第六章 女達の戦い 10月1日午後8時

「さてと。誰も帰って来ないんだから、もういいかな」

 葵は机の上を片づけ、席を立った。

「?」

 その時、妙な気配を感じた。

( まさか、星一族? )

 彼女は周囲を探った。

「違うか。連中なら、こんな簡単に気配を感じさせないわね。どこかのおバカさんが、命知らずにもここに来ようとしているのか」

 葵はニッとした。

「あれ以来、鍛錬は怠っていないし、すっかり回復したから、肩ならしでもしますか」

 彼女は実に楽しそうに事務所を出た。


 皆村は剥れていた。しかし、それは心の中だけだ。美咲を前にして、不機嫌な顔など間違っても出来はしない。

「申し訳ありません、先輩。まさか、先輩達がいらっしゃるとは……」

 大原は気まずそうに言った。

「しょうがないよ、偶然なんだからさ」

 皆村は精一杯の作り笑いで応じた。

 美咲と食事。死ぬ程緊張すると思った。

 ところが美咲と一緒に変な女が現れた。その女までは許せる。二人きりだと何も喋れなくなると思ったからだ。

 しかし、向かったレストランに何故か居合わせた大原と子供みたいな女。偶然として片づけるには、あまりにも不自然だ。皆村がどれほど勘ぐっても事実は事実。どうする事も出来ない。

「……」

 同じテーブルに着いた男2人、女3人。妙な緊張感と、えも言われぬ嫉妬心が渦巻いている。

 茜は美咲を警戒している。麗奈は大原と皆村を警戒している。皆村は大原を警戒している。複雑な人間模様だ。

「あの、こちらの方は?」

 麗奈は警戒しながらも美咲に尋ねた。美咲は苦笑いをして、

「そちらの女の子が私の職場の同僚の如月茜さんです。そして、そのお隣が警察庁の大原統さんです」

「なるほど」

 麗奈は嬉しそうに微笑んだ。そして、彼女は皆村に目を転じた。

「こちらのその筋の方みたいな怖い目つきの男性は?」

 随分と棘のある言い方である。皆村自身、自分の顔が強面なのは十分理解しているが、それを面と向かって、しかも美咲の前で言われたのは心外だった。美咲は苦笑いをして、

「刑事さんです。さっきお話した、殺人事件を担当されている……」

「ああ、そうなの」

 麗奈はニコッと作り笑いをして、

「よろしく、刑事さん」

 皆村はムカついていたが、美咲の知り合いのようなので、

「こちらこそ」

と応えた。

「皆村さん、この方は松木麗奈さん。後小松総合病院に対して、医療訴訟を起こす予定の弁護士さんです」

「後小松に訴訟? 弁護士?」

 あまりに意外な人物だったので、皆村はアホ面をして麗奈を見た。

「あらかじめ申し上げておきますが、美咲さんは私の物ですから」

 麗奈の仰天発言に、皆村は息を呑んだ。茜はもう少しで携帯を落とすところだったし、大原は呆気に取られて麗奈を見ていた。

「麗奈さん、そういう冗談はやめて下さい」

 美咲は真顔で言った。麗奈は美咲を見て、

「あら、冗談じゃなくて本気よ」

「……」

 美咲は何も言い返さなかった。

「バカ話はそれくらいにして、オーダーをとりませんか」

 皆村も負けずに皮肉タップリの言葉で応じた。

「そうですわね、組長さん」

 麗奈は更に皆村を刺激した。しかし、皆村はそれには応じず、

「それにしても、最近の弁護士先生は、まるでキャバ嬢みたいな格好でお仕事されるのですね、松木先生?」

「そうですの。私、見ての通り絶世の美女ですから、それを武器にしない手はないのですわ、組長さん、あ、ごめんなさい、刑事さん」

 麗奈は一歩も退かなかった。茜と美咲は顔を見合わせた。大原は堪りかねて、

「皆村さん、もうその辺でやめてください。松木先生は良き協力者ですよ」

「……」

 皆村はムスッとして腕組みをした。麗奈はニッコリして、

「ありがとうございます、大原さん。もう少しで私、泣いてしまいそうでしたわ」

 目を意図的にウルウルさせて言った。大原は苦笑いして、

「ど、どうも」

とだけ言った。


 一方葵は、外廊下を歩き、エレベーターの前まで来ていた。

( 殺気はまだ感じる。何人? どんな手合い? )

