第二章 後小松総合病院外科医殺人事件 10月1日午後1時

 確かに異様な光景だった。


 国道沿いにあるそのファミリーレストランは、ランチを楽しむ有閑主婦や、忙しい合間を縫ってカウンターで本日の日替わりメニューをかき込むサラリーマンでごった返していたが、あるボックスシートはそれとは異質だった。

 何しろ、三人の美人──しかも可愛い系、綺麗系、ツンデレ系と盛りだくさんな──が、一人のイケメンと一緒にいるのだ。

 イケメンの隣には可愛い系、向かいには綺麗系とツンデレ系。目を引かないわけがない。店員も他の客も、何の集まりかと、固唾を呑んで見守っていた。

「何か、注目されてる気がするのは、自意識過剰かな?」

 警察庁のエリートである大原統おおはらはじめは隣に座ってニコニコしてチョコレートパフェを食べている茜に小声で尋ねた。

「そりゃそうですよ。美人が三人と、イケメンが一人なんですからァ。注目されて当たり前ですって」

 茜は陽気に答えた。大原は苦笑いして、

「後小松総合病院の事件のことですよね、それ?」

と葵に言った。葵はムスッとした顔で頬杖を突いてコーヒーを一口飲み、

「ええ、そうよ」

「あのォ、水無月さん、何か怒ってます?」

 大原は慎重に尋ねた。葵はフッと笑って、

「怒ってなんかいないわよ。ただ、茜があまりにもアホなこと言ったから、呆れてるだけ」

「アホな事って何ですかァ? 美人三人とイケメン一人で正解じゃないですかァ」

 茜は剥れて反論した。美咲は大原同様苦笑いして紅茶を飲んでいる。葵は茜を見て、

「美人二人とイケメン一人と子供一人が正解よ」

「こ、子供って何ですか? 私、二十歳ですよォ! 子供じゃないですってば!」

 茜はますます剥れた。しかし葵はそれを無視して、

「ちょっとワケありで、その事件の事を詳しく知りたいのよ。大原君、知ってるんでしょ?」

「ええ、まァ。僕の高校時代の先輩が事件の担当なので、知ってはいますが」

 大原は無駄な質問かな、と思いながらも、

「ワケありって、どんなワケなんですか?」

 葵は頬杖を着くのをやめてシートにもたれ掛かり、

「ちょっとね。取り敢えず、聞かせてくれないかな?」

 ああ、やっぱり教えてくれないのか、と大原は思いながら、

「事件がちょっと変わっているんですよね。目撃者の証言によると、『黒い救急車』が現れたとか」

「その事なんだけど、警察は『黒い救急車』については、どういう扱いをしているのかしら?」

 葵が何故そんなことを訊くのか、大原は不思議に思った。

「都市伝説なんですよ、その『黒い救急車』っていうのは」

「それは知っているわ。だから知りたいの。警察の見解を」

 大原は辺りを憚るように声を低くして、

「公式には、都市伝説を真似た劇場型犯罪と発表することにしていたのですが、あるところから圧力がありまして」

「圧力? どこから?」

 葵は身を乗り出した。どうやら菖蒲の話は見当違いではないようだ。

「それが医師会からなんですよ。そんな妙な話を広められると、三流週刊誌やら下品な夕刊紙やらが取材に殺到して、病院の威信に関わるから、公表しないでもらいたいと」

 葵はその圧力は確かに医師会からのものだろうと思ったが、理由が嘘臭いと判断した。

「信じられないわね。確かにマスコミ共が集まって来ると医療に支障が出たりすることもあるでしょうけど、病院の威信がどうのこうのって、あまり関係ない気がするわ」

「ええ。僕もそう思います。しかし捜査本部はそうは思わなかったようで、医師会の意見を尊重し、都市伝説絡みの話は一切公表していません。捜査に支障はないし、報道機関に発表する必要もない、というのが表向きの言い訳なんですが」

