第八章 深まる謎 10月1日午後10時

 皆村は、病院の玄関を入り、捜査員でごった返しているロビーを進む。彼は美咲がついて来ているか心配で振り返ったが、彼女は行き交う人々を巧みにかわして着実に皆村について来ていた。

(美咲さんて、スポーツ選手だったのかな?)

 その機敏な動きは、バスケットボールの選手を思わせた。

「あの、何か?」

 美咲が皆村の視線に気づき、尋ねる。

「あ、いえ、別に。人が多くて危ないですから、気をつけて下さい」

「はい、ありがとうございます」

 美咲はニッコリ微笑んで応じた。皆村は赤面し、また歩き出す。

 皆村は担当所轄の刑事に挨拶し、美咲を部下だと紹介した。

「今現在わかっている事は、この病院の外科医である烏丸暁氏が連れ去られたという事だけです。それ以上の事は何も……」

 皆村もあまり期待していない。自分が後小松総合病院の事件に関わった時も、

「何かの悪戯か?」

と思ったくらいなのだ。まだここの所轄は運がいい。ウチという前例があるから、動きがとりやすいはずだ。上層部を説得する事も必要ない。

「目撃証言は得られていますか?」

 皆村が尋ねる。

「はい。看護師の幾人かが、烏丸氏が黒い隊員服姿の連中に拉致されるのを見ています」

「顔は覆面で隠していたのですね?」

「ええ、そのようです。年齢、性別、国籍、全て不明です」

 皆村はデジャブを見ている気分だった。

(後小松事件と全く一緒だ)

「院長にお話を伺えますか?」

 美咲が口を挟んだ。皆村はハッとしたが、

「院長は海外出張中で不在です。外科部長になら話を訊けますよ」

と答えが返って来たので、困惑した。

(あれ?)

 何となくではあるが、ここの担当者と美咲が、顔見知りのような気がした。

(まさかね)

 美咲は謎が多い女性だが、警察にコネクションがあるとは思えない。

(大原が動いたのか?)

 それなら自分のところにも大原から連絡があるはずだ。

「こちらです」

 皆村と美咲は、外科部長がいる部屋へと案内された。


 葵は麗奈の車で葵のマンションへと向かっていた。

「別に葵が一緒なら、事務所でも大丈夫なのに」

 助手席で甘えた声を出す麗奈に苦笑いしながら、

「私のマンションの方が安全です。それに、美咲も茜も、そのうち集合しますので」

と葵は答えた。

「あらん、美咲ちゃんが来るの? それを先に言ってよ、葵」

 こんな姿を見たら、麗奈のクライアントは彼女の事をどう思うだろうと葵は考えてしまった。

「あれ?」

 地下駐車場に乗り入れると、見慣れた白のワンボックスカーが目に入った。

「どしたの?」

 葵が憂鬱そうな顔になったので、麗奈が尋ねた。

「護が来てます」

「そうなんだあ。私、お邪魔?」

 麗奈のその言葉に葵は、

「いえ、護だけならいいんですけど」

「ああ」

 麗奈は葵の憂鬱な顔を了解した。菖蒲おまけが同乗して来ているのだ。

「まあ、追い返す訳にもいかないわね」

 麗奈は苦笑いする。葵は肩を竦めて、

「そうですね」

 二人は車を降りると、エレベーターホールに向かう。

「先に行ってるのかしら?」

「多分、ドアの前で仁王立ちして、『遅いわ、葵!』とか言われそうです」

 葵がそう言うと、麗奈はゲラゲラ笑った。

「目に浮かぶ~」

 嬉しそうだ。

(麗奈さんて、菖蒲さん以上のドSだな)