「おい、そこの女。お前の所のバカが、俺の知り合いの病院に押し掛けて何やら不愉快な事を尋ねたそうだ。すぐにやめさせろ。でないと、痛い目に遭うぞ」

 エレベーターの脇から、大男が現れた。どうやら日本人ではないらしい。白人のようだ。「ようだ」というのは、黒い覆面を着けているからである。身長は2メートルを軽く超えている。体重も百キロ以上あるだろう。葵は溜息を吐いた。

「あんた達こそ、私らの事務所がどんなところと付き合いがあるのか調べてから近づいた方がいいわよ」

「何ィ?」

 男は葵がハッタリを言ったと思い、彼女に掴みかかろうとした。葵はそれを軽くかわした。

「いきなりボディタッチはいけないわよ、おじさん」

「ふざけるな!」

 男は激怒し、葵に再び掴みかかった。

「しつこい男は嫌われるわよ、おじさん」

「殺す相手に好かれても仕方なかろう!」

「誰が誰を殺すの?」

 葵はせせら笑って尋ねた。男は逆上して、

「俺がお前をだよ!」

と叫び、サバイバルナイフを取り出した。

「あらあら、そんなの持ってると、お巡りさんに職質された時、絶対捕まるわよ」

「うるさい、このバカ女!」

 男はナイフを振り上げて、葵に突進した。

「危ないわね」

 葵はそれをヒョイッとかわし、よろけて倒れ込む男の背中に蹴りを入れた。

「うおっ!」

 巨体の割には脆い男だ。簡単に倒れてしまった。

「このォッ! バカにしやがって……。それにしても、その身のこなし、一体何者だ?」

 男は立ち上がりながら葵を見た。葵は肩を竦めて、

「探偵事務所の所長よ」

「巫山戯るな! 探偵事務所の所長が、この俺の攻撃をそう易々とかわせるものかよ!」

 男は激怒したようだ。

「鬱陶しいわね、おじさん。あまりしつこいと、痛い目に遭わせるわよ」

 葵は目を細め、仁王立ちで言い放った。

「ほざくな!」

 男はまたナイフを振りかざして葵に突進する。

「芸がなさ過ぎよ、おじさん!」

 葵はフワッと飛び上がってそれをかわし、

「はっ!」

と首の後ろに手刀を叩き込んだ。

「ぐへっ!」

 大男はそのまま前のめりに倒れ、動かなくなった。

「こんなところで倒したくなかったんだけど。後は警察に任せちゃおう」

 葵は携帯を取り出し、

「ああ、総監に繋いで。えっ? 水無月葵よ。五分以内に私の事務所に暴漢を引き取りに来なさいって伝えて」

 天下の警視総監が、まるでお使い小僧である。

「バカなの、後小松ってジイさんは? こんな事して、とっても後悔する事になるわよ」

 葵は嬉しそうに倒れている男の上に腰を下ろした。

「さてと」

 手袋を着け、服を探る。ポケットに携帯電話が入っていた。しかし、着信も発信も履歴なし。もちろん、電話の登録もなし。

「なるほどね。それなりのプロだけど、私達に挑むにはまだまだレベルが低過ぎたわねえ」

 葵は携帯をバッグから取り出したビニール袋に入れた。

「そーれからっと」

 男が握り締めたままのサバイバルナイフをもぎ取る。

「これもっと」

 携帯と一緒に袋に入れる。

「ついでに顔も見ておこうかな」

 葵は覆面を剥ぎ取った。そして結果を見て後悔した。

「うへ、見なきゃ良かった……。弱い上に不細工じゃ、この世界で生きていけないわよ」

 その時携帯が鳴った。

「はーい、総監。忙しいのに悪いわね。え? そう、わかったわ。それから、後小松総合病院の事件なんだけど?」

 総監は何か言っている。

「そうなんだ。凄いのね、そのジイさん。フーン。天下の警視庁が、手も足も出ないって訳ね」

 総監は何やら必死に言い訳しているようだ。

「はいはい。いいわよ、そんなに一生懸命部下達を庇わなくても。私は別にそんな事をつつくつもりはないわ。只、後小松のジイさんには、きっちりお礼に伺うけどね」