 大原は自嘲気味に笑って言った。すると茜が、

「その医師会って、誰がトップなんですか?」

と尋ねた。大原は感心したように茜を見て、

「鋭い質問だね、茜ちゃん」

「えっ?」 

 当の茜はキョトンとした。彼女は会話に割り込みたくて言ってみただけだったのだが、何か事件の核心に迫るような質問だったらしい。

「医師会の会長は、事件の起こった病院の院長である後小松謙蔵。ちょっと引っかかるんですよね」

 大原は葵を見た。葵は腕組みをして、

「その人、どんな人なの?」

「手広く病院を経営している、医療より利益の人ですね。後小松総合病院の他、いくつかの病院の院長や理事長を兼任していまして、あちこちの病院から優秀な医師をヘッドハンティングしています。そのせいで潰れた病院もあるようです」

 大原の言葉に茜は、

「何か見えて来ましたね。そいつが黒幕でしょ。自分の意に沿わない人を誰かに殺させたんじゃないですか?」

 すると大原は苦笑いをして、

「それはあり得ないな、茜ちゃん」

「えっ?」

 今度は否定されてしまい、茜はションボリしてしまった。葵はそれを見てニンマリしたが、美咲は顔を俯かせてクスッと笑った。大原は三人を順番に見ながら、

「殺された金村医師は、後小松院長が自ら出向いて自分の病院に迎えた人です。意に沿わないから殺す、なんて事は決してないですね」

「じゃあ、ライバル病院が殺し屋を雇って……」

 茜がもう一度割り込みを敢行した。すると葵が、

「殺す必要はないでしょ? そこまでの危険を犯してする事ではないわ。むしろ殺すとすれば院長でしょ」

とあっさりと一蹴した。茜はますますションボリした。それに気づいた大原が、

「ただ、金村さんは真面目過ぎる人だったようですから、後小松院長のやり方を全面的に支持していなかった可能性はあります。我々警察が掴んでいない何かがある可能性は否定できません」

と言い添えた。茜は目をウルウルさせて大原を見た。大原は茜にニコッとしてから、

「捜査本部は、怨恨の線で捜査を進めていますが、わからないのは救急車をどうやって調達したのか、なんですよ」

「そんなに精巧なものだったの?」

 葵が尋ねた。大原は頷いて、

「外見は完全に本物と同じで、色が違うだけだったようです。そして、中から出て来た救急隊員も、隊員服の色が違っていただけで、ストレッチャーから中の装備まで全て本物と同じだったようです。現場にいた医師や看護師が証言しているので、間違いないと思います」

「ただの怨恨による殺人に、そこまで手間暇かけるバカはいないし、かけられる奴は少ないわね。第一、そんな事をしてどんな意味があるのか」

 葵はコーヒーカップを手に取って言った。

「そうなんです。疑問は尽きないんです。犯人が誰なのか以前に、どうしてこんな事をしたのか。そしてどうして後小松総合病院は黒い救急車が現れた事を隠そうとするのか?」

「答えはこれからわかる……。もしかして、事件はまだ終わらないんじゃないの?」

 葵の言葉に大原と美咲はギョッとした。茜はピクンとして大原を見た。

「何か意味があるはずなのよ、黒い救急車を使った……。犯人の大しくじりは、そんな大掛かりなやり方を選んだ事そのものなのかも知れないわ」

 葵はさらに、

「それで、黒い救急車の事は抜きにして、金村医師を殺す動機のある人間はいるのかしら?」

「殺したい程憎んでいたかはわかりませんが、動機らしきものを持っている人物はいます」

 大原の言葉に葵達は彼を見た。彼は美人三人に一斉に見つめられて照れた訳ではないだろうが、一瞬たじろいで、

「金村医師の同僚の海藤充。医療に対する見解で対立していたようです」

「対立?」

 茜は鸚鵡返しに尋ねた。大原は頷いて、

「金村医師は、医は仁術を地でいくような人だったようです。ところが海藤医師は医は錬金術の人らしくて、手術方法を巡って対立が尽きなかったようです」

 葵は金村医師と菖蒲に恋愛関係に陥る共通点がないような気がしていた。金村医師は医者の鑑のような人だ。それに対して菖蒲は確かに腕はいいが、性格が悪過ぎる上、人情より金に動くタイプだ。どう考えても、これは菖蒲の一方的な片思いではないかと思った。

