第七章 黒い救急車再び現る 10月1日午後9時
葵は美咲たちより先に麗奈の事務所があるビルの前に到着していた。
(それにしても、私達が関わったその日のうちに事件が動くとはね。黒幕は後小松のジイさんで決まりだろうけど、理由がわからない)
何故後小松院長は黒い救急車の事件を考えたのか? その点が不明だ。殺人は誰かに実行させているのだろうから、自分に疑いがかからない対策は採っているはず。それなのに何故、こんな大掛かりな方法で事件を起こすのか? しかも連続して?
「もっと何かあるって事か」
葵がそう呟いた時、麗奈の車が目の前に停まった。
「所長、早かったですね」
美咲が運転席から降りるなりそう言った。
「お久あ、葵。元気そうね?」
すっかり酔いが覚めた麗奈が助手席の窓から顔を出す。
「どうも、麗奈さん。危なかったらしいですね」
葵は愛想笑いをして応じた。すると麗奈は、
「私は美咲ちゃんに抱かれて死ねるのなら、そこが下水道の中でもOKよ」
「……」
葵は呆れて美咲と顔を見合わせた。
そして事件の黒幕と思われる後小松院長は、何者かと携帯で話していた。
「しくじっただと? 何をしているのだ!? 警察は全て抑えている。心配するな。何としても連中を消せ。事業の邪魔だ」
院長は、美咲達に見せた顔を更に凶悪にしていた。彼は携帯を切り、別の相手にかけ直した。
「私だ。仕事を急げ。相手は一筋縄ではいかん。もちろん、支援は続ける。しかし、今回の失態は必ず埋め合わせしろよ」
院長は携帯を切り、椅子に座った。
「あの弁護士だけでも鬱陶しいのに、探偵までしゃしゃり出て来るとは……」
彼はこっそり隠し撮りした美咲の写真を見た。
「この女、何者だ?」
院長の眉間に深い皺ができる。
皆村刑事は、署に戻っていた。
捜査関係者達は電話の対応に追われていて、オペレーター達はコンピュータと首っ引きで格闘している。まるで野戦病院である。
「今度はどこですか?」
彼は捜査本部がある会議室に飛び込むなり、刑事課長に尋ねた。
「まだ情報が交錯している。何者かがデマを流しているらしくて、現場が特定できていない」
「ええ?」
皆村は意外な返答に驚いた。
「発信元が特定できない密告電話がかかって来ているばかりでなく、署のメールアドレスにも迷惑メールフォルダが満杯になるほどの量のメールが送られて来ているんだ」
「……」
皆村は、美咲達の事が気になった。
(そんな事ができる連中と関わったりしたら、美咲さんが……)
未だに美咲達が自分達より凄腕だと知らない皆村は、本気で美咲の身を案じていた。
そして警察庁に戻った大原と茜は、大原の部屋に行った。途中、女連れの大原を見て驚く職員達に出くわしたが、大原も茜も一切取り合わず、廊下を進んだ。
「さてと。取り敢えずデータを収集しないとね」
「はい」
大原と茜は、それぞれデスクトップパソコンを起動させた。
「茜ちゃん、パスワードわかる?」
「はい、年中アクセスしてますから」
笑顔でサラリととんでもない事を言ってのける茜に、大原は苦笑いした。
「一応言っておくけど、それ、犯罪だからね」
「はーい」
茜は陽気に応じた。大原は溜息を吐き、
「じゃ、頼むね」
「はーい」
茜は超高速でキーボードを打ち始める。大原は茜の指のスピードに驚いていたが、
「おっと」
と自分もモニターを見て手を動かす。
「何ですか、このメール? 警察庁のガードを軽々とかわして、鬼のように攻め込んでますけど」
茜が叫ぶ。大原は頷いて、
「前回の事件の時にも、同じ事が起こってるんだ。どうやら大きな組織が動いているようだよ」
「後小松のジッちゃんが、そんな凄い事できますか?」
茜は当然の疑問を口にした。
「そうだね。いくら医療界を牛耳っている男でも、そこまではできないと思うよ。彼はこの事件の関係者の一人に過ぎないかも知れないね」
大原はキーボードを叩きながら言った。
「どうやら、破壊目的ではなく、混乱目的のようだね。排除を始めた途端、潮が引けるように撤収した」
「引き際が鮮やかです。プロですよ」
茜は大原を見た。
「そうだね。思った以上に厄介な連中だ」
大原も茜を見て言った。
葵達は、麗奈の事務所にいた。すでに事務員達は帰宅し、彼女達の他には誰もいない。
「相変わらず、メルヘンしてるんですね、麗奈さん」
葵は壁紙を見渡して言った。麗奈はコーヒーメーカーの電源を入れて、
「そうよ。私は永遠の少女なの」
とニッコリ笑って言う。そして、
「私達が襲撃されたって事は、菖蒲も危ないんじゃないの?」
「大丈夫ですよ。菖蒲さんには、
葵はニヤッとして答える。美咲は何故かそれを聞いて溜息を吐いた。
「そっか、護君がいるもんね。頼もしい弟だわ」
どういう訳か、麗奈はクスクス笑っている。
「あいつもお姉さんのガードなんて嫌でしょうけどね」
葵がそう言うと、
「菖蒲のボディガードなんて、誰だって嫌よ。うるさいし、我が儘だし」
麗奈までそんな事を言い出す。美咲は菖蒲に密かに同情した。
「そうですね」
葵はケラケラ笑った。そして、
「ここもそろそろ危ないですから、私の事務所に行きますか、麗奈さん」
「そう? コーヒーくらい飲んで行けるでしょ?」
麗奈は全然緊張していない。忍びではないが、やはり月一族だからなのだろうか?