 今度は慌てているようだ。総監が可哀相である。

「心配しなくて大丈夫よ。警視庁さくらだもんには迷惑かけないから。安心して。じゃ、また」

 葵は携帯を切り、次に美咲の携帯にかけた。


「はい」

 美咲は天の救いとばかりに葵からの連絡を受けた。彼女は麗奈達に会釈して、席を立った。

「どうしたの、美咲? 人の声がたくさんしてたけど?」

「今、茜ちゃん達と合流して、食事中なんです」

 美咲は小声で答える。すると葵は、

「何よ、私だけ仲間はずれなの? 美咲までそういう事するの?」

「違いますよ。後小松総合病院から出て、麗奈さんに自宅まで送るって言われて困っていたところにですね……」

 美咲は慌てて弁解した。

「言い訳はいいわよ。場所はどこ?」

 葵の声は、有無を言わせないトーンだ。

「はい……」

 麗奈と皆村だけで一触即発状態なのに、この上葵まで乱入したら、どうなるかわからない。美咲は逃げ出したかった。

「誰から?」

 美咲が席に戻ると、麗奈が小声で尋ねて来た。

「水無月からです」

「へえ。ここに来るの?」

 麗奈と美咲の会話を聞きつけた茜が、

「えええ!? 所長が来るんですかあ?」

 大声で言う。皆村も大原も茜を見た。茜は注目の的になっている事に気づき、

「あ、いえ、その……」

 口ごもった。

「所長って?」

 今度は皆村が大原に小声で尋ねる。大原は苦笑いして、

「水無月葵さんです。奇麗な方ですよ」

「そ、それはどうでもいい」

 皆村はギクッとした。

(こいつ、すっかり俺の事を面白がってるな)

 彼はムッとして大原を睨んだ。

「何ですかあ、刑事さん? 大原さんに何か?」

 その視線に気づいた茜が、さっきから気に食わなかった皆村に言い放った。

「いや、別に」

 皆村にとって、茜は子供にしか見えないので、全然怖気づく要素がない。逆に威嚇するように彼女を見据える。でも茜も強面には経理の専門学校に行っていた頃から慣れているので、全くビビッたりしない。

(全く、このガキ、いけ好かねえ)

 皆村は茜を睨むのをやめて、食事を続けた。

「皆村さんは、茜ちゃんの事が嫌いなんですか?」

 大原が小声で尋ねる。茜は麗奈と話しているので、聞こえていないようだ。

「嫌いも何も、彼女の事は何も知らないよ」

「茜ちゃんは、神無月さんの妹分なんですから、あまり苛めないで下さいね」

「え?」

 その言葉には反応してしまう皆村。だが何とか気を取り直し、

「そう言えば、お前と彼女、付き合ってるのか?」

 反撃した。大原はニッコリして、

「僕はそのつもりなんですけどね」

「フーン」

 皆村は愉快そうに大原と茜を見た。その視線に気づいた茜が、

「何ですかあ、刑事さん?」

 また突っかかって来た。

「あらあ、何だか貴方達二人って、性格合わないみたいねえ」

 酔いが回ってきたのか、麗奈がケラケラ笑いながら口を挟む。

「余計なお世話だ、キャバクラ弁護士め」

 皆村が負けずに毒づく。

「そうですよ、松木さん。この人とは私は関わりがないんですから、性格が合わないとかは関係ないです」

 茜もムッとして反論する。麗奈は陽気に笑い、

「それなら良かったあ! 人類皆兄弟だから、仲良くやりましょう! ね、美咲ちゃん」

「は、はい……」

 肩を抱かれて、身の危険を感じる美咲。それを見て気を揉む皆村。


 そして葵。ようやく制服警察官が二人到着した。

「後はお願いね。私はこれから食事に行くから」

「は!」

 二人は直属の上司から、くれぐれも失礼のないようにと何度も言われているので、とても緊張していた。葵がエレベーターに乗って降りて行くのを確認すると、長い溜息を吐いた。


