第十七章 敵地へ 10月3日午前1時
黒い救急車事件の首謀者の一人である後小松謙蔵に全てを喋らせた葵達は、彼の命が狙われると判断し、後小松の身柄を葵のマンションに移送した。
「やあ、茜ちゃん。大活躍だったみたいだね」
先に到着していた大原が、マンションの部屋の前で出迎えた。
「えへへ」
茜は照れ臭そうに笑った。葵が、
「二人は?」
「中です。葵さんの影さん達がついてますよ」
大原の答えに葵は、
「フーン」
と彼と茜を見比べる。
「な、何ですか、所長?」
茜が顔を赤らめて口を尖らせる。葵はニヤッとして、
「別にィ。大原君、ありがとね」
と言い、ウィンクをした。途端にムッとする茜。苦笑いする大原。呆れる美咲。
「とにかく、このジイ様を守るのは癪に障るけど、いろいろ知ってるから狙われると思うの」
うるさいので眠らされてしまった後小松は、台車でここまで運ばれていた。
「そうですね。相手が相手ですから、きっちり話をつけないと、いつまでも狙われるでしょうね」
大原は後小松を哀れむように見た。
「こいつ、私に襲いかかって来たんですよ、大原さん。取調べで苛めて下さい」
茜が直訴する。大原は微笑んで、
「そうなの。よし、厳しく取り調べるよ」
「お願いします!」
茜は嬉しそうだ。葵が、
「大原君が取調べをする訳ないでしょ、どこまでおバカなの、あんたは?」
と茜を
「そんな事、わかってますよお。でも、私がお願いすれば、大原さんは願いを叶えてくれますよね?」
大原は微笑んだままで、
「もちろんだよ」
葵は、このバカップルが、と心の中で思って、美咲を見た。美咲は肩を竦めてみせた。
「護はもう及び腰なんだけど、私はとことん行くから、頼むわよ、二人共」
「はい」
美咲が答える。茜は、
「当ったり前です! こんなエロジジイの仲間なんて、のさばらせてはいけません!」
完全に個人的感情で動こうとしている茜を見て、葵は溜息を吐いた。
(私も、今回の敵は許せない)
美咲は、茜ほどではないが、犯行グループに怒りを感じていた。
(皆村さんのためにも、絶対に一網打尽にする)
彼女の決意は固かった。そんな思いを皆村が知れば、悶絶死してしまうだろう。
葵に及び腰呼ばわりされた篠原は防衛省を出て、港に向かっていた。
(優秀な外科医の密輸か。とんでもない事を企むジイさんだ)
黒い救急車に拉致された金村医師と烏丸医師が、港の倉庫に監禁されているのを後小松から聞き出した葵が、篠原に頼んだのだ。
「何で俺が……」
と言いかけ、そもそものきっかけが自分の姉の菖蒲にある事を思い出した彼は、葵に反論するのを諦め、素直に現場に向かった。
「葵のお礼のチューでも当てにして、頑張るかな」
自嘲気味な篠原である。
「おっと」
ヘッドライトを消し、車を停める。見張りの姿が目に入ったのだ。
(銃を持ってるな。ま、関係ないか)
篠原は忍び装束に着替え、闇の中を走る。いきなり眩しい光が彼を照らし出した。
「何!?」
篠原は度肝を抜かれた。彼は完全に待ち伏せされていたのを悟ったのだ。
「たった一人で来るとは、どうしようもなくバカな奴か、本当の勇者のどちらかだな」
どこかで聞いた事がある声。微かに記憶の琴線に触れる、微妙に訛りのある言葉だ。
「誰だ!?」
篠原は眩しさに耐えながら怒鳴った。
「私を忘れたのかね、忍者君」
一人の男が、光の中に姿を現す。しかし、その容貌は、強烈な逆光のために識別できない。
「悪いが、俺は男の事を記憶するなんていう野暮な真似はしないんだよ」
「相変わらず、減らず口を叩くな。そうか、忘れてしまったのか」
「だから誰なんだよ、てめえは!?」
焦れったくなって叫ぶ。するとその男はゆっくりと前に進み出た。
「私の名は、エクセル・ピクノ・ルミナ。イスバハン王国の国王である」
「何ィッ!?」
篠原の記憶が甦る。三ヶ月前、この手でぶちのめし、強制送還した腐れジジイだと。
「貴様、性懲りもなく抜け抜けと……」
「私は密入国したのを見つかり、本国に送り返されただけだよ。残念だったね、忍者君」
エクセルはその狡猾な笑みを篠原に見せた。篠原は周囲の敵の動きに警戒しながら、
「もうイスバハンは王国じゃないぞ。貴様は只の老いぼれだよ」
「違うな。確かに私は国王ではなくなったが、もう一つの顔であるスイスのメガバンクの頭取の肩書きはそのままだよ」
エクセルの言葉に、篠原は歯軋りした。
「くそ……」
日本政府そのものが加担したその事件は、有耶無耶のまま闇から闇へと葬り去られた。それは葵がイスバハンの王女ファラを気遣い、意図的にそうさせたのだ。
(葵の思いを逆手に取りやがって、このクソジジイめ!)