「それくらいは大丈夫だと思います」
葵はチラッと美咲を見て答えた。美咲は頷いてドアに走る。
「え? どうしたの?」
麗奈がそれに気づいて尋ねる。葵は、
「ああ、ご心配なく。まだ敵はこのビルに入った辺りですから」
「そんな遠くなのに感じるの?」
麗奈は葵達の力に驚嘆した。
「ええ。それが仕事ですから」
葵は笑顔で答えた。
そして噂の菖蒲は、不愉快な顔をして病院の廊下を歩いていた。
「だから姉さん、危ないから俺のところに行こう」
隣を篠原護が歩いている。
「私は、誰かのせいで自分の仕事を邪魔されるのが一番嫌いなのよ。ここから出たりしないわよ」
「姉さん!」
篠原は菖蒲の前に立ちふさがった。
「どきなさいよ、護君!」
菖蒲が怒鳴る。菖蒲は篠原を睨みつけて、
「私はこれからオペなの。邪魔しないで」
「ダメだって。姉さんがここにいる事で、他の人達にも迷惑がかかるんだからさ」
篠原はそれでも説得を続けた。
「そんな事、貴方が何とかしなさいよ、護君。そのためのボディガードでしょ!」
「……」
さすがに篠原も姉の言動に言葉を失ってしまった。どこまでも我が儘な姉だ。
「オペしなければ助からない命があるのに、自分の命惜しさに逃げ出すなんて、私にはできないわ」
菖蒲の事をよく知らない人が聞けば、
「医師の鑑だ」
と感激するだろうが、彼女はそれを方便として使っているだけで、本当にそんな事を思っているのではない事を篠原はよく理解している。でも、いくら何を言っても、絶対に自分の言う事を聞くとは思えないウルトラ頑固な姉との不毛な言い合いを諦め、篠原は決断した。
「わかった。そこまで言うなら、俺は外で姉さんを守るよ」
「やっとわかってくれたのね、護君。さすが、私の弟だわ」
菖蒲はニッコリして手術室に入って行った。篠原は、
「全く、付き合い切れないな」
と呟き、溜息を吐いた。
皆村は、交錯する情報がようやくまとまり、黒い救急車が現れた場所が特定された事を知った。
「どこなんです?」
彼はまた刑事課長に迫った。
「大日本医科大学付属病院だ。
「大日本医科大ですか。となると、合同捜査本部が立ち上げられますね」
皆村は嫌な予感がしてそう言った。刑事課長は、
「そうだな。そこはウチの管轄ではない。本庁に捜査本部が移転し、合同捜査本部になるだろうな」
面倒臭くなるな。皆村はウンザリした顔になった。
(このままだと、美咲さんに情報を伝えにくくなるな)
すっかり美咲の虜になっている事を自覚していない皆村である。
「ホシの足取りは掴めたんですか?」
「まだだ。何しろやっとの思いで現場を解明したところなんだ。何もわかっていないよ」
刑事課長は苛ついたように怒鳴った。
「取り敢えず、現場に急行し、あちらの所轄と顔合わせしておけ」
「わかりました」
皆村は渋々頷き、署を出た。そして携帯を取り出し、美咲に連絡する。
「あ、神無月さんですか?」
美咲は慌てているようだ。
「ごめんなさい、かけ直します」
「は、はい」
皆村は見えてもいない美咲に向かってお辞儀をし、携帯を切った。
「取り込み中?」
何があったのだろうと思ったが、女性の事をあれこれ詮索するのは失礼だと考え、美咲からの連絡を待ちつつ、事件現場に向かった。
美咲が皆村から連絡を受けたのは、ちょうど麗奈の事務所を襲撃しようとしていた連中をなぎ倒した直後だった。
「ここは三人で襲撃か。私のとこは一人だったのに」
葵は賊を特殊なロープで縛り上げながら呟いた。
「所長が暴漢をあっさり倒したので、人数を増やして来たのかも知れませんね」
美咲が推理する。
「かもね。でも、増員が少な過ぎたわね」
葵は気絶している賊を見て言った。
「ホント、美咲ちゃんて強いのねえ。私の専属のボディガードにならな……」
「お断わりさせて頂きます」
麗奈がニコニコして言いかけたのを遮るように葵が拒絶した。
「ひどーい、葵ったら。そんなに即答しなくてもさあ」
麗奈は膨れっ面をした。葵はそれでも、