 葵は含み笑いをして、エレベーターのボタンを押した。


 その頃、大原と茜は警察庁を出ていた。

「そろそろ水無月さんのマンションに行った方がいいんじゃないかな?」

 大原が車を通りに進ませながら言うと、茜は、

「まだ早いですよ。今行ったりしたら、菖蒲さんだけいるような気がするんです」

 茜が菖蒲という女性を怖がっているのはわかったが、どうして怖いのかは大原にはわからない。

「篠原さんのお姉さんて、そんなに怖いの?」

「ええ、それはもう」

 茜は身震いして見せた。

「一度会ってみたいな」

「あの人、男の人には天使のような笑顔で接するんです。気をつけて下さいね」

 茜が妙に力を入れて言ったので、大原は、

「どうして?」

と尋ねてみた。茜は顔を赤くして、

「大原さんが菖蒲さんに誘惑されちゃうと嫌だから……」

 最後の方は、聞き取れないくらい声が小さくなった。大原は大笑いして、

「大丈夫。僕は茜ちゃん一筋だから」

「……」

 大原のその言葉に、茜は顔が爆発しそうだった。


「葵、遅いわよ。私、ここで餓死するかと思ったわ」

 マンションのドアの前で、葵が予想した通りの反応をした菖蒲を見て、葵と麗奈は笑いを堪えるのが大変だった。

「何がおかしいのよ、葵? 貴女まで何よ、麗奈!」

 剥れる菖蒲を見て、とうとう弟の篠原まで笑い出してしまう。

「あなた達、後で覚えてなさいよ」

 菖蒲はカンカンになって言い放った。

「どうぞ、お入り下さい、菖蒲さん」

 葵は笑いを堪えながら、ドアのロックをカードキーで解除した。

「全く! 護君!」

 まるで古代エジプトのクレオパトラのように、菖蒲は篠原にドアを開けるように命じた。

「はいはい」

 篠原も逆らわずにドアを開く。

「失礼」

 葵は菖蒲を追い抜いて、部屋の明かりを点け、奥へと走った。

「また黒い救急車が現れたらしいな」

 玄関で靴を脱ぎながら、篠原が言った。

「みたいね。今、美咲が現場の病院に行っているわ」

「さすがに早いな」

 篠原はニヤリとして葵に近づく。

「イチャつくのは、私達が帰ってからにしてね、護君」

 菖蒲の強烈な嫌味が放たれる。

「姉さん!」

 篠原はムッとして菖蒲を見た。しかし菖蒲はそれを無視して、

「葵、何か食べるものある? 手術が長引いて、お腹ペコペコなのよ」

「ありますよ」

 葵はにこやかな顔で応じた。

「貴女達がモタモタしていたから、また次の犠牲者が出てしまったわ。反省しなさい、葵」

 菖蒲の話は暴論である。葵達が事件に関与してから、まだ二十四時間も経っていないのだから。

「無理言うなよ、姉さん。まだ警察だって何も掴んでいないんだぞ」

 篠原の正論も、菖蒲の前では何の役にも立たない。

「そんな事は関係ないわ。葵達は、警察より能力が高いのだから、警察に遅れをとってはいけないのよ、護君」

 相変わらずの「護君」の連発で、篠原はウンザリ顔だ。

「申し訳ありません、菖蒲さん。金村さんを殺害した犯人は、必ず捕まえますので、もう少し待って下さい」

「……」

 金村の名前が出た途端、菖蒲の口が動かなくなった。麗奈がクスッと笑う。

「ねえ、美咲ちゃんはいつ来るの、葵?」

 その声に菖蒲が反応した。

「まだそんな事をしているの、麗奈? 一度心療内科を受診しなさい」

「ありがとう、菖蒲。でも私は至って健康だから、心配しないで」

 麗奈のお恍けに菖蒲はムッとし、

「女なのに、女が好きっていう事自体が、病気なのよ。もっと真剣に自分と向き合いなさいよ」

「はいはい」

 麗奈は肩を竦めた。菖蒲にかかれば、どんな人間も「病気」にされる。それでも葵は、麗奈は本当に一度診てもらった方がいいと思っていた。決して同性愛者を否定するつもりはないが。


 美咲と皆村は、外科部長室に案内されていた。

「私が外科部長の八幡原やはたばら栄伍えいごです」

 机の向こうに立っている細面の男が言った。五十代くらいだろうか?

「少々お尋ねしたい事があるのですが」

 皆村が言い出す前に、美咲が口を開いた。

(いつの間にか、俺が美咲さんの部下みたいだな)

それはそれで悪い気はしないので、皆村は何も言わずにいた。

「わかりました。どうぞ、おかけ下さい」

 二人は机の前にあるソファに並んで腰を下ろす。ごく自然の行為なのだが、皆村は隣に美咲がいるのを改めて実感し、ドキドキしていた。

「連れ去られた烏丸さんの事なのですが、どんな方ですか?」

 美咲はメモ帳を取り出して八幡原部長に尋ねた。八幡原は美咲達の向かいに腰を下ろしながら、

「真面目で、仕事熱心な男ですよ。まだ三十代ですが、患者の評判も、看護師達の評判も上々で、将来有望ですな」

 八幡原は、烏丸医師を褒めちぎっているが、その顔は真実を語っているようには見えない。美咲は不信に思い、

「烏丸さんは、医療ミスとか起こした事はありませんか?」

 美咲のその質問に、八幡原は一瞬露骨に嫌な顔をしたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべ、

「いえ。彼は優秀です。医療ミスなど起こした事はありません」

と言い切った。美咲は確信した。

(烏丸医師は、何か弱みでも握られているのかしら? どうもこの部長、胡散臭い)

「そんな事を訊くなんて、まさか刑事さん達、あの都市伝説を信じているのではないでしょうね?」

 八幡原がバカにしたような顔で美咲をも見る。皆村がムッとして身を乗り出すと、

「まさか。あんなバカげた話、信じる訳ないです。話としても、三流ですから」

 美咲が皆村を制するように強い調子で否定した。

「それは良かった。やはり、刑事さんは、我々医者と同じで、理性的で、現実的でないといけない」

 八幡原はニヤリとして応じた。美咲も作り笑いをした。

「それにしても、八幡原さんがあの都市伝説をご存知とは思いませんでした。どこでお知りになったのですか?」

 美咲のその言葉に、八幡原はギクッとしたようだ。

(こいつ、何か知っているな?)