篠原の全身に怒りの炎が渦巻く。
「こんな形で君達に復讐できるとは、本当に幸運だ。君の仲間も全員、後から君のところへ送って差し上げよう、忍者君」
エクセルは勝ち誇って言い放つ。篠原の怒りは頂点に達した。
「ふざけるなァッ!」
彼はまさに目にも留まらぬ速さで動き、銃弾を掻い潜ってエクセルに接近した。
「おっと」
エクセルは後ろに飛び退いた。
「君の相手は、私ではなく、この者達がするよ」
その声と同時に現れたのは、二メートルを超す巨体の二人だった。
「やめとけ。怪我するだけだぞ」
「そうかな?」
エクセルの挑発めいた言葉の次に、その巨人の攻撃が始まった。
「ぬお!」
見た目より遥かに速い身のこなしで、二人は篠原に押しかかって来た。
「何だよ、案外やるじゃないか」
篠原はニヤリとしてその攻撃をかわす。
「でも悲しいかな、俺はお前らよりずっと強いぜ」
その言葉が理解できたのか、巨人二人は怒りの雄叫びを上げて、篠原に突進した。
「はい、おしまい」
篠原は二人をかわしながら、それぞれの首に手刀を叩き込んだ。
「グヘ……」
巨人二体は呆気なく倒れた。
「む?」
その隙にエクセルは車で逃亡していた。
「くそ!」
倉庫の中はもぬけの殻で、金村医師と烏丸医師の二人の姿もなかった。
「やられた……」
エクセルの挑発に乗ってしまった事を悔やむが、今更そんな事を考えてみても仕方がない。
「葵にどやされるなあ……」
篠原は溜息を吐いた。
葵は、篠原からの連絡で、エクセルが絡んでいる事を知り、ギョッとした。
「あのジイさん、まだ懲りてなかったのか」
「スイスの方も、潰しておくべきでしたね」
美咲も悔しそうだ。
「それにしても、護はドジッたわね。後でお仕置きしなくちゃ」
葵がそう言うと、
「どんなお仕置きするの?」
麗奈が嬉しそうに口を挟む。
「護は、葵から『お預け』っていう一番辛いお仕置きをされてるから、大丈夫でしょ?」
菖蒲の痛烈な皮肉に、葵は苦笑いした。
「行くわよ、美咲、茜」
「はい!」
三人は忍び装束のままで部屋を出て行った。
「ねえ、エクセルって誰?」
菖蒲が取り残された大原を見る。
「え?」
いつの間にか、彼は菖蒲と麗奈に詰め寄られていた。
「教えて、大原君」
麗奈が妙に色っぽい声で言う。
「ハハハ……」
早く帰りたい。大原は心の底からそう思った。
「陛下、ゴコマツの口を封じた方が良いのではないですか?」
エクセルの側近で、彼と共にイスバハンを脱出した男が言う。
「そんな事はもう手遅れだ。一刻も早く、日本を出る。それが一番なのだ」
エクセルは後部座席で眠っている金村医師と烏丸医師を見て、
「我らには、商品があるのだからな」
と呟いた。
「見通しが甘かったわ。エクセル元国王がイスバハンを出て暗躍しているなんて、全然情報がなかった」
葵は美咲の運転する車の助手席でぼやいた。美咲は、
「仕方ないですよ。あの人も裏社会のプロです。しかも、テロ国家を担って来ていたのですから、その筋のルートもあるでしょうし、まだ協力してくれる組織も多いでしょう」
「それで、ロシアンマフィアとうまい事やってる後小松に目をつけて、甘い汁を吸っていたら、私達が絡んで来たのでついでにリベンジっていうのが、一番ムカつくのよ」
葵は、自分達が「ついで」だった事に腹を立てているらしい。
「どっちにしても、みんなぶっ飛ばしちゃいましょう。それが一番です」
茜が後部座席から嬉しそうに口を挟む。葵は茜を見て、
「あら、珍しく意見が合うわね、茜」
「そりゃ、私は所長を尊敬してますから」
茜は満面に笑みを浮かべて言う。葵は呆れ顔で、
「
「えええ!? どうしてですかあ? ホントですよ、所長」
茜は妙に慌てている。葵はニヤリとして、
「ボーナスが復活しないかなって思ってるでしょ?」