「麗奈さんのガードは、私がします。美咲には警察とのパイプ役になってもらいますので」
「あーん、残念」
麗奈は美咲を見てウィンクした。美咲は只苦笑いをするのが精一杯であった。
「さっきの、例の刑事からだったんでしょ? すぐにそこの所轄に行って、美咲。ここは私が引き受けるから」
「はい」
美咲は嬉しそうに答えると、サッと駆け去ってしまった。
「葵ったら、美咲ちゃんを私から守ろうとしてるでしょ?」
麗奈は葵を目を細めて睨んだ。葵はニッとして、
「はい。可愛い部下を麗奈さんの毒牙に晒す訳にはいきませんので」
「まァ、言うわね。でもさ、私、葵でもいいのよ」
麗奈の言葉に、葵は全身総毛立った。
「冗談はやめて下さい、麗奈さん」
麗奈はケラケラ笑って、
「冗談よ。そんな事したら、私、菖蒲と護君に怨まれちゃうから」
「護はともかく、菖蒲さんは何とも思わないのでは? 私、嫌われてますから」
葵は苦笑いして言った。すると麗奈は楽しそうに笑い、
「とんでもない。あいつ、酔っ払うと貴女の事をベタ褒めするのよ。一度見せてあげたいわ」
「ええ? 信じられないです」
葵は目を丸くして驚いた。
美咲は走りながら皆村の携帯にかけた。
「ごめんなさい、皆村さん。ちょっと手が放せなくて。どうされましたか?」
「現場がわかりました。大日本医科大学付属病院です」
「そうなんですか」
美咲はすぐにその病院の場所を頭の中で思い出す。
「今向かっているところなんです。神無月さんはどこにいらっしゃるんですか? 迎えに行きますよ」
「大丈夫です。その病院なら、それほど離れていないので、直接向かいますから」
「そうですか」
皆村の寂しそうな声を聞き、美咲は悪い事をしたかな、と思ったが、
「では現場で」
と言い、携帯を切った。
(大日本医科大学付属病院か。ここから、十キロ程度ね。七分で着けるかしら?)
彼女は忍び装束に着替え、夜の闇の中を走り出した。
篠原は、大学病院の周辺をうろついていた怪しい連中を全員ボコボコにし、大原を通じて警察に引き渡した。
「結局、姉さんは狙われていなかったのか?」
篠原は苦笑いをした。
「暴漢にまで嫌われたのかな?」
何とも酷い事を思う弟である。
しかし、そうではなかったのだ。本当は、葵を襲撃した男と、麗奈を襲撃した連中が、菖蒲を襲撃する予定だったのだ。つまり、襲撃者がいなくなってしまったのだ。これも菖蒲の悪運の強さなのかも知れない。
「どこのどいつか知らないが、とんでもない女達を相手にしている事を知ってるのかね。可哀想で仕方がない」
篠原は手を合わせて念仏を唱えた。
後小松院長は、襲撃者達がことごとく捕えられてしまったのを知り、激怒していた。
「何という事だ。話が違うではないか」
彼はイライラしながら、どこかに携帯で連絡をした。
「私だ。お前のところの連中は、全然役に立たんな。言い訳はいい。我々のビジネスの根幹に関わるのだぞ。何とかしろ。いいな」
後小松は携帯を切り、ソファの上にドスンと腰を下ろした。
「忌ま忌ましい女共だ」
彼は苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。
皆村は大日本医科大学付属病院に到着した。
「皆村さん」
思ってもいない声が彼を呼んだので、皆村は仰天した。
「え?」
声の主を見ると、そこには間違いなく美咲が立っていた。眩しい笑顔で。もちろん、美咲はスーツに着替え直している。
「神無月さん! 本当に近くにいらしたんですね」
「ええ、まァ」
美咲は苦笑いして言った。
(本当は、皆村さんより遠かったんだけどね)
でもそれは言えない。
「取り敢えず、神無月さんは私の部下という事で通しますので、そのおつもりで」
「わかりました」
また苦笑いする美咲。すでに葵が警視総監を通じてこちらの所轄にも手を回しているはずなのだ。でも、皆村に悪いので、彼の作戦に従う事にした。
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