「はい、皆村」

 本署からの緊急連絡を受け、皆村は席を立っていた。

「何ですって!?」

 それは衝撃的な話だった。

「何があったんですか?」

 皆村の様子に気づいた美咲と大原が近づいて来た。大原と美咲が近づいたのを見て、茜もやって来た。そして素早く美咲と大原の間に立つ。

「黒い救急車が現れたそうだ。現場が混乱していて、状況がよくわからないらしい。俺はこれから署に戻るよ。後を頼む」

 皆村は一万円札を一枚、大原に渡して立ち去った。

「僕も連絡をとってみよう」

 大原は携帯を取り出し、警察庁にかけた。

「茜ちゃん、大原さんをお願いね。私は麗奈さんを送ってから、所長と合流するわ」

「はーい!」

 美咲と大原が離れるのがわかって、茜はホッとしたようだ。


 一方、葵の携帯にも警視総監から連絡が入っていた。

「そう。また現れたの? ありがとう、総監。ええ、続けるわよ、私達も。邪魔しないから、安心して」

 葵にそう言われても返答のしようがない総監である。

「さてと。美咲とは麗奈さんの事務所辺りで合流するとして……」

 葵はワクワクする気持ちを抑え、グランドビルワンを出た。


 大原は茜と共にレストランを出た。

「これからどうするんですか?」

 茜はニコニコして尋ねた。大原は真剣な顔で、

「本庁に戻る。事件の全体像がまだ把握できないんだ」

「そうなんですか」

「茜ちゃんは?」

 大原がハンドルを切りながら言った。茜は大原を見たままで、

「もちろん、大原さんとご一緒します」

「ありがとう」

 大原は照れたように笑い、チラッと茜を見た。


 美咲は精算をすませ、レストランを出た。

「?」

 妙な殺気が付近に漂っている。

(何? 誰?)

 葵が襲撃されたのは、彼女から聞いた。その仲間がこちらにも現れたようだ。

(後小松院長の差し金?) 

 美咲は麗奈を車の助手席に乗せ、周囲を警戒する。

「この臭いは……?」

 硝煙の臭いがした。美咲はすぐさま運転席に乗り込み、車をスタートさせる。

「くっ!」

 銃声が響き、麗奈の車のボンネットに跳弾の火花が飛んだ。騒ぎを聞きつけ、レストランから人が出て来る。そのせいか、殺気が消えてしまった。

「逃げた?」

 それでも美咲は警戒を解かず、車を走らせた。

「何事?」

 普通の揺れ方ではない動きを体験して、麗奈も酔いが覚めたようだ。

「麗奈さん、姿勢を低くしていて下さい。まだ安心できません」

 美咲は前方を見据えたままで言った。

「カッコいい、美咲ちゃん! 惚れ直したわん」

 それでも麗奈はお気楽発言だ。美咲は脱力しそうなのを堪え、

「麗奈さんの事務所に戻ります。ご自宅は危険でしょうから」

「そのようね」

 麗奈はようやく法律家の顔になった。

「あのジイさん、とんだ狸ね」

「ええ。今のは本気で殺すつもりの射撃でした。警告ではありません」

 美咲も探偵モード、いや、忍びモード全開になっている。

「茜ちゃんも危ないかも知れませんね」

 美咲は携帯を取り出し、インカムをセットした。


 茜と大原も、何者かが尾行しているのに気づいていた。

「やっぱり来ましたね。所長が襲撃されたから、来るとは思ってましたけど」

 茜も忍びモードになっており、口調もいつもと違う。大原はルームミラーを見て、

「尾行がわかり易いという事は、僕らに見られても構わないという事かな?」

「でしょうね。殺すつもりなんでしょ、私達を」

 茜はそんな事を言いながら、嬉しそうだ。彼女は大原と一緒に戦えるのが楽しくて仕方がないのである。

「命知らずだね、茜ちゃん達に戦いを仕掛けるなんてさ」

 大原はニヤリとして言った。茜はニコッとして、

「ホントですよ。バカとしか思えないです」

 その時携帯が鳴る。美咲からだ。

「はい。そうですか。こっちにもおかしなのが現れましたよ。わかりました」

 茜は携帯をしまうと、

「大原さん、仕掛けますね」

「え、茜ちゃん?」

 大原は仰天した。茜がいきなり忍び装束に変わると、走っている車から飛び出し、尾行している車に駆け出したのだ。

「あんたら、邪魔!」

 相手も驚愕した。まさか走行している車から、人が飛び出して来るとは夢にも思わなかっただろう。

「うわあ!」

 茜は装束の懐から煙玉けむりだまを出し、開いている窓から放り込んだ。たちまち車内は煙が充満し、何も見えなくなった。

「あわわ!」

 パニックになった運転者はハンドル操作を誤り、付近のガードレールに激突した。

「はい、任務完了!」

 茜はしばらく先で停止している大原の車に戻った。

「茜ちゃん、危ないよ」

 茜は助手席に乗り込みながら、

「平気ですよ」

「いや、あのやり方は他の人を巻き込むかも知れないから、別の方法が良かったと思うよ」

「あ」

 大原が自分の心配をしてくれたのだと勘違いした茜は、作戦にダメ出しされたのに気づき、ションボリしてしまった。

「ごめんなさい」

 茜が落ち込んでしまったのを見て、

「あ、いや、何事もなくて良かった。そんなに落ち込まないで、茜ちゃん」

「はい……」

 それでも暗い茜だった。

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