図星を突かれ、ギクッとする茜。葵は笑って、
「心配しなくても、冬も夏もボーナス出すわよ」
「わーい! 所長、一生ついて行きます」
茜の露骨なお
「一生はついて来ないでね」
と応じた。
篠原は気絶させた大男の一人を締め上げ、エクセル達がどこに向かったのか聞き出した。
「新潟だと? 船でウラジオストックにでも逃げるつもりか?」
彼は大原に大男二人の件を連絡し、エクセルを追った。
「あのジジイ、里の掟がなければ、粉微塵にしてやりたいくらいだ!」
篠原は怒りに任せて怒鳴り散らしながらワンボックスカーを走らせた。「里の掟」とは、最強の忍びである彼ら月一族の憲法のようなもので、その中の一つに「殺すべからず」がある。どんな敵も命を取ってはいけないというものだ。
葵達も、篠原からの連絡で新潟へと進路を変更していた。
「ロシアに行かれてしまったら、話がややこしくなるから、何としても日本でケリをつけるわよ」
葵は前を見据えたままで言った。
「はい、所長」
美咲と茜が答える。
「それから、CIAや他の国の妙な連中に私達の獲物を取られるのも癪に障るから、誤情報をばらまいといて、茜」
「はい!」
茜は嬉しそうにミニパソコンを操作し始めたが、美咲は呆れて、
「所長、そこまでしなくても……」
「私だってやりたくないけど、あの人がうるさいでしょ?」
葵はムスッとして言った。美咲も「あの人」の性格を思い出し、
「そうですね」
と納得してしまった。
その当の「あの人」、皐月菖蒲は、疲れたのか、眠っていた。
「大人しくしてれば、美人なのにねえ」
そんな寝顔を松木麗奈が微笑んで見ている。彼女も妙な趣味を前面に押し出さなければ、知的美人であろう。
「麗奈さんも休んで下さい。我らが一族の誇りにかけてお守り致します」
葵の影達が麗奈に言った。麗奈はニコッとして、
「そうするわ」
と言ってから、影の一人の女性を見て、
「一緒に寝ない?」
「え?」
その影はギクッとした。麗奈はニヤッとして、
「冗談よ。お休みなさい」
と言うと、ソファに横になり、毛布を被った。影達は顔を見合わせ、溜息を吐いた。
大原は、茜からのメールで、エクセル達が新潟に向かっている事を知った。
「緊急配備をしますか?」
大原は何故かその質問を葵にしていた。
「私は貴方の上司じゃないわよ、大原君」
携帯の向こうで、葵の笑い声が聞こえた。
「いえ、でもその……」
勝手に配備したら、後で怒られそうだしとは言えない。
「緊急配備はいらないわ。連中、何かネットワークがあるみたいで、警察の情報が漏れてる恐れもあるし」
「ええ? そうなんですか?」
それは葵のハッタリだ。警察組織を動かさないための作戦である。
「とにかく、気を遣ってくれてありがとう。今度奢らせてね」
「はあ」
水無月さんは茜ちゃんがいるのでわざとそんな事を言ったのかな、などと邪推してしまう。
大原の推理は、邪推ではなかった。葵の話を聞いていた茜が剥れる。
「奢らせてって、どういう事ですか、所長?」
「うるさいなあ、あんたは。奢るのはあんたの役目でしょ、茜」
葵のその返しに、茜はドキッとした。
「え、それって、私が大原さんに抱かれろっていう意味ですか?」
美咲は危うくガードレールに車をぶつけてしまいそうになり、葵は呆れ返って何も言わない。
「茜ちゃん、あまりビックリする事言わないでよ」
美咲はルームミラー越しに茜を睨んだ。
「自分の願望をいちいち口にしないの、茜」
葵は前を向いたままで言った。茜はその言葉に赤くなり、
「が、願望じゃないですよ!」
と慌てて否定する。
「うるさいから、寝てなさい!」
「はい」
葵が本当に怒り出したので、茜は大人しくした。
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