 少なくとも、黒い救急車の都市伝説は一般紙には掲載されていない。警察も記者会見でその事に触れていない。そんな知識があるとすれば、インターネットで調べたか、事件の関係者かしかないのだ。もちろん、病院の横の繋がりで知っている可能性もあるが、先程の八幡原のリアクションは、

「私は関係者です」

と言っているのと同じだった。

「ハハハ、息子がインターネットで調べて、教えてくれたのですよ。後小松先生の病院の事件も、聞き知っていますしね」

 八幡原は、そんな言い訳にしか聞こえないような事を言いながら、汗まみれになっていた。

「ほお、なるほどね」

 皆村は凄みを利かせた顔で八幡原を睨み、頷いてみせた。八幡原はスッと身を引いた。

 美咲と皆村は、何かあったら連絡するように言いおき、外科部長室を出た。

「何か知ってますね、あのオヤジ」

 皆村が前を向いたまま言った。美咲は頷いて、

「ええ。でも、多分断片的な事しか知らないと思います。それに、あまり問い詰めると、消されてしまうかも知れません」

「えっ?」

 皆村はビクッとした。

「どういう事ですか、神無月さん?」

 思わず美咲の方を見た。すると、彼女の顔は皆村の顔からほんのわずかの距離にあった。

「あっ!」

 皆村は慌てて離れる。

「実はですね」

 美咲はどうしようかと迷っていたのだが、皆村に暴漢の話をした。

「そ、そんな!」

 皆村は驚きのあまり、そのまま気を失いそうだった。

「大丈夫なんですか、神無月さん? 銃で狙撃されたって、どうして自分に言ってくれなかったんです?」

「申し訳ありません」

 美咲が深々と頭を下げたので、また慌てる。

「あ、いや、別に自分は貴女を責めている訳ではなくてですね……」

「大原さんがいたので、大原さんに言いました」

 美咲はバツが悪そうに言い添える。大原の名を出されては、それ以上何も言えない。

「し、しかし、もう危険ではないですか? これ以上関わらない方がいいですよ、神無月さん」

 皆村が真剣に美咲の事を心配してくれているのはよくわかっていた。しかし、この事件は根が深い。仮にここで手を引いたところで、連中は見逃してくれないだろう。いや、それよりも、菖蒲が何を言い出すかわからない。どちらかというと、暴漢達より菖蒲の方が気がかりな美咲である。

(どうしよう? 全部話してしまった方がいいのかしら?)

 美咲は悩んだ。こんな時ばかりは、あまりくよくよ考えずにズバッと行動してしまう葵や茜の性格が羨ましくなる。

「神無月さん?」

 皆村は、美咲が黙り込んでしまったので、機嫌を損ねてしまったのかと思い、アタフタしていた。

「あ、ごめんなさい、考え事をしていました」

 美咲は決まりが悪そうに微笑んで皆村を見た。皆村は美咲が怒っているのではないのを知ってホッとした。

「あの、お話があるのですが、お時間大丈夫ですか?」

「え?」

 皆村はドキッとした。

(な、何だ? 今度は何だ?)

 美咲が只の探偵ではない事を薄々は感じている皆村であるが、彼女の正体を知りたい反面、知りたくないとも思ってしまう複雑な感情が彼の中で渦巻いていた。

 美咲は病院の端まで皆村を誘導し、周囲に誰もいない事を確かめてから、

「実はですね」

と話し始めた。

 美咲の話は、皆村には衝撃が強過ぎた。か弱い女性を守ろうと必死になって動いていた皆村は、自分がとんだ道化だったと感じたのだ。

「今まで黙っていてごめんなさい。許して下さい」

 美咲はまた深々と頭を下げた。

「いや、そんな事しないで下さい。自分は全然気にしていませんから」

 それはウソだ。しかし、皆村は美咲に対して怒りを感じたりはしていない。確かに自分は道化だったかも知れないが、それは美咲がそう仕向けた訳ではなく、皆村自身の勝手な思い込みから始まっている事なのだ。

「では、今まで通り、協力して頂けるのですか?」

 美咲はまた「悪魔のウルウル」を無意識のうちに発動していた。

「も、もちろんです。当たり前じゃないですか」

 皆村は辛うじてその「ウルウル」を見なかったので、命拾いした。

「ありがとうございます、皆村さん」

 美咲がギュッと手を握って来た。皆村は卒倒寸前だった。

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