「でもいくら対立していたとしても、殺そうとは思わないわよね」

 葵は大原を見て言った。大原は真剣な顔で、

「そうなんです。動機にはなるかも知れませんが、実際に殺人を犯すほどの事ではないんです」

「そうよねェ」

 葵は腕組みしてシートから身を乗り出し、

「金村医師の死因は?」

「鈍器による撲殺です。頭骨が陥没する程強く殴られていました。そして、近くの河原に置き去りにされていたんです」

 大原の言葉に茜はギクッとした。美咲が、

「都市伝説通りですね。黒い救急車の手口と一緒です。但し、都市伝説の方は死因は特定できないんですけど」

と言い添えた。葵は美咲を見て、

「都市伝説では、黒い救急車がターゲットを連れ去ってから遺体が発見されるまでの時間に決まり事はあるのかしら?」

 美咲は葵を見て、

「特にないようです。数日後としかどのサイトにも書かれていませんから」

「死因が特定できないのよね、確か」

「ええ」

 美咲はキョトンとして葵を見た。葵は腕組みを解いて髪を掻き揚げ、

「どうして死因が特定できないのかは書かれていないの?」

「それも書かれていませんね。怪奇現象っぽくするために死因が特定できないとされているだけなのかも知れません」

「うーん」

 葵はコーヒーを一口飲んでから、

「黒い救急車って、本当に都市伝説なの?」

「えっ?」

 美咲は葵の意外な疑問にビックリした。大原と茜も意表を突かれたのか、顔を見合わせた。

「私にはそうは思えなくなって来たのよ。黒い救急車の都市伝説は、この殺人事件を起こそうと考えた者が作り出した、殺人予告の話なんじゃないかって思ったんだけど」

 奇想天外とも言える葵の話に茜が、

「黒い救急車の都市伝説は何年も前からあるんですよ。そんな前から殺人を犯そうとしていたのに、どうして今になって決行したんですか?」

と反論した。葵は真剣な眼で茜を見て、

「準備に時間がかかったんじゃないの?」

「へっ?」

 茜はあっさり反撃されたので、言葉が出なかった。すると考え込んでいた美咲が、

「考えられない事ではないです。黒い救急車の都市伝説は、突然ネットに流れ出して、あちこちの掲示板に書き込まれ、非常に短時間に広まった形跡があるんです」

「えっ、そうなんですか?」

 茜は意外そうに美咲を見た。大原が頷いて、

「捜査本部の中にも、そんな事を言っていた人がいたらしいですね。どちらかと言うと、都市伝説を利用した殺人という発想より奇想天外ですが、あり得なくはないですよね」

と言った。そして葵を見て、

「どうしてそう思われたんですか?」

 葵は肩を竦めて、

「あまり根拠らしい根拠はないんだけど、この黒い救急車の話、何か酷くあいまいなのよ。都市伝説って、話は荒唐無稽なのが多いけれど、変な所が律儀で、三日後に死ぬとか、必ず同じ死に方をするとか、法則性があるのよね。作り話だからこそ、そういう傾向が現れるのだろうけど」

「でも、黒い救急車が現れてっていうところに法則性があるじゃないですか」

と茜が膨れっ面で反論した。葵は呆れ顔で茜を見て、

「だから、根拠らしい根拠はないって言ったでしょ。何となく、都市伝説とは異質な感じがするって思っただけなのよ」

「そうなんですか……」

 茜はあまり納得していない。大原が、

「とにかく、どちらにしても、この事件は何か裏があるようですし、いろいろと複雑な様相を呈しているようですので、僕も探りを入れてみます」

「連絡は茜の携帯にね」

と葵が言ったので、茜はビックリして彼女を見た。実は美咲が以前、

「大原さんからの連絡は、茜ちゃんの携帯にするように言って下さいね」

と言われていたからなのだ。別に葵が茜に対して気を遣った訳ではない。彼女は今でも茜と大原がいい関係だとは思っていないのだから。

「わかりました」

 大原はそう答えてから茜を見てニッコリした。茜ーもニッコリした。

「それから、捜査本部に高校時代の先輩がいるって言ってたわね」

 葵が唐突に切り出した。大原はハッとして葵を見た。

「ええ。それが何か?」

「名前教えてくれない? こちらからコンタクト取りたいんだけど」

「はァ、構いませんが。どうするんですか?」

 大原が不安そうに尋ねた。すると葵はチラッと美咲を見て、

「色仕掛けよ、色仕掛け」

「ええっ!?」

 葵の視線に気づいた美咲が、大原と同時に大声を出した。

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