篠原は、葵とは違う経路で新潟を目指していた。彼は関越道から上信越道に入り、直江津を目指していた。

(葵達は新潟市に向かっている。あの木偶の坊達の情報がフェイクだとしたら、本命はこっちかもな)

 篠原は、葵達を出し抜くつもりはないが、エクセルには腹の底から怒りがこみ上げているのだ。

(あのジジイは、葵の思いも、そしてあの可憐な姫さんの思いも踏み躙りやがった。男として、絶対に許せない)

 可憐な姫さんとは、アフリカの小国イスバハンの王女ファラの事だ。葵より、ファラの事でエクセルに対して怒りを感じているところが、エロ男爵の面目躍如である。

「でもあの子、女が好きなんだっけ」

 テンションがいきなり下がる。

「麗奈さんとこの沙希ちゃんと言い、姫さんと言い、どうして可愛い子とは縁がないんだろう?」

 篠原は溜息を吐く。

「コーヒーショップの店員は、テロリストだったしなあ」

 葵に知られれば、半殺しにされそうである。恋人ではないとか言いながら、篠原が他の女の子に色目を使うのを許さないのは、本当は彼の事を好きな証拠だろう。

「もうすぐ夜明けか」

 篠原は時計を見て呟いた。


 エクセル達は、自分達が罠を仕掛けたつもりだったが、新潟にいる部下達の報告で、行き場を失いかけていた。

「新潟港付近には、CIAが来ているようです。柏崎には、ロシアの軍情報部が。そして、寺泊には日本の警察が到着したそうです」

「ぬうう」

 エクセルは歯軋りした。これは、茜が仕掛けた偽情報の結果だ。それぞれに違う情報を送り、新潟のあらゆる港を封じる作戦である。

「ならば、ナオエツだ。作戦変更を同志に連絡しろ」

「は!」

 エクセルはムスッとしてシートに身を沈めた。

「忍者共め、ふざけた事を……」

 直江津は篠原が向かっているところだ。


 葵の携帯には、お詫びメールがたくさん入っていた。

「葵様のところとは知らず、大変申し訳ありません。多額の報酬に釣られたのが口惜しいです」

 葵は愉快そうにメールを読み上げる。

「所長ってば、サディストですよね、やっぱり」

 茜が呆れ顔で呟く。葵はニヤリとして、

「そうよ。私はサディスト。だから、如月茜さんの冬のボーナスは、神無月美咲さんに贈呈します」

「えええ!?」

 茜がパニックになりかける。

「じょ、冗談ですよね、所長?」

 もう泣きそうな顔である。彼女は美咲を見て、

「美咲さんも何か言って下さいよォ」

「ありがとうございます、所長」

「えええ!?」

 美咲まで悪乗りである。茜は本当に泣きそうだった。

「見て、海が奇麗よ」

 いきなり葵が話を逸らせる。朝日で輝く日本海が、関越道から見えた。

「そんな心境じゃありません……」

 茜はションボリして言った。


 その頃、大原達は、もう一人の実行犯である純心堂医大付属病院の外科部長である板倉光雄を成田空港のロビーで確保していた。

「何ですか、一体?」

 全く事情を理解していない板倉は、抵抗した。

「貴方が、後小松総合病院と大日本医科大付属病院の事件の実行犯の一人だという事は、共犯者の証言でわかっています。抵抗はやめなさい」

 大原が逮捕状を突きつけて言った。すると、板倉はガックリと膝を着き、項垂れてしまった。

「人の命を救う立場の医師が、殺人の片棒を担ぐなんて、許される事ではないぞ」

 いつになく大原は強い調子で言い放った。板倉は泣き出してしまった。自分のした事にようやく気がついたのだろう。

「刑務所で、よく考えるんだな。自分がしてしまった事について」

 大原は機動隊に連行される板倉に言った。

「皆村さんのところに行くか」

 彼はフッと笑い、ロビーを後にした。


 皆村は、妙に気が高ぶって、すでに目を覚ましていた。

(美咲さん、大丈夫だろうか?)

 美咲の強さを自分の目で直接見ていない皆村は、彼女の事が本当に心配だった。

(こんなとこで寝てる場合じゃないんだけどな)

 夕べ、病室を抜け出そうとして見つかり、今はベッドの両脇を警官二人に固められている。

(美咲さん)

 皆村は、彼女の無事を祈った。


「全く! どこまでおバカなのよ、あんたは!」

 葵はカンカンだ。茜は消え入りそうな声で、

「申し訳ありません」

 葵が怒っているのは、エクセル達を誘導する罠を、茜が張り間違えた事だ。

「よりによって、一番遠い直江津に向かわせちゃうなんて!」

「ごめんなさい!」

 茜は後部座席で土下座していた。

「まあ、いいわ。直江津には護が向かってるらしいから。報酬を値引きする代わりに、あいつに頑張ってもらいましょ」

「ありがとうございます、所長!」

 茜は涙を拭って言った。そして、

「美咲さん、運転代わります」

「ありがとう。お願いね」

 「茜号」はサービスエリアに入った。

「一息つきたいけど、連中が迫っているみたいだから、トイレ休憩のみよ」

 葵の引率の先生のような言葉を受け、茜と美咲はトイレに走った。

「あれ? 所長は大丈夫なんですか?」

 茜が振り返る。

「美人はトイレには行かないの」

 葵の答えに茜は脱力してから、走り出した。

「おお、撮影?」

 二人の忍び装束に気づいた周囲の利用者達が集まり始めた。

「ハハハ、再来週の火曜日に放映予定でーす」

 茜は苦笑いしながら走り去った。

「どこのテレビですか?」

 若い男が興味津々で尋ねる。

「CNNでーす」

 茜は前を向いたままで手を振って言った。

「はあ?」

 若い男はキョトンとして連れの女性と顔を見合わせた。


 篠原は、海上保安庁に連絡し、直江津近辺を警戒するように要請した。

(連中、恐らく自分達の用意した船で近くまで来ているはずだ。乗り込まれちまったら、アウトだからな)

 彼のワンボックスカーは、すでに海岸線に着いていた。

「おいおい」

 篠原は葵からメールを確認して驚いた。

「全部俺にやらせるつもりか、あいつ……」

 これも全部、あの我が儘な姉のせいだ。篠原は菖蒲と本当に縁を切ろうかと思った。


「あれ、所長がいませんね」

 葵の分の缶コーヒーを買って来た茜が辺りを見渡す。

「トイレかしら?」

 美咲が振り返って言った。茜はニヤッとして、

「きっと、大きい方なので、私達と一緒に行くのが嫌だったんですよ」

「誰が大きい方ですって?」

「わひゃ!」

 いきなり後ろに現れた葵に、茜は飛び上がって驚いた。美咲がすかさず、

「はい、所長、コーヒーです」

と緊張感を和らげてくれた。葵は美咲を見てニコッとし、

「ありがと」

 茜をギンと睨んでから、葵は助手席に乗り込む。茜は全身から嫌な汗を掻きながら、運転席に乗った。

(殺されはしないだろうけど……)

 葵が菖蒲に負けないくらい、自分の悪口に対しては「地獄耳」なのを改めて感じた茜だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る